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07ヨルムンガンド

 精霊に導かれるままに指し示めされた羅針盤の針は、ある一点で止まっている。ここまで来たらもう迷うことはない。この先にあるのは――大地に渦巻く生命の潮流――妖精が集い踊る、幻想の舞踏会。

 ――そう、フェアリーリングである。


「ちょっとファルってば……大丈夫――?」

「う、ぐう……」


 荒波の如くうねりくる魔獣の襲撃を乗り越えて、大樹海をただひたすらに進んできた、わたしたち一行――なんだけど……。

 ファルは少しばかり、乗り物に酔ったみたい。乗り物とは言っても、そこはそれ、わたしが直接操る精霊さんの風だから――その些か乱暴な我流の操風術によってファルの三半規管は、ずいぶんと掻き乱されたようだ。

 時化の波間に漂う小舟のように翻弄されてたからね。あの子。

 でも、わたしとリリちゃんは全然、なんともないのに。全く、だらしがないんだから、ファルは――。


「いやいやシアもリリ姉も、なんで平然としてんだよっ、あの絶えずふわふわってしてるのが、延々と続くのはさっ――もう、きついったらないってっ」


 血の気の失せた白い顔をしたファルが大の字になって草の上に倒れていた。

 その隣で甲斐甲斐しく介抱するリリちゃんの膝枕に頭を乗せて、うんうんと唸っている。ファルってば、ほんとに気分が悪いみたい。

 ――ごめん、ファル。

 わたしは精密な風の制御っていうのが、まだまだ得意じゃない。というか、苦手だ。安定感を犠牲にして速度のみを追求した、わたしの心意気――いや、わたしの至らなさが引き起こしてしまった悲劇なんだよ、これは。

 そう、やむを得ないことだったんだよ。うん。……分かったよ。わたしが責任をもって先の様子を見てくるよ。なんだよ、そのじとっとした目は――。ファルはリリちゃんと休憩しててよ、もう。

 ……ちょっと気になることもあるしね。



 ◆



「リリちゃんリリちゃん――」


 小さくてもよく響く、わたしの声を――精霊の風に乗せて、少し離れた場所に居るリリちゃんに呼びかける。


「見つけたよ。あれが、捜してたフェアリーリングで間違いないよ。精霊さんもそうだって言ってるみたいだし。――あとね、リリちゃん。なんか余計なものまで見つけちゃったみたい」


 すぐに細身の肢体をしなやかに動かして、リリちゃんが音もなく側まで歩みよってくる。リリちゃんもすでに気がついているせいか幾分か緊張した面持ちだ。

 わたしたちの目の前には、木々が途切れてできた広大な円形の空間――刺々しい針葉樹に囲まれた半球状に抉れた盆地のような地形が広がっている。


「――なんか、これまたでっかいのがいるね、リリちゃん」

「そうね、シア。大きいわね、あれは」


 その崖の淵に立ち眼下を見下ろすわたしとリリちゃん。斜面を吹き上がる風にさわと揺れる枝葉。

 強い日差しに熱せられた盆地の底には逃げ場なく澱んだ、空気と陽炎。

 その中に溶けこんだ、むせかえるような植物の匂いが鼻腔を刺激する。

 堅牢な高い崖に包囲された目にも鮮やかな緑あふれる聖域。そこに広がる同心円状に配置された三つの輪。外側の最大のリングは底辺いっぱいに円を描いている。そして、その中央の、一つ目の円の中に当然のように鎮座しているのは――。


「んんっ、きらっきら、派手派手の――大蛇?」

「多分あれは、蛇の魔獣のヨルムンガンドだと思うんだけど。……あんなに巨大に成長した個体は、今まで見たことも、聞いたこともないわ。基本的に人を襲うことのない大人しい魔獣なのよ。でもこれはどうかしら――」


 白金に輝く光沢ある鱗に全身を覆われた大蛇。その煌びやかな見た目と度を超した大きさのせいで、すごく目立っている。


「大人でも簡単に丸呑みできるよね、あれ――」

「普通は大きくても十メートルぐらいの長さで、胴回りもあんなに太くなることはないのよ。森でたまに見かける時だって、精々二メートルぐらいの大きさで丸呑みできる獲物も小動物ぐらいしかいないのよ」

「じゃあ、やっぱりさ、リングの影響であんなに立派に育ったんだよね。どうみても三十メートル以上はあるよ、あれ」

「そうね、ここのリングがこんなに大きくなったのに未だに森に飲みこまれることなく無事なのは、あのヨルムンガンドがここの魔素を吸収し続けているからだと思うわ」


 眼下に位置する植物の楽園――フェアリーリングには魔素が満ちあふれている。そこでは、その潤沢な魔素によって影響を受けた、ありふれた薬草でしかない紫キタブが希少な霊草である銀キタブに変異しているはずだ。あとはそれを探し出して採取するだけなのに、邪魔するように立ちふさがる予定外の障害であるヨルムンガンドという存在。これをどうにかするには思い切って覚悟を決めて、近づいてみるしかないのだ。



 ◆



「ファル、もう着いた? とりあえず、わたしが近づいてみるから、ファルは気づかれないように様子を見ながら後ろに回って待機していて」


 ファルは崖の半円に沿って反時計回りでヨルムンガンドの背後にある岩場に向かって移動している。クレーター状の窪地はほぼ円形の地形だ。


「わかった、無茶するなよな」

「勿論だよファル。安心して、わたしに任せておきなさいって。リリちゃんは援護をお願いね」


 わたしは傾斜の緩やかな箇所を選んで崖を降りていく。リリちゃんは上に残って全体を俯瞰できる位置から作戦の指揮をとる。作戦といっても、わたしが囮になってヨルムンガンドを引きつけて、その隙にファルがキタブを採取するっていう――最早定番の、おなじみのやつ、なんだけどね。


「よっと。フェアリーリングに無事に到着っと」


 背の高い草が地面を覆っている。上から見えていたフェアリーリングもヨルムンガンドも、わたしからは見えなくなった。

 囮であるわたしは別段、姿を隠すこともなく、がさがさと草を掻き分けながら、正面から堂々と近づいていく。――大人しい魔獣っていうなら、近くで薬草取ってるだけなら見逃してくれるはず。第一、わたしには敵意も害意もないし。蛇も嫌いじゃないしね。いくら巨大化したからって、それだけで狂暴になってるってこともないよね。うん。


「シアっ、気をつけてっ、毒霧を吐くわっ」

「ええっ!?」


 中心への目印である大蛇まで、残り五十メートル付近にさしかかった所でリリちゃんからの警告が届く。変な虫を眺めてる場合じゃなかった。この草場にはなんか、たくさんいるんだよね。

 ヨルムンガンドは毒蛇だ。咬まれるのは勿論、霧状にして散布したものを吸いこんでも毒に犯されてしまう。致死毒じゃなくて、全身の筋肉が麻痺する毒らしい。それにしても――。


「いきなり毒吐いてくるって、なんだよ、もう!」


 わたしの意思に反応して周囲に存在する魔素が急速に凝縮し飽和すると魔力に変換されて出力される。

 この魔力を精霊を介して入力することで展開される魔術の力を帯びた風によって構築される障壁――そこに青白い透明な液体が放射状の霧となり吹きつけられる。変な虫が次々に地面に落ちていく。あの、ぴかぴか大蛇のやつ。どうみてもこちらに対して全然、友好的には見えない。そんな態度の悪い馬鹿みたいに、きっらきらの大蛇に、わたしは――。


「リリちゃん、あの蛇は無理矢理にでもあそこから引き剥がすよ」

「仕方ないわね。……それにしてもヨルムンガンドは温厚で無害な魔獣のはずなのに、どうしたのかしら――」


 頭上で鳴り響く空気を切り裂く鋭い音――ヨルムンガンドに向かって、リリちゃんから精霊の矢が放たれる。――さすがリリちゃん。即断即決による容赦のない報復攻撃。高所からの一撃に注意がそれた隙に、わたしは風を纏ったまま、さらに精霊さんにお願いして爆発的推進力を得ると敵に向かっての突進を開始する。


「ファルはまだ待機しててっ、とっ、そうだ、毒があるか――」


 ファルとリリちゃんにも風の障壁を纏わせる。

 これで毒霧を吹き飛ばしても大丈夫だ。わたしは一息の間に愚かな毒蛇の目の前まで接近する。――間近で見ると余計にその大きさが分かる。白のような金のような見る角度によってうつろう、なめらかな光沢のある神秘的な鱗。無機質で冷たい印象を与える金色の瞳を持つ魔獣。

 その眼前に突如として現れたわたしを威嚇するように、鎌首をもたげて、不気味な口腔音を響かせるヨルムンガンド。

 そこに一直線に弧を描いて、矢が飛んでくるが金属のように硬質な鱗に簡単に弾かれてしまう。

 しかしヨルムンガンドはその姿の見えない遠距離攻撃に対して、怒りに染まった目を見開き鋭利な牙をむくと、苛立たしげにその身をくねらせる。


「気をつけて、シア。毒や牙だけじゃなくて、尻尾を鞭のように使って攻撃してくるから」

「うん、分かった――よっ、と」


 早速の尻尾による奇襲攻撃を、ひらりと飛び越えて回避する。大きく回りこんでくる死角からの一撃に、地面が三日月状に抉れて、刈りとられた草と土埃が一斉に舞い上がる。

 わたしは正対するヨルムンガンドの左側に走りこむと、この無駄にでっかい巨体を吹き飛ばすことができるような凶悪な暴風が吹き荒れる光景を想像した。

 いつにもなく強くこめられた純粋で破壊的なわたしの想い――その精霊に対する信頼と願いに、狂喜乱舞して応える風の精霊。

 ヨルムンガンドに向かって構えた、わたしの右手を起点にして水平方向に渦巻く螺旋の気流が発生し、その強烈な力によってヨルムンガンドを瞬時に崖下まで吹き飛ばしていく。

 そしてその勢いのままに容赦なく岩壁に叩きつける――と、同時に轟音が辺り一帯に轟き、森から空に向かって、たくさんの鳥が飛び立っていく。

 意識をあっさりと刈り取られた魔獣は半ばまで落石に埋まりながら、ぐったりと伸びていた。



 ◆



「リリちゃん、なんかここの草の下にいっぱい卵があるよ。これって、あの蛇の卵だよね? ヨルムンってば、この卵を守ってたのか――」

「ヨルムンガンドがいつになく攻撃的だったのはその卵のせいね。きっと他の魔獣にも狙われていたんだと思うわ」

「リリちゃん。わたし、悪いことしちゃったかな?」

「――リリ姉っ、シアっ、そんなことよりほらっ、これっ、銀の葉っぱのキタブがいっぱい、いっぱいあるってっ、ここっ! やったぁっ!」


 遠くの方で興奮したファルがキタブをすごい勢いで、摘んでいる。

 わたしはリリちゃんにヨルムンガンドの監視を任せて、卵はそのままにしてファルのキタブ採取を手伝うことにする。一面を覆う緑の草に混じって繁殖する紫の葉のキタブと、それが変異した銀の葉のキタブが確かに所々に隠れるように生えている。

 喜色満面の笑みを浮かべながら楽しそうに薬草を採取するファルを見ているうちに、なんだか胸が熱くなってきて、わたしの心も心地よい温かさで満たされていく。

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