紫音の秘密
最近紫音の様子がおかしい。
全てはそんな千景の言葉から始まった。
一体紫音に何が起こったのでしょうか?
インフルエンザ騒動から数日。
ハピネスは痛手を負ったものの、何とか元通りの状態へと戻っていた。
そんなある日、ハル達がいつものように食堂で食事を取っていると、
「ちょっとみんなに相談があります」
いつになく浮かない表情の千景が声を掛けてきた。
「あらぁ、珍しいわねぇ」
「そうですね。千景さんが相談なんて」
ローズと奈美の言葉に、ハル達も同意する。
「それで、どんな相談ですか?」
「実は……紫音の事なのです」
予想外の答えだった。
てっきりハピネスの活動についての相談だと思っていたのだが。
「……最近、紫音の様子が変なのです」
「変? と言いますと」
ハルは少し緊張した様子で尋ねる。
幹部達も同様、自分たちのボスに何かあったのかと身構える。
「まず、食事をよく残すようになりました」
緊張感は数秒と持たなかった。
「あの~千景ちゃん。それってそんなに心配なのぉ?」
ローズが呆れたように言った。
「もちろん普段なら気にしません。しかし、ここ一週間毎食必ずです」
「だが、ボスは結構な偏食だったはずだ。気にしすぎではないか?」
蒼井の指摘は的を射ている。
紫音の偏食は有名で、特に野菜類に関しては苦手なものの方が多い。
「ハンバーグ、オムライス……etc。全部半分残していると言ったら?」
「それは……確かに気になりますね」
千景が列挙したのは、いずれも紫音の大好物。
それを半分も残すのは、確かに気になる。
「体調が悪いとか?」
「そう思って柚子に診て貰ったのですが」
「健康状態に問題はありません。それは私が保証します」
柚子が言うのならそうなのだろう。
ならば何が原因なのか……。
「……ひょっとしてぇ、ダイエットじゃない?」
「「ダイエット?」」
ハル達の声がハモった。
「あの年頃の女の子はぁ、結構気にしたりするのよぉ」
「おいおい、紫音様はまだ十二才だろ。いくらなんでも……」
「「あり得る」」
一致団結した女性陣に、ハルと蒼井はポカン顔。
男には分からない世界と言うヤツなのか。
「ダイエットか~。紫音様も女の子だもんね」
「だがボスの身体は明らかな発育不良だ。ダイエットの必要など……ぐべぇ」
蒼井の身体は、食堂の壁にめり込んでいた。
「失礼なこと言っちゃ駄目ですよ」
「そうよ。女の子は繊細なのよ!」
……繊細?
「ハル? 今何か考えた?」
「い、いや。何も」
何て勘のいい。
そう言うのは千景さんだけで充分だ。
「あら、私が何か?」
「……すいませんでした」
墓穴を掘る前に、ここは黙っていよう。
「剛彦の言うとおりダイエットだとすると、何故という疑問が残りますね」
「ですよね。何か切っ掛けがあるはず」
「女の子がダイエットを決意するとき……」
女性陣が頭を悩ませる。
そこへ、
「もしかしたらぁ、好きな子でも出来たのかもねぇ」
ローズがとんでもない爆弾を放り込んだ。
ピシィィィィィィ
千景が握り拳をおいた木の机に、ひびが入った。
「好きな人…………なるほど、それは想定外でした」
冷静に言う千景だが、内心穏やかではないだろう。
「ち、千景さん。まだそうと決まったわけでは」
「そ、そうですよ。大体ダイエットだってあくまで想像ですし」
奈美とハルが慌ててフォローを入れる。
「いえ、実は紫音の行動におかしな点がまだありまして」
「な、何でしょう?
「最近一人で良く外出するんです。学校の帰りも、以前より遅くなってますし」
あーそれはまた……タイミングの悪い。
「それも剛彦の説なら、筋が通ります」
好きな男が出来たので、ダイエットを決意。
休日と学校の帰りは、その男と一緒にいる、と。
「ひょっとして私、地雷踏んじゃったぁ?」
引きつった笑みを浮かべるローズに、頷くハル達。
「まず相手の調査を。その後しかるべき対応を……」
危険な思考を始める千景を、ハル達は懸命に説得する。
恋愛は自由であり、それを止める権利はない。
紫音くらいの年頃なら、好きな子の一人や二人居てもおかしくない。
心が正常に成長している証だから、無理に止めるのは良くない……etc。
五人がかりの説得が功を奏し、
「……どうやら少し混乱していたようですね。みんなの言う通りかも知れません」
どうにか千景をダークサイドから戻すことに成功した。
「では、紫音が戻ったらダイエットだけ止めるように言いますか」
「そうですね。成長期のダイエットは危険ですから」
「説得は柚子に任せるよ。医者が言った方が効果的だしな」
そんな感じで話が纏まった時、
ガラガラガラ
幸福荘の玄関が開く音が聞こえた。
キシキシと足音を忍ばせて廊下を慎重に進む足音。
「あらあらぁ、お客様かしらぁ」
微笑みながら、懐から拳銃を取り出すローズ。
「でしょうね。自分の家に足音を忍ばせて入る必要はありませんし」
答える千景も、そっと右手に鉄扇を持つ。
「こんな昼間に正面からか。随分立派なお客様ね」
奈美は拳を固く握りしめる。
「呼び鈴も鳴らさぬ無礼者だ。持て成しは少し手荒になるな」
蒼井がそっと眼鏡を直す仕草をする。
「……ドアの前に来た瞬間、仕掛けますよ」
こくりと頷く一同。
ドアの前には奈美と千景。少し後ろにローズと蒼井。ハルと柚子は後方に陣取る。
やがて、人影がドアの前に差し掛かった瞬間、
「はぁぁぁぁぁぁぁ!!」
千景が開けたドアから、奈美が廊下に飛び出す。
そのまま人影に攻撃をしかけようとして、
「き、きゃぁぁぁぁぁぁぁ」
「へっ?」
女の子の様な悲鳴に、奈美は間の抜けた声と共に攻撃を止めた。
不審に思ったハル達が廊下を見ると、
「…………紫音様?」
我らがボスが、涙目でうずくまっていた。
「う、うう。何だよ一体……みんなして私を脅かして……」
「「ごめんなさいっ!!」」
すっかり拗ねてしまった紫音に、ハル達はただ謝るしかなかった。
「私はボスなのに……部下に脅かされて……あんな情けない悲鳴を上げて……」
椅子に体育座りしてブーたれる紫音。
すっかり機嫌を損ねてしまったようだ。
「……千景さん。この場は」
「ええ。とてもダイエットの説得をする雰囲気では無いですね」
何とか機嫌を直して貰わなくては。
「大体、どうして私を脅かしたりしたんだ」
「す、すいません紫音様。足音を忍ばせていたので、てっきり敵の侵入者かと」
直接脅かした奈美は、もう謝りっぱなしだ。
これに関しては全責任がこっちにあるので、何も言い訳できな……。
「ん、ちょっと待って下さい。紫音様は、どうしてコッソリ入ってきたんですか?」
「「あっ!」」
ハルの言葉に、幹部一同も気づく。
そもそも紫音が普通に帰ってきていれば、こんな事にはならなかった。
「うっ……いや……それはだな……」
途端にあたふたする紫音。
誰が見ても怪しい。
「紫音、説明なさい。ダイエットの件と言い、最近の貴方の行動は不可解です」
「ん、ダイエット? 私はそんな事してないぞ」
「「へっ!?」」
キョトンとする一同。
「で、でも貴方は最近ご飯をよく残してますよね」
「うっ……それは……どうも食欲が、な」
明らかに何かを隠している。
形勢不利を悟ったのか、紫音は立ち上がり食堂から逃げようとするのだが、
「……紫音、そのお腹はどうしたんですか?」
「あ、しまった」
ポッコリ膨らんだお腹を、千景が見逃すはずがなかった。
まるで中に何か入っているようなお腹を、両手で大事そうに支えている。
「さあ紫音。こうなったら全て話して貰いましょう。そこに、何が入ってるんですか?」
詰め寄る千景。
「これは……これは……これはだな…………そう、赤ちゃんが入ってるんだ!!」
「「っっっっっっ!!!!」」
そして、食堂の時間が止まった。
いつもなら、何を馬鹿な冗談を、と笑って流すところだろう。
だが、今この時だけは、冗談で済まない人が一人いた。
「……ほう、赤ちゃん。なるほど、だから食欲が無かったと」
千景の全身からほとばしる、絶対零度の空気。
全員が悟った。
この人は、信じちゃってると。
「全ての辻褄があいました。……ごめんなさいね、紫音。不安だったのですね」
「あ、あの~千景」
優しく自分を抱きしめる千景に、紫音は戸惑った。
「大丈夫、後は全部任せておきなさい。貴方は何の心配もいりませんよ」
流石に紫音も不審に思ったのか、視線をハル達に向ける。
(お、おい。千景に何かあったのか)
(タイミング……全てはタイミングが悪かったんです)
(何を言ってるのかさっぱりだ。とにかく、この状況を何とかしてくれ)
((無理です))
そんなアイコンタクトを交わしていると、
「さて、私はこれから少し出かけてきます。貴方は部屋で休んでいなさい」
千景がスッと立ち上がる。
「あ、あのね千景ちゃん。一応聞くけどぉ、何処へ?」
「決まってるでしょ。こうなった以上、相手方に挨拶に伺わなければ」
明らかに挨拶という雰囲気じゃないです。
「その~千景さん。どうして鉄扇を握りしめてるんですか?」
「決まってるでしょ。紫音様の伴侶となるなら、それなりの力が無くてはね。ただ、私は加減がヘタですから、骨の一本や二本は貰ってしまうかもしれませんが……」
危ない光を目にうつし、千景は外へと歩き始める。
「ぜ、全員千景さんを止めろ~~~」
ハル達は一斉に千景に飛びかかり、身体を押さえる。のだが。
「……邪魔立てしないでください」
のしかかるハルとローズ、手を引っ張る奈美をモノともせず千景は歩く。
「千景さん、落ち着いて。大体相手が誰かも分からないですって」
「歩きながら調べます」
「紫音様はまだ十二才ですよ。子供が出来る分けないです」
「世界には一桁の年齢で出産した例もあります」
ハル達の説得も馬耳東風。荒ぶる千景には何の効果もなかった。
「こうなったらぁ……紫音様、千景ちゃんに本当のことを……」
「そ、そうだな。ん、こら駄目だ。出て来ちゃ駄目だって」
お腹を押さえ悶える紫音に、
「ま、まさか出産! た、大変、直ぐにお産の準備を……」
ハル達を振り解き、紫音の元に駆け寄る千景。
そのまま紫音のワンピースをたくし上げ、
「わんっ!」
目の前に現れた白い毛並みの犬に、全身を硬直させた。
「紫音……これは……」
「う、うむ。そう言うことなんだ」
「……紫音の相手は、犬?」
「「いい加減にしろぉぉぉぉぉ!!!」」
全員一斉に、何故か手に持っていたスリッパで、千景の脳天に突っ込みを入れた。
「………………と言う訳なのだ」
「なるほど、あの子犬は捨て犬だったんですね」
「うむ。親犬が側で死んでいてな、放っておけなかった」
全ての謎は解けた。
食事を残していたのは、子犬のエサにする為。
一人で外出していたのは、子犬の世話の為。
言われてみれば、何て事ない話だった。
「……………………私は自分が恥ずかしい」
正気に戻った千景は、食堂の隅で自己嫌悪に陥っていた。
取り敢えず今回のは自業自得なので、放置しておく。
「そう言えば、どうして今日は幸福荘に連れてきたんですか?」
「……こいつ、どうも子供達に虐められてるらしいんだ」
ハル達は紫音の胸に抱かれる、子犬を見る。
よく見ると、確かに身体のあちこちに傷があった。
「酷いわ、動物を虐めるなんて」
「子供は純粋、だけどその分残酷よぉ」
「だから紫音様はこいつを守ろうとして」
「日に日に傷が増えて……明日には無事じゃないかもしれない……そう思ったら」
紫音の目には大粒の涙が浮かぶ。
どれほど心を痛めていたのか、ハル達にも十分すぎるほど伝わってきた。
「ねえ、この子、うちで飼えないかな?」
「……ハピネスはペット禁止だよ。だから紫音様も今日まで黙ってたんだ」
「そんな……」
不満の声をあげる奈美。勿論ハルだって、出来ることなら飼ってあげたい。
だが、生き物を飼うのには大きな責任が伴う。
ハピネスが悪の組織である以上、ペットを飼うのは難しいだろう。
「せめてハピネスにとってぇ、役立つ存在ならねぇ」
「役立つ存在、か」
とハルが思案していると、
「む~、やはり違うな」
「ええ。私もそう思います」
今まで黙っていた蒼井と柚子が、子犬をじっと見つめて何やら話している。
「二人とも、何が違うんだ?」
「キチンと調べねばハッキリとは言えんが」
「この子、犬じゃありません」
「「は?」」
突然の報告に、ハル達は素っ頓狂な声をあげた。
「犬じゃないって、じゃあ何なのよ」
「恐らく、狼だ」
「「お、狼ぃ~!?」」
予想外の答えに、再び驚きの声。
「おい蒼井。知ってるだろ? 日本の狼はとっくに絶滅してるはずだ」
「そんなことは承知だ。だが、どう見ても狼なのだから仕方あるまい」
「あの、ハルさん。私も同意見です」
「「柚子が言うのなら」」
「お前ら~」
怒る蒼井は無視して、ハル達は子犬に注目する。
白、と言うよりは銀色の毛並み。
凛々しい顔立ちに、鋭い牙。
ハルの知る、ニホンオオカミとは違うようだが、狼と言われれば反論し辛い。
もっとも、紫音の胸に抱かれ眠っている姿からは、全く想像できないが。
「でも、例え狼だとしても何の解決にもならないわ」
「そうでもないわぁ。だって狼ならぁ、きっとハピネスの戦力になるものぉ」
「なるほど。ペットは駄目でも、構成員なら話は別って事か」
ローズとハルの言葉に、蒼井と柚子は察しがついたようだ。
「ペットでも番犬でもなく、本拠地防衛部隊員として扱うわけだな」
「確かにそれなら、ペット禁止にも違反しません」
二人の言葉に、紫音の目が輝く。
「じゃ、じゃあ、こいつはここに居られるのか?」
「ええ。あそこにいるぅ、お姉さんの許可が貰えればねぇ」
ハル達の視線が、一斉に部屋の隅の千景に向けられる。
「千景さん、どうなんですか?」
「……動物を構成員に何て、とても許可できる事では……」
詰め寄る奈美に、千景が不可を告げようとして、
「…………ダイエットぉ」
ローズの呟きに反応して言葉を止めた。
「…………異性交際ぃ」
グサリ
「…………妊娠」
グサグサ
「…………出産」
グッサリ
「千景ちゃん、この子のハピネス加入にぃ、何か問題あるかしらぁ?」
「………………ありません」
千景は諦めたように項垂れた。
その背中は、いつもよりもずっと小さく見えた。
「え、じゃあ……」
戸惑う紫音に、ハル達は優しく微笑みかける。
「まずは名前、決めてあげなきゃねぇ」
「あ、ありがとう、ありがとう……みんな」
紫音は涙で顔をくしゃくしゃにしながら、花のような笑顔を見せた。
こうして、ハピネスに一人の仲間が加わった。
銀色の毛を持つ狼の子供。
その張本人は、待ち受ける運命など知らず、ただ紫音の胸で眠り続けていた。
その夜。
「しかしぃ、今日は珍しいモノが見れたわぁ」
「言わないで下さい。もう忘れたいです」
二人が居るのは、千景の部屋。
ローズは慰めようと訪れたのだが、気づいたら酒の席になっていた。
大量の酒瓶を空にしながらも、二人は素面同然だった。
「前に聞いてたけどぉ、やっぱり紫音ちゃんの事大切なのねぇ」
ボスとしてだけでなく、とローズは言外に伝える。
「私が源一郎様、紫音の父親に引き取られたとき、あの子はまだ赤ん坊でした」
ローズは無言で酒を注ぎ、先を促す。
「それ以来、私は紫音と共に育ちました。あの子は私を、姉と慕ってくれました」
「血は繋がっていなくてもぉ、姉妹同然って訳ねぇ」
千景は小さく頷く。
「そして紫音の両親が亡くなってからは、僭越ながら母親代わりのつもりでした」
「事実その通りよぉ。貴方が居なければぁ、あの子は生きていられなかったものぉ」
ローズは独自の情報網で知っていた。
千景が紫音を守るため、どれだけの努力と苦労をしたのかを。
「しかし……まさかこんな醜態を晒すとは」
「貴方は母親として、まだまだ未熟なのよぉ」
新たな酒瓶を開け、空の二つのグラスに注ぐ。
「分かっています。やはり私には母親代わりなど務まるはずが……」
「女は子を産み、育てて母親として成長するわ。最初から完璧は母親なんて居ないの」
ローズはいつもの間延びした口調を止め、優しく語りかける。
「失敗を糧にしなさい。大丈夫、互いの間に愛と信頼がある限り、貴方達は立派な母子よ」
「そう……ですね」
千景の目に、いつもの光が戻った。
これで彼女はまた一つ、母親として成長した姿を見せるだろう。
「でもぉ、そうなるとますます婚期が遠のくわねぇ」
「……もう諦めてますよ。この人生の全て、紫音とハピネスに捧げます」
「駄目よぉ。恋のない人生なんてぇ、ピクルスのないハンバーガーと同じよぉ」
「私は何時も抜いて注文します。……そもそも、出会いすらありませんから」
「ハピネスにも素敵な男の子がいるじゃない。例えばぁ~、ハルちゃん何てどう?」
言われて千景は、想像する。
穏やかな日差しが差し込む公園を、ハルと腕を組んで歩く自分。
そして、その背後から忍び寄る二人の鬼の姿。
「三途の川に蹴飛ばされたくないので、止めておきましょう」
「うふふ、そうねぇ。ハルちゃんがどっちを選ぶのかぁ、興味があるわねぇ」
奈美と柚子が、ハルに好意を寄せているのは、千景も知っている。
いずれ、どちらかを選ばなくてはならない筈だが。
「……まあ、三人とも幸せになる方法も、無くはないのですがね」
「全ては私達次第ねぇ。……さぁ、今日は飲みましょう」
二人の酒盛りは、まだまだ終わらない。
引っ張ったあげく、お約束の結末でしたね。
この狼、実はもっと早く登場させるつもりだったのですが、すっかり忘れておりこんなタイミングで登場となりました。
設定も色々考えていたのですが、お蔵入りの予定です。
ただ折角登場したので、次の幕間で主役として活躍して貰います。
次回もまた、お付き合い頂ければ幸いです。