幕間《吾輩は狼である》
ハピネスにやってきた狼。
その目には、果たしてどの様な光景が見えたのだろうか。
史上初、狼目線での物語となります。
吾輩は犬である。名前はまだ無い。
いや、正確には狼である。
何処で産まれたか、とんと見当がつかぬ。
と、前置きはこの辺にしておこう。
先日読んだ、『吾輩は猫である』がまだ頭に残っているようだ。
先にも言った通り、私は狼だ。
犬、犬、と呼ばれている性で、最近ちょっと自信が無いが、多分狼だ。
私は今、幸福荘と言うところに世話になっている。
ただ、初めからここにいた訳ではない。
一番古い記憶は、鉄のような柵の中に、父親と一緒にいたところだ。
そして気づいたら、河原に居た。
何分幼い頃の記憶故、曖昧になっている。許して欲しい。
とにかくそこで父と暮らしていたのだが、ある日父は動かなくなっていた。
幼い私には理解できなかったが、父は何らかの原因で死んだのだろう。
理解できないお陰で、悲しみは無かった。
ただ、何時も父が持ってきてくれた食事が無くなったことだけは、身をもって理解した。
空腹で身動きが取れず、ただ死を待つのみ。
そんな私の前に、救いの女神が現れたのだ。
まあ私の昔話など、聞いていても退屈なだけだろう。
色々省略すると、その女神に救い出されて、今この場所にいるのだ。
この場所は、今までの生活からは考えられないほど、暖かかった。
救い出されて十を超える朝を迎え、私は確信する。
こういうのを、群れ、人間で言う家族というのだろうと。
群れである以上、当然上下関係はあってしかるべきだ。
自分よりも目上の者、目下の者を知ることは、集団生活の基本と本に書いてあった。
なら私も、この群れの中で生きていくため、順位付けをする必要がある。
そう決意して、ここ暫く人間の生活を観察させて貰った。
今後若干の変動はあるにせよ、大まかな順位付けをすることが出来た。
あまり口外する事でもないが、そっと公開するとしよう。
まず、群れのトップ。つまりリーダーは、
「お~い、ご飯持ってきたぞ」
勿論この方、私の救いの女神、紫音様だ。
ウエーブのかかった青い髪に、全てを包み込む海のような青みがかった瞳。
人間では子供と言う若い年齢らしい。
そして驚くべき事に、その若さでこの群れの、本当のリーダーとのことだ。
人の話を聞く限り、私をここに置いてくれたのも、この方のお陰らしい。
感謝してもしきれない、まさに命の恩人だ。
「お腹すいたか? 今日もたっぷり食べろよ」
『わんわん(いつも感謝しております。紫音様)』
「ははは、よしよしいい子だ。しっかり食べて、大きくなれよ」
『わんわん(はい。そして成長した暁には、必ず貴方の力になります)』
言葉は通じなくても、紫音様が私を愛してくれているのは伝わってくる。
今はまだ幼く力もないが、いつかは必ずお役に立ってみせるつもりだ。
「私はこれから学校だが、帰ってきたら一緒に遊ぼうな」
『わんわん(喜んで。お気を付けて行ってらっしゃいませ)』
紫音様は学校という、同年代の人間と共に学問を学ぶ場に通っている。
着いていきたいところだが、周囲の反応からどうも迷惑になると判断した。
私は手を振る紫音様を、自分なりの笑顔で見送った。
さて、紫音様に続く順位なのは、
「あら、今日はまた随分大量ですね」
私のエサ箱の食事を見て、苦笑を浮かべるこの女性だ。
柊千景、と言う名前らしい。
黒い髪と瞳が、どうにも冷たい印象を受けるので、正直私は苦手だ。
私を群れに入れるのを、最後まで反対していたとも聞く。
本来ならもっと下に順位付けすべきなのだが、
「貴方が来てから、あの子に笑顔が増えました。それは感謝すべきですね」
と言うように、紫音様の母親のような立場なのだ。
紫音様の親となれば、下に順位するなど考えられない。
まあ、それだけではないが。
私は初めて会った相手に噛みつき、反応を見て順位を決めていた。
だがこの女性は、
「……私、動物のしつけは、得意ですよ」
黒い棒(鉄扇)を取り出し、人と思えない気を放ったのだ。
逆らってはいけない相手、と私は本能の警告に従った。
「認めた以上、貴方もハピネスの一員。働きを期待してますよ」
『わんわん(はい、姐さん)』
「そんなに畏まる必要は無いですよ。千景さん、で充分です」
『わ、わんわん?(え、ひょっとして言葉通じてますか?)』
「まさか。流石に犬の言葉はわかりませんよ、ふふふ」
絶対に逆らってはいけない。
私はこの人にも、絶対服従しようと決めたのだ。
食事を終えて、運動しようと中庭を少し走る。
単独で外に出ることは禁止されているが、敷地内は自由に動いて良いとの事だ。
大きくなるには、栄養・運動・睡眠が大切だと、書物より知識得た。
少しでも早く成長するため、運動をする私の元に、
「あらぁ~今日も元気ねぇ~」
私の順位付け、三番手に位置する人間が近寄ってきた。
ローズ、と呼ばれている人間だ。
角刈りの頭と、筋骨隆々の身体からオスだとばかり思っていたが、
「私と一緒に遊ぶぅ?」
明らかにメスの様な口調に、私は判断に困ってしまった。
だが、人間の会話から、どうもメスのふりをしているオスだと、先日判明した。
私には理解できず、それ故苦手意識を持っている。
「どうしたのぉ、私の顔をじっと見てぇ。抱っこして欲しいのかしらぁ?」
『わんわん(遠慮致します。先日、潰されかけたので)』
初対面の時、噛みつく前にあの太い腕に捕らえられてしまった。
そのまま物凄い力で締め付けられ、紫音様が止めてくれなければ、どうなっていたか。
「もう、遠慮しなくて良いのにぃ♪」
『わんわん(お気持ちだけ頂いておきます)』
今度こそ父の元へ行くことになりかねない。
親切にしてくれ、しかも完膚無きまでに力を示された。
この人も、私よりも目上の存在だ。
ローズ殿が去り、再び運動を始めた私の元に、
「あ、ワンちゃん。おはようございます」
次の順位の人間が現れた。
和泉柚子、と言うらしい。
灰色がかった髪に、栗色の瞳。
紫音様と同じ年の頃かと思いきや、あの千景様より年上とのこと。
全く、人間というのは恐ろしい。
『わんわん(おはようございます、柚子さん)』
「怪我の具合はもう大丈夫みたいですね。よかった」
この人には、噛みつくつもりもなかった。
紫音様が救って下さる前、私は複数の人間に暴行を受けていた。
ここに来たときも、結構な怪我をしていたのだが、それを治療してくれたのだ。
紫音様とは別の意味での恩人。
牙を剥くまでもなかった。
「これから狂犬病とかの注射しますからね。暴れちゃ駄目ですよ」
『……わんわん(……努力します)』
この人も、色々な意味で逆らってはいけない人間だ。
注射というものは、どうしても慣れない。
痛いのもそうだが、あの細い先端が迫ってくるのが苦手だ。
何とか注射を終えた私は、疲れた足取りで中庭に戻ってきた。
少し休もうかと考えていると、
「あ~帰ってきたわ」
「そう言えば柚子が予防接種するって言ってたな。大分参ってるみたいだけど」
私の順位付け、同率五位の二人が現れた。
こう、上から順に出てくるのは、偶然なのだろうか。
「注射くらいで情けないわね。狼なら、もっとシャキッとしなさいよ」
「苦手なものの一つや二つあるだろ。奈美の幽霊とかな」
二人は漫才(テレビで知った人を笑わせる芸らしい)をしながら近づいてくる。
オスの方が御堂ハル、メスが早瀬奈美と言うらしい。
「ん~何度見ても犬にしか見えないわね」
私に疑いの眼差しを向けるのが、早瀬奈美。
茶色の髪と瞳、どうにも攻撃的な印象を受ける。
先のやり取りで分かるとおり、なかなか無礼な人間だ。
当然、初対面の時に思い切り腕に噛みついたのだが、
「いきなり甘噛みするなんて、私のこと気に入ったの?」
『わ、わんわん(い、いや思い切り噛みついてます)』
「それともまだ子供だから、牙が生えそろってないのかな?」
『わんわん(そんなことは無いんですが……出直してきます)』
私の牙は、彼女の皮膚に傷一つ付けることは出来なかった。
後で聞いた話では、どうも彼女は神様のバグ、と言われるほど強い人間らしい。
バグの意味はよく分からなかったが、逆らってはいけないことだけは理解した。
「あんたには期待してるわよ。早く大きくなって、ここを守ってね」
『わんわん(承知しております。必ず、お力になります)』
まあ、悪い人間ではない。
そしてそれを微笑ましそうに見つめるのが、御堂ハルだ。
黒髪に、人間では珍しい薄紫色の瞳。
最初はメスかと思ったが、どうやらメスに近いオスらしい。
顔立ちも体つきも、メスと見まごう程。
あのローズ殿みたいに、分かりやすくして欲しいものだ。
この人間にも、私は噛みつかなかった。
なぜなら、
「しかし、ハルは変なとこで器用よね」
「日曜大工レベルだし、そんなに難しく無かったよ」
そう、私の寝床を用意してくれた人なのだ。
しかもそれだけでなく、
「わんわん?(住み心地はどうだい?)」
『わんわん(大変快適です。感謝してます、ハル殿)』
何とこの人は、私と意思の疎通が可能なのだ。
モノマネ、と言うらしいが、詳しくは知らない。
「ん、何だよ奈美。変な顔して」
「本当に話が出来てるのかな~って思って。……ねえ、ハルの言ってること分かる?」
『わんわん(はい。若干訛りが強いですが、充分意思の疎通が出来ます)』
「…………何て言ってるの?」
「訛りが強いってさ。まあ、会話できるだけでも驚いたけどね」
いえ、驚いたのはこちらですよ。
「わんわん(ま、困ったことがあったら言ってくれ)」
『わんわん(はい、ありがとうございます)』
「わんわん(でも今まで動物と意思の疎通なんて出来なかったんだよ)」
『わんわん?(そうなのですか?)』
「わんわん(ああ。ひょっとしたら、お前の知能が特別高いのかもな)」
『わんわん(それでも他の方とは話せません。ハル殿のお力があってこそです)』
「わんわん(はは、ありがとうよ。面と向かって言われると照れるな)」
と、和やかな会話を楽しんでいると、奈美殿が表情を曇らせていた。
「どうかしたか?」
「あのね、ハル。ここではともかく、外で会話するのは止めた方が良いわよ」
「なんで?」
「端から見たら、凄い怪しい人に見えるから」
「…………そうする」
私も気を付けよう。
これで、私の順位付けは終わりだ。
今まで紹介しなかった人間は、全て私よりも目下となる。
正直、黒い服と仮面のその他大勢は、私には区別しようがない。
ん、待て。後誰か居た気がするが……。
「ふふふ、この時を待っていたぞ、犬っころ」
そんな私の前に、オスが現れた。
確か…………蒼井賢とか言ったはずだ。まあ、どうでもいい。
白い服(白衣と言うらしい)を着た、ヒョロッとした人間だ。
こいつは私よりも目下だ。
「あの時の屈辱、今こそ晴らしてくれる」
『わんわん(返り討ちです。またその身体に、牙を突き立ててあげましょう)』
「人間の尊厳のため、行くぞぉぉぉ!!」
『あぉーん(1Rでなく、一分でケリをつけます)』
すいません、最近『明日のジョー』という書物を読みまして。
まあこんな感じで、毎日賑やかに過ごしています。
母が居て、仲間がいて、手下が居る。
きっとこういう事を言うのでしょう、幸せとは。
吾輩は狼である。
名前は、まだ無い。
タイトルは……はい、某有名作品のパクリです。
実はちゃんと読んだことが無く、冒頭のみ引用させて貰いました。
夏目先生すいません。……今度ちゃんと読みます。
ハルのモノマネが、役に立たないところで便利になってました。
徐々に凡人から変人に変わりつつありますね。
以前お伝えしたとおり、この幕間を持って、物語は最終局面へと入ります。
寄り道をせず、ラストまで突っ走る予定です。
若干シリアスな展開が入ってしまいますが、ご容赦下さい。
それでは次回もまた、お付き合い頂ければ幸いです。