7話 覚えていてほしい人
「私は君を殴りたい。だけど、そんな事をしても無駄だろうな」
分かってるんじゃあないですか。殴られたら怒るよ。いから俺でもね。
「一体、何があったって言うんだ。何も言わずに消えるなんて。あの子がどれだけ心配したと……」
しないよ。あいつは。
「こんなとこで飲めるほど、君は裕福ではないだろうが。貯金だって家に置いたままだろう」
「預金の小数点以下を掻き集めたアイツ。名前はなんだっけ」
「……知らないな」
「だろうな」
こいつは知らない。知らないからなんだ。無知は罪だろうが。『Ignorance is sin』
「君はなぜ、いつも何も話そうとしない。聞き手を探そうとさえしない。それが私には分からない」
一生分からんだろうな。だって俺にも分からないんだから。
「とにかく、一度帰ろう。話すことも、決めることも帰ってからしよう」
「帰るって、どこにだ」
「君の家だ。何を言ってる」
家、か。あそこはもう、俺の家とは思いたくないな。
「なぁエビ天。幸福の定義って何だと思う」
不意に、そんな言葉が口をついた。
「……死にたいと思わずに、生きていけることだろうな」
「思ったより謙虚だな」
無欲と言うべきだろうか。
「君が思うほど、人は欲まみれじゃないと思うが」
俺が他人を欲深くて罪深いと思うのは、きっと俺自身がそうだからだろう。
「君は、幸福じゃなさそうだな」
「今はな」
幸福だった、のかもしれない。短い間だったが。
「幸福の定義は俺には分からん。ただ、不幸の定義は分かった様な気がするよ」
それは多分、幸福を感じた経験を持つってことだ。
「私も、君に聞いて見たかったことがある」
「何だよ」
「君は、何がしたかったんだ」
……何もしたくなんてなかった。ただ死ぬのが怖い。意味もわからないまま恐怖を感じてしまうから、生きるしかなかった。
「何もしたくなんてなかった、そう答える気だろう」
分かってるじゃないか。
「だが、それは嘘だな。君が周りも、自分も騙し続けている嘘だ。君の顔は、いつも何かを待っている」
「知った様に言ってくれるな」
「知っているからな」
こいつは何が言いたいんだ。俺を知ってるかのような話ぶりで。
「彼女が家に来て、君は変わったよ」
……変わった、だろうな。変えられたと言うべきか。
「今は、力ずくで引っ張れるものでもないだろう。私は、君を待っている。あの子と2人でな」
「まだ、あいつは……あの家に、いるのか」
「いるさ。君を待ってな」
分からない、俺には分からない。
こいつもあいつも、どいつもこいつも何がしたいんだ。俺に何をさせたいんだ。俺はただ、死なずに生きてりゃそれでいい。それでいいのに。
「生きるとは呼吸することではない、行動することだ」
誰の言葉だったか、もうなにも分からない。これ以上混乱させないでくれ。
「君は昔、私に言ってくれたじゃないか。何ができるかより、何をしたいかを考えろと」
――君は今、何がしたい。
言外の問いには答えられなかった。
「ここの金は払っておくよ。また、君に会えることを祈りながらね」
「……感謝するよ」
「ああ、これも言っておきたかったんだ」
「まだ、あんのか」
俺はもう疲れたよ。
「私は、君を愛しているよ」
意味が分からない。
「追いかけなくていいのか?」
「何の用だよ」
土居、だったか。ご主人様抜きで何をしに来た。
「彼女と何を話したんだ。泣きそうな顔だったが」
「俺どうでもいい。それよりも、前と口調が大分違うな」
あの声も口調も、営業用ってか。
「仕事じゃないからな。今は、俺の私情で動いてるのさ」
私情、だと?
「お前、俺の声に聞き覚えは?」
声……声、こいつの声。穏やかで、皮肉っぽい声。
「お前、まさか……」
あいつ、なのか。俺が一度も勝てない、ただ1人の相手。
「お前の予想は半分正解ってところだ」
半分?もう半分ってのは……?
「話していたのは俺だが、お前と戦い、言葉を選んだのは別の奴、例のAIだよ」
そっちが、AI。ということは、結は?
「お前、何か勘違いしているんじゃないかと思ってな。わざわざ来てやったんだ」
ああ、これはあれだ。最悪で、最高なパターンだ。
「一つ聞きたい」
「何だよ?」
「俺の妹のこと、どこまで知ってる?」
「どこまでって、お前のアパートの防犯カメラで見える範囲のことだけだな。その後のリサーチで両親を亡くしていることは知っている。それで、兄妹2人で生活している……と予想している」
「それだけか?」
「俺の予想だが、お前らは金に困ってると思ってる。頼りの兄貴がフリーターなんだからな」
「言ってくれるじゃないか」
「事実じゃないか」
「大人は本当のことを言っちゃいけないんだぞ」
それにしても、完璧だよ土居ちゃん。
「感謝するよ、アンタに」
タネを蒔いたのもこいつらだけど、今はそんなこと言ってられない。
「どうしたんだ、いきなり」
「連絡待ってる。俺の『家』でな」
帰らないとな。どんな顔して帰ろうか、迷えることがただ、嬉しかった。
「貴方様が、あの方の妹君……ということで、よろしく存じ上げますわ」
「は、はい……結、です」
お兄ちゃんを待っていましたら、なぜか金髪の女性が押しかけてきまして。日本語が少し、その、違和感を感じます。
「この度、私が1人でここに馳せ参じましたる所以は、貴方様のお兄様に、多大なるご迷惑をおかけいたしましたようでして」
ものすごく分かりにくいのです。簡潔に頼みたいのです。
「私たちといたしましては、あの方にも悪い話ではないと思い込んでありましたが、どういうわけかひどく気分を害されたようで……まだご自宅にもご帰還されていらっしゃらないとか」
「えっと……はい、お兄ちゃんは、まだ帰って来ません」
私はそんなに心配していないんですけどね。
お兄ちゃんが私をおいて、どこかに行くはずがありませんから。お兄ちゃんの帰る場所は、ここしかないから。
マフラーも中々完成しませんし。クリスマス過ぎちゃったんですけどね……。
「私の部下の者にも、あの方を探させていますが、今の所
は何も連絡がございません。妹様にも、本当に申し訳ないことをしたと……」
「あんまり、気にしないでください。お兄ちゃんが何を考えているのかは分からないけど、きっとすぐに帰って来ます。お兄ちゃんは、そういう人です」
だからそんなに、暗い顔をしないでください。
「お年の離れたご兄妹でございますのに、よく分かっていらっしゃるのですね」
「10年、見て来ましたから」
正確には10年のうちの一部、冬の一時期だけなんですけどね。10歳離れた妹だと、少し不自然だったかな。
「10年、ですか。私が彼に会ったのは、もう20年ほど前の話になるのですね」
この人、お兄ちゃんと面識あったのですか。そんなに前に?
「幼い頃、父に連れられて日本に来たことがあるのでございますよ。あなた方のお父様と私の父が親密だったそうでして」
「そうだったのですか……」
私の父親ではありませんけどね。
「私も、そのせいで日本文化や日本語を学ぶ機会が豊富にいただけました故、この様に会話も……」
少し、違和感がありますが、まぁそこは。
「あの、20年前のお兄ちゃんて、どんな感じだったのですか?」
「それは、変わったお方でいらっしゃいました。最初の日などは、何も話していただけませんでしたよ」
すごく、お兄ちゃんらしい。本当に人見知りなんだから。
「私も、当時は日本語はほとんど話せませんでしたので、仕方ないと思われますが……それにしても、その……無愛想な方でしたね」
「今も、あんまり変わっていないみたいですね」
すごく、そんな気がするのです。
「先日お会いいたしました時も、私のことを忘れていらっしゃった様ですから……あまり、楽しい思い出でもなかったのかとしれませんね」
少し、哀しそうです。お兄ちゃんのことなので、何の悪意もなく忘れているんでしょうけど……。
「この家で、お兄ちゃん待ちませんか?」
1人より、2人で待った方が気持ちが楽ですから。
「お言葉はありがたいのですが、私はまだやらねばならぬことがあるので、失礼致します。あの方に関しては、私たちも出来る限りのことをいたしますので」
そう言うと、すぐに帰ってしまいました。お構いもしませんで。
でも、お兄ちゃんとどんな関係を持ったんだろう。友達……いたっけ。
「悪意は感じられなかったわね」
「いつから起きてたのですか」
「寝てるからって、何もしていないわけじゃないの」
幽霊って器用ですね。
「ああは言いましたけど、お兄ちゃん……何してると思います?」
「さぁ……ホントにわかんない奴だからね。昔もだったけど、今は拍車がかかってるかも」
「そう言えば、昔何をされたのですか?」
気になります。幽霊になるぐらいですから、よっぽど酷いことをされたみたいですけど。
「聞きたいの?」
「猫さんが嫌でなければ、ですけど」
「……多分、あなたがあいつの所に来る前の話よ。今思えば、何ともくだらない話ね」
暇つぶしくらいにはなるかもね、そう言って猫さんは話してくれました。
今だから分かるんだけど、私は捨て猫だったみたいでね。
生まれた場所の事は、ほとんど覚えてないの。
多分そこそこ高級な猫だったと思うんだけど……ほら、真っ白だし。子猫を飼う余裕はなかったのかもね。本来なら、あいつじゃなくて、元の飼い主に化けて出るべきよね。変な話だけど。
まぁそれで、捨てられてた私はそこらの子供にいじめられてたのよ。後々まで残るような酷いキズは受けなかったのがラッキーだったわね。
その場にあいつがいたのかって?むしろ逆なのよ、これが。
あいつは、私の入ってた段ボールごと、その子供たちから隠したの。表立って行動できるような上等な奴じゃないわ。
あの頃のあいつの家は裕福だったからね。その辺は多分上手くやったんだと思う。
その後の一瞬は、すごく幸せだった……と思う。あいつはエサも持ってきてくれたし。昔のことで、はっきりとは覚えていないけどね。問題は、それからしばらくした後の話。あいつの家、引っ越したのよ。その頃の私には、手の届かないほどの遠くに。
……その事は、まだ仕方ないと思う。あいつにどうこうできる話じゃないし。でも、あいつは行く前の日にも、何も言わなかった。 それどころか、表情も何も変わらず私にエサを持ってきたの。何の前触れもなかったのよ。寂しい様子も、頭を撫でることさえしなかった。別に撫でられたかったわけじゃないけど、私に何の執着もなかったみたいに振る舞われたのが、すごく悲しかった。
私と過ごした時間が、全部否定された気がした……こんな風にものを言えるのは、幽霊としてそれなりの時間を過ごしたからなんだけど。
それからの私?所詮は人に甘えた野良猫として、相応の生涯だったわ。でもね、諦めたフリをしてたけど、ずっとあいつを探していた。もう一度会って、手の甲を引っ掻くぐらいのことをしたかった。私がいたってことを、教え込みたかった。
それで、こんなみっともない幽霊として存在しているワケ。存在してるかって言われたらちょっと不安だけどね。
ともかく私は、あいつがこのまま私を知らなかったみたいに生きて行くことが許せないの。思い出させて、一生忘れさせないようにしたい。たかが猫の分際で贅沢かもしれないけど、あいつ以外に、私の存在を知って欲しかった相手は……生きてる時には出会わなかったから。
「何というか、あんまり幽霊らしくない話で、がっかりした?」
「そんなことはないです……。まぁ、幽霊らしくないってのは思いますけど」
「でも、あなたも多分芯は同じなのかもね」
芯……ですか。
「誰かに、覚えていてもらいたい。大切だと思える存在に、知ってもらいたい。もっと言えば、生きていて欲しいって、伝えたい……」
伝えたい、事がある。その為に私は、私たちは。
大切な人に。存在を覚えていて欲しい人に。
――お兄ちゃん。
「大丈夫。手遅れなんかじゃないわ」
まだ、間に合う……?
「私だって、二言くらい言わないといけない事があるんだから。戻って来なかったら許さない」
「私も、です」
そう、1人じゃなくて、2人で待とう。
私たちの、大切な人を。
この声が、届きますように。




