第三十五話 パンデミック・トゥルース
この日も高見博士はゼルゲ教授よりも少し早く研究室に来ると、いつも通り一方的に三上に話しかけていた。
「あの日から換算して今じゃ世界から70%も人口が減ったんだ。想像できないだろ三上さん。君はまたも、研究室の中にいるだけだからね。世界から隔離される孤独感、嫌な感じがするよね」
「……まだ30%は生きてるんだな。正直どうやって生き残ってんだか不思議だが」
「出歩く際に防護服とか着けて細心の注意を払ってる人。シェルターに籠もってる人。山岳部や人口過疎地に潜んでる人。軍人や科学者。だいたいそんなところだろうね」
「なるほどなぁ、頑張って生き残ってほしい」
「そんな事にならないよう僕が必ず見つけ出すけどね」
ゼルゲ教授が研究室に入ってきた。
気のない挨拶を二人にする。
高見博士がドイツ語でゼルゲ教授に何か語りかけていた。
普段ゼルゲ教授がいる間は三上も高見博士も英語でコミュニケーションを取っていた。
三上は勉強の成果と実践経験が相まって、普通の会話程度なら困らないほど英語力が身に付いていた。
しかしドイツ語は三上にとってはまだまだ未知の言語である。
高見博士がゼルゲ教授に何を伝えているのか気になっていたが、今晩、森崎と合流した際に教えてもらう事にした。
ところが、話を聞き終えたゼルゲ教授が三上の元に寄ると、真剣な口調で語りだした。
「三上君。CDCが壊滅したそうだ。SWARPAと同じく、施設内にウィルスが蔓延したらしい。対策を講じるよりも早く感染が広まったようだな」
高見博士がゼルゲ教授の後ろでニヤついていた。
三上にはそれがベイズアザディ、というか高見博士によるものだと理解できていた。
無論ゼルゲ教授も高見博士の前では無知を演じているだけで、実際には彼が関わっていることには気づいていた。
「CDCが作っていたワクチンサンプルは結局生き残っている人の中の1%にも満たない極少人数に投与されて終わりだったみたいだね。ワクチンさえあれば人類は救われたかもしれないのに、最後の希望が途絶えてしまった」
「それは違うぞユウキ、最後の希望はこの三上君だ。諦めずに研究を続けよう」
三上はゼルゲ教授のその言葉には違う意味が込められていることに気づいていた。
そしてその日の夜、いよいよウィルス殺しを三上に投与する事が決まった。
「俺が生きていようがそうでなかろうが、今日で終わらせましょう。ところで結花ちゃんの方はどうなりました? 助けられました?」
ゼルゲ教授は何も答えない。
森崎が気まずそうに口を開いた。
「実はね、ずっとね、ずぅーっと伝えよう伝えようって思ってたんだけどね、その、なんていうか、その……」
嫌な予感がした。
三上の心拍数が急上昇していく。
森崎が何も発せずにいると、意を決したのかゼルゲ教授が後を繋いだ。
「大町結花、救出された彼女はおよそ二ヶ月ほど前、この研究所の治療室で息を引き取った。感染はしていなかったが、昏睡状態から蘇生させることが出来なかったそうだ。済まない。あの頃の君に伝えようものなら何が起きてもおかしくなかった為に伏せていた。無論ユウキもこの事を知っているが、君に彼女は生きていると希望を持たせる事にしたのだろう」
三上の頭の中が真っ白になる。
真っ白になった後、脳が痺れる感覚と共に間もなく三上は涙を流し始めた。
それに気づかないほど三上は思考することを放棄してしまった。
虚ろな感情の中、一つだけ突き出るように高見博士への憎悪が芽生えていた。
時間がどの程度経過したのかわからなかった。
「そうか、そうなんだ。結花ちゃん、助からなかったのか。そっか。さぁ、ウィルス殺しを投与してください。もう終わらせましょうこんな事は」
ゼルゲ教授が黙って準備を始める。
森崎は気まずそうにただ三上の方を見つめていた。
「それじゃ、やるぞ三上君。本当に良いんだな?」
「どうなったって構いません。俺が死んだら後のことは頼みます。無責任なお願いですけど、俺が原因で始まったこの惨事を終わらせてください」
機材に囲まれたベッドの上で三上は目を閉じた。