慰安旅行に行こう(3)
慰安旅行の続編です。
温泉でようやく安らぎの時間を得られたハル。
そんなハルに新たなる刺客が……。
今回はちょっとシリアスな話になっております。
「はぁ~生き返る」
ハルはリラックスした声をあげた。
奈美と柚子の徹底的な質問地獄を終え、
癒しの空間、露天風呂へと来ていた。
簡単な洗い場と、石造りの浴槽があるだけのシンプルなものだが、
それがより一層周囲に見える自然を引き立てている。
「幸福荘の風呂も良いけど、これは格別だな」
湯に浸かり、頭に手ぬぐいを乗せのんびりとする。
疲れが湯に溶け出すように癒されていく。
……主に今日の疲れが。
「それにしても、まるで貸し切り状態だな」
周囲を見回しハルは呟く。
夕方に差し掛かり、もうすぐ夕食という時間帯。
温泉にはハル以外の人影は見えない。
ローズはハルが捕まっている間に入浴したらしく、
「私の裸がみたいならぁ、ベッドの上でねぇ」
脱衣所で入れ違いになった。
台詞に関してはもちろんスルーした。
「まあ、のんびり出来ていいけどね」
ハルは久しぶりの心休まる時間を、満喫していた。
「ん、誰か来たかな」
脱衣所の曇りガラス越しに、人影が映る。
影の大きさから、恐らく子供だろう。
「……騒がしくなる前に出ようかな」
子供は大体親か友達など、複数人で温泉に入る。
賑やかになるのは容易に予想が付く。
疲れも取れたし丁度良いか、とハルが立ち上がると、
「あ、ハルさん」
何とも聞き覚えのある声がかけられる。
開け放たれた扉から姿を見せたのは、バスタオル姿の柚子だった。
ハルの思考は一瞬停止し、
「……きゃぁぁぁぁぁ」
乙女の様な悲鳴をあげ、大急ぎで浴槽に体を隠した。
「あの、普通私が悲鳴を上げる方では……」
堂々と入ってきて何を言う。
「こっちは男湯だ。間違えたなら早く戻れ」
「いえ。間違ってませんよ」
にこりと微笑む柚子。
「じゃあ、実は柚子は男の子だった、とか?」
「……お風呂でそれを言われるのは、少しショックです」
「だって……なぁ」
普通タオルを巻いただけの状態なら、男女の判断は出来る。
しかし、柚子の場合は困難だ。
何せ、胸から腰までが一直線、膨らみもくびれもない。
いわゆる寸胴。あるいは子供体型だ。
タオルが滑り落ちないことが不思議な位だ。
「むむ、何か失礼な事を考えてませんか?」
「そ、そんなことはないぞ。って、話を逸らすな」
脱線しそうな話を軌道修正する。
「仮に女だとするなら、どうして男湯に来るんだ」
「何ですか仮にって……。何ならタオル取りましょうか?」
「ごめんなさい。それは勘弁してください」
人として大事な最後の一線を守るため、ハルは全力で謝る。
「もういいです。それで、私がここに来た理由ですけど」
「うん」
「ハルさんと一緒に温泉に入るためです」
「じゃあそういうことで」
ハルは素早くタオルを腰に巻き、脱衣所へと向かう。
「ちょっと待って下さい。どうして逃げるんですか」
「当たり前だろ。男湯で(多分)女と一緒に入れる訳がない」
「多分とか付けないで下さい」
妙に勘がいい柚子に、ハルは手を掴まれる。
「頼む柚子。このままだと絶対いつもの展開になるから」
ハルの脳裏には既に、この後の流れが浮かぶ。
混浴発覚、言い訳無用の制裁、痛い目を見るハル。
お約束の展開だ。
「だ~め。一緒に入りましょう。私からのお願いです」
「無理だ。そんなお願い聞けるわけがない」
「む~、ハルさん。私との約束を破るんですか」
「混浴するなんて約束はしてないぞ」
「そうじゃなくて、私のお願いを聞いてくれるって」
「………………あっ」
思い出してしまった。
柚子なら大丈夫だろうと、簡単に約束してしまったが。
「私のお願いは、ハルさんと一緒に温泉に入る事です」
「ちょっと待て。これは反則だ。無し無し。無効だ」
「ハルさん……酷いです。私とのことは遊びだったんですね」
「誤解を招くような事を言うな」
周りに人がいなくて良かったと心底思う。
「とにかく、そのお願いは駄目だ。他のにしろ」
「……分かりました。それなら私にも考えがあります」
どことなく黒い雰囲気の柚子。
「この姿で、皆さんの所へ駆け込みます」
「なっ!」
「ハルさんに無理矢理男湯に連れ込まれたって泣きつきます」
柚子の言葉に凍り付くハル。
もしそれが実施された場合、結末は容易に想像できる。
デッド・オア・ダイ。
「決まりですね♪」
柚子のにこやかな笑顔に、ハルは白旗を上げた。
ゴシゴシゴシ
「ふ~んふふ~ん♪」
檜の椅子に座ったハルの背後から、柚子の楽しげな鼻歌。
勢いに押し切られ、背中を流してもらっていた。
風呂場で女性に背中を流して貰う。
普通ならよからぬ事を意識してしまうものだが、
「……意外に大丈夫だな」
ハルは思いの外落ち着いていた。
何故なら相手が柚子だから。
実年齢はさておき、見た目は子供だ。
そう考えるほど、ハルは冷静さを取り戻していった。
「ハルさんの背中って、とっても華奢ですよね」
定番の台詞をアレンジする柚子。
「そこは大きいですね、て言うところだろう」
「でもとっても細身で、肌も綺麗ですし」
何とも嬉しくない褒め言葉だ。
「……本当に男の方ですよね?」
「前をのぞき込むな!!」
タオルで隠しているとはいえ、流石に恥ずかしい。
「冗談ですよ。……はい、終わりです」
「ありがとう」
「では、次は私を洗ってく……」
「無理だ」
爆弾を投下前に処理する。
「どうしてですか」
「頼む、人としての尊厳だけは守らせてくれ」
全力でお願いするハル。
土下座状態のハルに、柚子は渋々ながら諦めてくれた。
「はぁ~いい気持ちですね」
「そうだな。やっぱり温泉は格別だ」
先ほどまでの騒ぎは何処へやら。
二人はのんびりと温泉を堪能していた。
「しかし、柚子の意外な面を見たな」
「意外って、何がですか?」
「こんなに強引で、悪知恵が働くとは思わなかった」
ハルは初めて会ったときのことを思い出す。
おどおどしていて、内気な印象。
少なくとも、こんな事をするイメージは無かった。
「それは……皆さんのお陰だと思います」
少し恥ずかしそうな柚子。
「私は、ハピネスで本当に色々な人と触れ合いましたから」
「それじゃあ、ここに来る前は」
「ずっと人と関わらないように、生きてきました」
予想外の柚子の告白に、ハルは驚く。
「それは例の、体質のせいか?」
「切っ掛けはそうですが、原因は私が臆病者のせいです」
柚子の言葉に、ハルは無言で続きを促す。
「私の両親は医者で、子供心に尊敬してました。
そんな両親に憧れて、私も医者を目指すようになりました。
小学生の頃には、医学書にも手を出すくらいだったんです」
「そんなある日、一緒に遊んでいた男の子が怪我をしました。
公園の遊具で怪我をしてしまい、頭から血があふれ出しました。
慌てて、泣き出すみんなの中で、私に初めてスイッチが入りました」
「医学書をかじっていたお陰なのか、応急処置は無事終わり、
近所の人が通報してくれた救急車で、男の子は病院に行きました」
「後に残されたのは、男の子の血で全身血まみれの私と、
そんな私から距離を取り、怯えた様子で見つめる友達でした」
「それから、私を見る周囲の目は変わりました。
まるで化け物の様に避けられ、それ以来私は孤独でした」
「その後両親も病気で亡くし、私の味方は居なくなりました。
それから私は人と触れ合わず、関わらず生きてきました」
「その結果、人と接するのが苦手……いえ怖くなったんです」
話し終えると、柚子は自嘲気味に笑みを浮かべる。
無言で聞いていたハルは、自己嫌悪した。
迂闊な発言で、柚子の心の傷に触れてしまったのだから。
「でも、ハルさんと出会って世界が変わったんです」
「俺と出会って?」
「スイッチが入った私を見ても、変わらず接してくれました」
そんなこと、と言いかけてハルは口を紡ぐ。
柚子にとっては、重要な事だったはずだ。
「そして私に居場所を、沢山の仲間をくれました」
「ハピネス……か」
ハルの呟きに柚子は頷く。
「一人きりの暗くて冷たい世界から、
ハルさんは明るく暖かな世界へと連れ出してくれました」
悪の組織だけど、とは突っ込まない。
「私が変わったのは、変われたのはハルさんのお陰なんです」
「……そうか」
ハルは優しく微笑みながら、柚子の頭を撫でる。
会話が途切れ、しばし無言の時間が過ぎる。
「そう言えば、どうして一緒に温泉に入ったんだ?」
ハルはふと疑問に思ったことを聞く。
「それはですね、ハルさんにお礼をしたかったからです」
「お礼?」
オウム返しに聞く。
「私に新しい世界をくれたお礼です」
「いやそうじゃなくて、どうしてお礼で混浴なんだ?」
「男の人は女の人と一緒に入浴すると、嬉しいと聞いたので」
「誰から?」
「ハピーの皆さんからです」
「帰ったら覚えてろよぉぉぉ!!」
留守番のハピー達に、ハルは恨みの叫びをあげる。
「あの~、迷惑……でしたか?」
「うっ、いや、そんなことは無いぞ」
涙目の上目遣いは反則だ。
「よかったです。勇気を出して正解でした」
ホッとした表情の柚子。
どうやら本人も相当恥ずかしかったらしい。
そんな柚子に、ハルは微笑みながら、
「ありがとうな」
色々な想いを込めた、感謝の言葉を告げた。
「……はふぅ」
「ん、柚子どうかしたか?」
「いえ……少し……頭がぼうっと……」
真っ赤な顔の柚子。
目が少し虚ろで、意識が朦朧としているようだ。
「のぼせたか。柚子、立てるか?」
「……ちょっと……無理かも……です」
柚子の体はフラフラと揺れ、今にも倒れそうだ。
自力で動くのは無理だろう。
「仕方ない。柚子、ごめんな」
ハルは謝罪の言葉を呟くと、柚子を抱き上げ、脱衣所へ駆け込む。
適当な場所にタオルを敷いて、柚子を寝かせる。
「後は……どうすればいいんだっけ」
オロオロと戸惑うハルに、
「はぁ、はぁ、……冷たい……タオルを……下さい」
朦朧とした意識で指示を出す柚子。
「冷たいタオルだな。分かった」
近くのタオルを数枚水で濡らして、良く絞る。
柚子の指示通り、タオルを頭、首筋、脇の下にあてて体を冷やす。
「はぁ、はぁ、……ありがとうございます」
「気にするな。それより、他に何か出来ることはあるか?」
「……水を」
わかった、とハルはコップに水を注ぐ。
「ほら水だぞ。飲めるかって、ちょっと難しそうだな」
荒い呼吸と、ハッキリとしない意識。
コップを傾けてみるが、上手く飲ませられない。
「どうしたもんかな」
「はぁ、はぁ……ハルさん……」
苦しそうな柚子。
頭をフル回転させ、手段を考えるハル。
そして、一つの結論に至った。
「やむを得ない、か。……柚子、許せ」
ハルはコップの水を、自分の口に含む。
そしてそのまま、柚子の口元へと持っていく。
ハルの口から、柚子へと水が移される。
世に言う、口移しであった。
ハルなりに考えた末の行動だった。
結果として柚子に水分補給できたのだから、成功と言えるだろう。
ただ、一つだけ問題があるとすれば、
「ハルちゃぁん。ご飯の時間よぉ」
第三者からこの光景を見られたら、かなりマズイという事だ。
床にはバスタオル姿の柚子が寝ている。
上気した赤い顔で、荒い呼吸。
そんな柚子に、覆い被さるように唇を重ねるハル。
こちらも腰にタオルを巻いただけの、裸同然の姿。
何というか、言い訳無用の状況だ。
「ハルちゃん……」
「ろ、ローズ。これは違う、違うんだ」
慌てて否定するハル。
その姿が余計に状況を悪化させる。
「柚子と一緒に温泉に入ったら、柚子がのぼせて……」
「一緒にぃ……入ったのぉ?」
墓穴を掘った。
ハルの言葉にしばし考え込むローズ。
そして、
「それじゃぁ、これは合意の上なのねぇ」
盛大に勘違いした。
「何でそうなる。ローズ、話を……」
「いいのよぉ、ハルちゃん。全部察したわぁ」
何故か優しい笑顔で首を横に振るローズ。
「無理矢理じゃなければぁ、私は何も言わないわぁ」
「思いっきり勘違いしてるって。俺はただ……」
「……ハルさん……もっと(水を)下さい」
柚子の言葉に、ハルは凍り付く。
ローズは納得したように一つ頷くと、
「みんなにはぁ、上手く言っておくわぁ。だからぁ、ごゆっくり、ねぇ」
世話焼きのおばさんのように、手を振りながら出口に向かう。
「ちょ、待って。待ってくれ~」
そんなハルの必死の叫びも虚しく、ローズは脱衣所から出ていってしまった。
静まりかえった脱衣所。
「ローズ……信じていいんだよな」
ハルの呟きに答えるものはいなかった。
ほとんどギャグ要素のない話になってしまいました。
柚子の話はどうしても暗めになってしまうので、勘弁して下さい。
一人語りも入り、読みづらくなってしまいすいません。
次回も温泉旅行の続きです。
よろしければ次回もまた、お付き合い頂ければ幸いです。