第二十九話 ドランカー
夜になると街には溢れる光も無い。
静寂が全てを飲み込むようだった。
外れにある少し古ぼけたバーの扉がゆっくり開かれる。
店は営業しているものの、客足などここ最近は殆ど無い。
そんな中、今晩は立て続けに来客があり店主は驚きを隠せなかった。
「やぁ、カール。こんな時にも君の店は開いていてくれて助かるよ。今日は待ち合わせでね。先方はもう来ているだろうか」
「これはこれは、ゼルゲ教授。久しいですな。待ち合わせというのは、奥にいるお嬢さんかな? そうに違いない。なぜなら他に客なんて居ないんだ」
ゼルゲ教授が奥に目を向ける。
一番奥の席に少女が机に突っ伏している。
大量の空のジョッキに囲まれていた。
店主は少し呆れた様子でジョッキを片付け始める。
「このお嬢さん、本当にビールを飲んでいい年齢ですかな? 私も確認はしたんだがね、どうにもそうは見えない」
「待ち合わせているのは彼女で間違いは無いが、実を言うと私も会うのは初めてでね。しかしアジアの人々とは、年に似合わず若い人が多いものだよ」
ゼルゲ教授が、ほぼ熟睡しかけているその女性に声をかけた。
するとその女性は飛び起きてゼルゲ教授を凝視した。
「はぇ!? 誰ですか!? よ、ようこそ〜」
彼女が咄嗟に発した日本語を聞き取り、ゼルゲ教授はゆっくりとした口調で彼女に英語で話しかけた。
「私に連絡をくれたのは君だね? モリサキさん。ユウキの助手をやっていると聞いたが」
「あっ! あの、それあたしです〜! あとあたしもう高見博士の助手じゃないよ〜! 高見博士はちょーやばい人なんだよ? おじさんはあの有名な教授さんですね〜。お会い出来て嬉しいかも」
森崎の浮ついたような口調の原因はきっとビールの飲み過ぎだろうとゼルゲ教授は考えた。
「私に内密に話があるとの事だが。あぁ、安心したまえ。ここに訪れた事は誰にも伝えてないし口外もしない。ここの店主、カールは古い友人だが、やつは口の硬さでこの街一番になったような男だ」
「え〜!? なんかぁ、お気遣いありがとうございます〜。教授にコンタクト取るの大変だったよぉ〜。先に言っておくと、あたしは今本当はもう生きてない事になってて、なんていうか、生きてる事がバレたらヤバイじゃんみたいな感じだから、その」
「口外はしないと約束するさ。しかし、生きてない事になっているとはどういう事なのかな?」
森崎はすぐに答えず、フラフラとしながら立ち上がって店主の元に赴いた。
「おじさんも飲もうよ〜。飲みながら話したほうが楽しいよ〜。こんな世の中になってもお酒は美味しいんだよねぇ。それに、本場のビールなんて滅っっっ多に飲めないんだからぁ!」
ゼルゲ教授は苦笑しながら店主に黒ビールを大ジョッキで注文した。
話が長くなりそうだと判断したのだ。
「それで〜。えっと、何から話そうかなぁ〜」
ゼルゲ教授の手元に黒ビールが置かれる頃には、既に森崎はジョッキを空にしていた。
「私に話さなくてはならないことをまず話してほしい。まとまるのであれば簡潔に頼むよ」
「えっとぉ、おじさん的に高見博士って子供の頃から知ってるわけじゃん? だからなんかさぁ、信じられないかもーってなるかもだけど。あの人怖いしおかしいんだよ〜」
「もう少し、もう少し詳しくお話お願いできるかな」
しかし森崎は視線を店主に向けていた。
それを察してか店主はサービスだと言って大ジョッキを3つも卓に持ってきた。
それを見て満足したのか、森崎はようやく具体的に話し始めた。
「まずね、飛行機でテロリストがウィルスを飛ばしちゃったって、ニュースとかでやってるじゃん。あれやったの高見博士なんだよ〜! ていうか高見博士がテロリストみたいな? あたしもあの飛行機乗ってたから、本当だよぉ」
「なるほど。いきなりこう、凄い事を打ち明けてきたな」
「信じようが信じまいがおじさん次第だよ〜。それで、あたしと結花ちゃんっていうちょーかわいい娘もウィルスにかかっちゃうよーってなってたんだけど、あたしは実は更にそのちょっと前から高見博士が怖い人だって見抜いてたんだよねっ! 凄いっ! ちゃんと万が一に備えてたりしちゃうあたし凄い! これは飲まなきゃね〜」
そう言うと森崎は勢い良くビールを流し込む。
大ジョッキが一気に三分の一ほど減った。
森崎は満足したのか、再び話し始める。
少し口調は冷静になっていた。
「まず、見張りのテロリストさんを倒さなきゃだから、あたしがウィルスに感染したフリをしておびき寄せて、気絶させたのね」
「凄い勇気だ。相手は屈強な男だろう。一体どうやって」
「まぁね〜。あたしジークンドー習ってたから〜」
「ジークンドー……」
夜はまだまだ長くなりそうだとゼルゲ教授は予感していた。