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2話 橙ジャージも似合うけど

「……oh,I'm scary. so,I'm scary……」

 口ずさむ歌には恐怖が混じる。

 ああそうだ、俺は恐れてる。恐怖に身を震わせて泣いている。

『あいつ』がこっちに近づいてくるんだ。

 俺を殺しに来るんだ。

 もう止められない、逃げられない、食いつかれて、喰われ尽くされる。

 指が攣る、声が出ない、首筋の汗に感覚が集中して瞬きもできない。

 次の瞬間、画面にオレンジ色の『lose』が出て俺はコントローラーを置いた。平穏な日常。数少ない俺の趣味である。

「ダメだ、お前には勝てん」

 《……まぁ、そんな簡単に勝たれたら困る》

 イヤホン越しに聞こえる声は、いつも通りの穏やかな声音。ちくしょう悔しい。

 《最近はどうしたんだ、忙しいのか》

 ……恐るべし、機体の挙動からリアルを見通してくる。

「ちょっとな、立て込んでる」

 ひどい立て込み方をしているからな実際。

 《大変みたいだな、じゃあ俺は去る。またな》

 同情のひとつもして欲しいもんだが、仕方ない。こいつとは戦場(オンライン)だけの付き合いなんだ。

 リアルに引き戻された俺としては、後方50センチで寝てる謎の生物のことを思うと、中々に頭が痛い。

 幸運にも俺はまだ逮捕されてない。しかしいつどうなったところでおかしくないのが現状なのである。来客が少ないタイプの人間で、本当に良かった。ぼっちとか言うな。

 単純なことから話すと、食費が2倍になったお陰で、俺は仕事を増やさざるを得なくなった。

 湯たんぽが餓死するかどうかはしらん。しかし仮にしたとしたら、俺は変質者どころの騒ぎじゃない。史上稀に見る無念な人生を送ること間違いない。

 ……湯たんぽが少女になるとか、俺すらまだ信じられないし。普通に考えて俺は精神異常者認定されるだろうな。無罪もワンチャンあるんだろうか。

 そんなことを考え、社会に怯えながらも湯たんぽと3日間過ごし、分かったことが3つほどある。

 まず、彼女は普通の人間と同じ食事をすること。つまり食費は2倍。さっきも言ったが大事なことだから致し方ない。

 次に、湯たんぽは――どちらかと言うとだが――夜行性の生き物であること。落ち着いて考えてみるとツッコミ所しかないが、これが事実なので仕方ない。

 昼間は大体寝てるかぐだぐだしているかの二択。そのくせ夜になれば俺に纏わり付いてくる。役得と言えばその通りだ。でも疲れることだってあるんだよ!ただし性的な意味で。

 最後に、お湯が入ると人格が少し変わること。これに関してはまだよく分からないが、夜になってお湯を入れると何と無く口調や言動が変わる……ような気がする。

 尤も俺は布団に入るとすぐ寝てしまうタチなので、ほとんど意識したことはない。ただなんとなくそう感じるだけだ。

 そんなこんなで、夢にまで見た美少女との同居も、実際にしてみれば天国でもなんでもない。所詮はリアルである。

「あれ、お兄ちゃんまだ寝ないですか?」

 布団から湯たんぽの声がする。眠そうな顔もまたかわいい。

「ああ、そろそろ寝るよ。明日もあるしな」

「つまり明日がなければ寝ないと?」

「そんな哲学的な湯たんぽ初めて見たぜ」

 この世に誕生して10年の湯たんぽの割には、大人びているというか、言動がしっかりしているというか。

 ……湯たんぽに大人とかあるんかね。

「早く寝ましょう……私の仕事の時間なんです」

「湯たんぽに労働時間があったとは」

 超夜型の生活になるよな。人間じゃないからと言ってしまえばそれまでだが。ブラックなのやらホワイトなのやら。

「お兄ちゃん、明日も仕事……ですか」

「そりゃあな、生きなきゃいけないし」

 とっとと寝ようか、明日も早い。

「ごめんなさい……お兄ちゃん」

 お湯が入っているせいか、声がやけに湿っぽい。

「私が、唯の普通の湯たんぽなら、生活が苦しくなったりは、しなかったですよね……」

 そんなこと考えていたのか。なんというか、子供らしくないというか。

 ……安心させておくのがいいんだろうか。

「ぶっちゃけて言えば、確かに生活はキツくなったし、お前がどういう存在なのかもよく分からん。ただな」

 深夜のテンションとでと言おうか。たまには俺も、見得を切りたくなったのだ。

「こういう湯たんぽも、悪くないぞ」

 言ってしまってから恥ずかしくなり、俺はすぐに寝たふりをした。

 心なしか湯たんぽの温かさが増した気がして、俺はこの日もよく寝れたのだ。



 明日がなければ、か。午前中をぐっすりと眠りかけた後、俺は昨夜の言葉を思い出していた。

 人生というのは、短い方がいいのか、長い方がいいのか。

 簡単に言えば湯たんぽが妹になる前の20数年間は、この3日間とどちらが価値があったのか。

 今の心境としては、正直この3日間の方が圧倒的に価値がある……気がする。ただそれだと俺の20数年の立場がない。悲しい哉。

「お兄ちゃんお兄ちゃん」そう、この声は確かに俺を力づけているのである。

「お腹すいたです」

 飯炊きは俺の仕事ってか。確かに昼時ではあるが。

 湯たんぽに家事を期待するのもなんだが、少しはやってもらいたいというのが本音である。労力的にも、精神的にも。妹が家事してる姿とかいいと思いませんか。

 格好つけて飯炊きなんて言ってしまったが、基本はパン食である。米はどうにも食が進まん。おかげさまで貧相な肉体だ。ハードな肉体労働は無理だろうね。

「いけね……スパゲティ麺切れてる」

 冷蔵庫を開けたついでに食料チェック。スパゲティ麺買って来なければ。あれは中々に有用なのである。とりあえず昼は食パンでいいな。

「……とーすともそろそろ飽きたです」

 贅沢言うんじゃない、妹よ。俺が何年食べ続けて来たと思ってるんだ。数日続いたくらいで飽きては、生き延びれんぞ。

「とりあえず昼は我慢しろ。夜は焼きそばでも作るから」

 なお不満そうな湯たんぽであるが、仕方ない。俺には俺の都合もある。

「ついでだし、コインランドリー行って洗濯するか……」

 そう言えば、こいつ着替えた事ないんじゃないか?

 シャワーは浴びてるが、前後で着てるものは変わっていないはず。

「なぁ湯たんぽ、お前着替えはないのか?」

「あー……」

 今気づいたと言わんばかりの顔だな。

 まぁ橙ジャージ似合ってるんだけど、流石に一着だけではマズイだろう。

「なんなら、買いに行くか?」

「……お兄ちゃん、逮捕される気ですか?」

 いや、買い物くらい大丈夫だろう。妹って建前にすればだけど。

「どっちにしろ、私外はあんまり」

 お主、引きこもりでござったか。考えてみれば当たり前と言えんでもないが。アウトドア派の湯たんぽがいるとは思えん。

 ……湯たんぽにアウトドア派とかインドア派とか考えてる時点で俺ももうダメかもな。ここ最近色々ありすぎて価値観が狂って来つつある。

「でも、一着じゃ何かと困るだろ、汚れたりするかもしれないし」

「……じゃあ、いつも通りぱそこんで頼んで下さい。お兄ちゃんの買い物ってそっちが主流みたいですし」

 ふわぁ、と指についた食パンの粉を舐めて、大きなあくびをすると、湯たんぽはまた横になってしまった。

 俺は呆れて何も言えなかったが、不意に面白い事を思いついて、数少ない友人の1人に連絡を取るべく、ケータイに手を伸ばした。



 その日の夕方、滅多にならない我が家のチャイムの出番が来た。今思うとチャイムじゃなくて湯たんぽが妹になって本当に良かった。ピンポンピンポンうるさい妹とかあんまり好きになれそうにない。

「あれ、お客さんなのですか」

 珍しいとか言いたいのだろうが、その余裕もいつまで続くかな。俺は心中に悪い笑みを浮かべて、ドアを開けると予想通りの顔だった。

「やぁ少年。私を楽しませてくれるとは、何があったんだい?」

 彼女は蛯名 天。通称エビ天。大学時代の友人だが、仕事はしていない。する必要がないと言った方が正しいだろう。口調と趣味さえまともなら、男からは引く手数多なんだろうが……実際はそうではない。

 結論から言おう、こいつはロリコンである。女性でロリコン。ちっちゃい女の子が大好きなのである。あとは分かるな?

「もう少年って歳じゃないがな。頼みたいことがあるんだよ」

 まぁあがれ、と俺は中に誘い、湯たんぽを布団から引きずり出した。

「最初に紹介するが、俺の妹だ」

 エビ天は俺の予想通り目を輝かせ、湯たんぽに食いつく様に見入った。寝起きの湯たんぽが可愛いのは俺も認めるが、ここまで取り乱していると最早滑稽である。

「ふぇ……何なんですか、お兄ちゃん……」

 やめろ湯たんぽ。エビ天がしぬ。はいはいティッシュティッシュ。鼻血ふこうねー。

「落ち着けエビ天。こいつは俺の妹だ」

「君……妹がいるなんて言わなかったじゃないか」

「事情があってな、今は俺んとこにいるんだが」

 エビ天はまじまじと俺を……いや、俺の膝の上の湯たんぽを見ている。いやはや、予想以上のリアクションである。細かい説明はしなくて良さそうだな。

「えっと、お兄ちゃん。この方は……」

 ああ、と俺が言う前に、彼女は言った。

「え、ああ、蛯名天。天だ。そうだ、君の兄の……ご主人様だ!」

「ふざけんじゃねえ!」

 咄嗟にティッシュの箱を顔面に叩きつけてしまった。もりあえず混乱している湯たんぽの頭を撫でて、平常心を取り戻そう。

「あー、俺は明日も仕事だからな。こいつに、お前と一緒に服を買いに行ってもらおうと思う」

「なんだとっ!?」

 なんでエビ天の反応はこんなに速いんだ。てか鼻血まだ出てるし。それに対して寝起きの湯たんぽはどうにも反応が鈍い。説明には時間かかるね、これは。

「どうだエビ天。こいつの服、選んでやってくれないか?」

 顔が真っ赤に上気してやがる。どんだけ興奮しているんだこいつは。

「本当に……本当にいいのか?この子の服を選んで」

「俺はセンスないしな。女子同士のが分かることもあるだろ」

「ああ、ああ……生きて来てよかった……」

 エビ天はまるで神を見るかのような目で俺を見てくる。中々良い気分だ。

 こっちはオーケーだな。予想通り。

「どうだ湯……」

 しまった。

 湯たんぽって言いそうになった。やばいやばいやばい。……こともないか、エビ天はティッシュに埋まってるし。ただ、名前は考えねばなるまい。まさか湯たんぽを本名にする訳にもいかないし。

 湯たんぽ、ゆ、ゆ……ええい、『ゆう』でいいや。……漢字は『結』だな。なんか綺麗だしかわいいしいいだろ。

「……どうだ結、こいつと行ってこいよ」

 湯たんぽも察してくれたようだ。勘のいい妹で良かったよ。

「結ちゃん……と言うのか。何とも愛らしい……」

 そんな不安そうな目で見るな妹よ。まぁ確かに変態ではあるが悪い奴じゃない。

「安心しろよ、取って食われる訳じゃないから」

 多分な、ただし性的な意味で。

「うん……でも私、これだけで大丈夫だから」

「お前が良くても俺が困る。服のこともだが、外に出ることがこの先無いとは言えないし。俺以外の知り合いも必要になるんだよ」

 ……それでも渋る湯たんぽだったが、その後30分に渡るエビ天の演説によって心を決めてくれた。なお内容は割愛する。

「じゃあ、明日は頼むぜエビ天」

「任せたまえ、必ず素晴らしい服を揃えてみせよう」

「えっと……よろしくお願いします、天さん」

 興奮しているエビ天に服代を払わせるよう決めるのは非常に簡単な仕事だった。



 その夜はエビ天に食事をご馳走になり、帰ると俺と湯たんぽはすぐに布団に潜った。

「すまんな湯たんぽ。勝手に決めちまって」

「……大丈夫です。お兄ちゃんに迷惑ばかりかけていたら、ダメですし」

 声が震えている。やはり外出は怖いのだろうか。

「もし本当に嫌なら、今から断ってもいいんだが」

 エビ天は泣き叫ぶだろうが。それもまた一興。

「いえ……私、行きます。お兄ちゃんの為にも、私の為にも」

 健気な湯たんぽだ。

「私、嬉しかったんです」

 ……何がだ?

「お兄ちゃん、私に名前をつけてくれましたから」

「……咄嗟に思いついた名前ですまんな」

「いえ、とっても嬉しいです。だから、これからは『結』って、呼んでください」

 分かった、分かったよ。可愛すぎる、反則だろうが。

「……寝るぞ、明日はお前も忙しいんだからな。……結。」

 ――はい、と言って結は俺の腕に抱きついて来た。俺は少しだけ、エビ天の気持ちが理解できたかもしれない。

 ……また逮捕が近くなった気がする。


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