第三十七話 パンデミック・エヴォリューション
森崎が三上から採取したサンプルの観察を始めてから数時間。
三上に投与したウィルス殺しの動向をじっと見守っていた森崎だが、その挙動に明らかな違和感を認めた。
それは、彼女とゼルゲ教授が想定していたものとは大きく異なっていた。
「これって……。まさか」
森崎とゼルゲ教授が懸念していた最悪の事態。
それは三上の死では無かった。
即ち、三上の保有するウィルスの原株の変異。
ウィルス殺しに対応した性質に進化してしまう事だった。
そして今、森崎の手元のサンプルはその最悪の事態を体現していた。
ウィルス殺しは三上の保有するウィルスの原株によって次々に喰われていった。
喰われる、という他なかった。
つまり、ウィルス殺しは感染遺体から変異したウィルスには対応できたものの、その本体とも元凶とも呼べるウィルスの原株には効果を発揮しなかった。
原株はウィルス殺しを捕食する性質を獲得した。
普段は人目に触れないように慎重に三上のいる研究室まで足を運んでいた森崎だが、この時ばかりは全力疾走していた。
森崎は研究室前にたどり着くと急いで防護服を身に纏い、扉を次々にくぐって行った。
明方、朝日がまだ差し込むには早すぎる時間帯である。
三上は研究室のベッドで横になっていた。
彼は眠らず、どこか虚ろな目で天井を見つめていた。
間もなく森崎が入室してきた。
特に驚くことも無く、三上は要件を伺う。
森崎は直ぐに三上に経過報告を行う。
三上はそれを黙って聞いていた。
「……つまりね、つまりっ、三上くんはウィルス殺しを食べちゃうんだよ! マジでやばい! だから、例えばこれからウィルス殺しを世界中に散布できたとするじゃん? でも三上くんがそこで君の体内のウィルスを拡散させると、やっぱりウィルスバスタァがバスターされちゃって、感染が拡大しちゃうんだよ!」
「一つ質問いいですか?」
「な、何かな何かな?」
「これってベースは特性抗体、なんですよね?」
「その通りっ。三上くんも賢くなったもんだねっ!」
それを聞くと三上は何故か笑みを浮かべていた。
その目は笑っていなかった。
「それじゃ、特性抗体も喰えるかもしれないってことか……。大丈夫ですよ森崎さん、俺はもうこれ自分のせいで人が死ぬのは防ぎたい。何としてでも防ぎたいんです。だから、変異したことは仕方ないけど、その状態のウィルスを拡散させないようにしていきます。必ず」
三上は森崎にそう伝えつつ、頭の中では別の事を考え続けていた。
「でも、三上くんは身の危険的なアレで必ずここを出て行かなきゃならないと思うし、どうするん?」
「高見博士が作った例の防護服、人前に出るときとかはそれをなるべく着てますよ。意外とあの服着心地が悪くなくて。洗濯というか衛生的な面はまぁかなり目を瞑らないとだめなんすけどね」
三上は冗談っぽくそう言った。
「そっかぁ……。なるべく早く解決策が見つかるように、あたしも頑張って研究してみるからさ〜! 兎に角、ゼルゲ教授はなんかめっちゃ寂しい別れ方しちゃったけど、あたしは多分また会えると思ってるからね!」
「こういう時に、ケータイとかネットって便利だったんだなって思いますよね」
「ホントだよ〜。そうだ、あの、ちょっと待ってて」
そう言うと森崎は何かを書き始めた。
「これ、あたしの友達でウィルス殺しを量産してくれそうな人の住所で、ここにいるから、いつか遊びに来ちゃいなっ!」
「ありがとうございます、いつか必ずお伺いしますね。さぁ、森崎さん。早く研究所から出た方がいい。あと一時間か二時間もしたら多くの研究者がここに戻ってきますよ」
森崎は慌てて研究室の扉へと向かう。
去り際に三上の方へ振り返り、防護マスク越しに笑顔で声をかけた。
「大丈夫! あたし達なら止められるって! そう、気楽に考えよ〜!」
森崎が去った後、三上はベッドに再び横になる。
気楽にはならなかった。
こうしている間にも外では被害が拡大する一方だ。
三上はSWARPAを去ってから、殆ど外の世界がどうなっているのかを知る事が出来ていなかった。
森崎やゼルゲ教授に聞いた内容を想像して片付けているだけで、その目で世界の現状を見る事はできなかった。
ふと、大町と過ごした一ヶ月あまりの日々を思い出していた。
三上は涙が止まらなくなった。