06ベスティア・クリスタリウム・クリスタリゼーション
「この石はね魔獣の体内で生成される魔素の結晶――学術名ベスティア・クリスタリウム・クリスタリゼーション――通称〈ベスティア結晶石〉と云われる魔石の一種なの」
琥珀色――透明感のある黄褐色というよりは、不透明の黄橙色――の、大部分にくすみのある、水晶型の魔石。
それが、リリの纏う白いローブの下からのぞくほっそりとした指先――その華奢な手のひらの真ん中で鈍い光を放っている。
ヴェズルフェルニルの強靭な肉体の軟らかい部分――腹の下を切り開いて、血に塗れながら探しあてた戦利品だ。
勿論回収してきたのはファルである。
――だって、だって、わたしには、リリちゃんから弓術の極意を伝授してもらうという、大事な稽古があったのだから。
本音は。
……魔獣の解体なんて物理的に触るのも嫌だし、精神衛生上よくないと思うし……。わたしには無理だよ、無理。
なんだけどね。
にゃは。
小川の水で魔獣の血を綺麗に洗い落としてから三個ある魔石を一個ずつ分け合う。はしゃいでるのが一人いるので――。
ファルには一番大きいものを譲ってあげた。
――べ、別に、うしろめたいからじゃないからね。
なんでも魔導具の動力源として常に一定の需要があるのでギルドに持っていくと換金してくれるんだって。
買い取り価格は魔石の相場の状況によって変動する。
そのせいなのか――。
隣に座るファルは、しきりに光に翳して透かしてみては「純度は――」「大きさは――」などと、難しい顔をしてなにやら呟いている。
――この子ってば……。背伸びしたいお年頃――? ……仕方がないな――。
「ファル鑑定士、魔石の鑑定のほうは――?」
「品質はまあまあだな……ヴェズル――フェルニル? だったっけ……? だったから、だなっ、もっとすっごいっ、のをだな、期待してたのに……だな? ……あれ?」
頼りない鑑定士――だな。
品質を決める基準は、含有される魔力の質と量――透明度が高いものほど質が良く、大きいものほど量が多い。
ヴェズルフェルニルの魔石は一個で大人一人の三食分の食事代と一泊分の宿代を賄うことができるぐらいの価値がある。
ファルの話しを、要約するとこういうことらしい。
――ヴェズルなんたらいうでっかい鷹はわたしにとってのいい鴨になるんじゃ……。おっと、いかん、涎が。
このお金……じゃなくて魔石は――。
――魔素の結晶だよね……。ん、魔素の結晶……? うん、魔素の結晶……。んんっ、魔素の結晶――?
閃いたかも――。
ベルトのポーチ――どちらも型押しの幾何学的意匠と銀の装飾金具で素敵に仕上がっている――に、無造作にしまっておいた魔石を左手で乱暴に摘み出し右手に載せて軽く握る。
そして、想像するのだ――。
わたしの体内に存在するありったけの魔素――。
ぐるぐると渦巻きながら一ヶ所に纏まって――。
手の中にある魔石にどんどんと流れこみ吸収されていく――という、一連の場面を具体的に思い描くのだ。
ぎゅっと目を瞑り額に大粒の汗を流して「ぐぬぬ――」と唸っている異様な様子に――。
「ちょっ、どうっ、シアっ、うはぁっ――」
恐る恐る声をかけた、ファルの手が肩に触れたその瞬間――。
わたしの「にゃっはぁっ」という奇声と共に、勢いよく振り上げられた右腕が運悪くどこかにぶつかったのか、そのまま背中からひっくり返ってしまった。
――あっ、ファルごめん。
「あら、どうしたのシア――?」
額を両手で押さえて「むおおっ――」と呻きながら、右に左にごろごろと転がっているファルを横目に――水筒に水を汲みに行っていたリリが、川岸から戻ってきた。
「魔石を大きくしようと思って。えへへ――」
「理論上は、魔石の固有波長――ヴェズルフェルニルの魔素の性質に同調させたシアの魔素を流し込めば大きくできるはずよ。錬金術師の間では以前から研究されていて一定の実績もあるの――」
「リリちゃん錬金術って、すごいんだね――」
「でもねシア。錬金術で魔石を大きくするには、膨大な時間と莫大な資金が必要なの。そしてなにより魔術師としての才能がないと、魔石に魔素を流すこともできないわ。それに同じ大きさの天然の魔石に比べると価値が低くなるの、よほど高い品質でないと経費を回収して利益を上げることなんてできないのよ」
錬金術は未だ発展途上の研究分野だ。
正式に錬金術師として認められるには、錬金術ギルドからの推薦と国からの認定を受ける必要がある。
そのため世界にはいつの時代にも極少数の錬金術師しか存在しない。
一般的な錬金術を学ぶ見習いたちは理論錬金術学――予測に基づく理論の構築とその理論上での証明を主題にして研究している。優れた論文には国やギルドから実験用の助成金が支給され、そこで成果を上げることで一人前の錬金術師として認められていく。
希少な魔石や、高価な魔導具を多く必要とする難易度の高い実験を繰り返し行うには実力を示し続けるしかない。
――大変なんだね……錬金術師って。
錬金術における魔石の研究は、あくまでも知的好奇心――学術的探究心を満たすためのものであって、利益を得るために研究をしている訳ではない。
一部の高名な錬金術師による作品としての希少価値が高い魔石が蒐集家たちの世界で高額商品として取引されているぐらいだ。
錬金術師になるのは――ちょっと無理かな……。
「そうだぞシアっ、魔石を大きくするなんてさっ、無理だろっ。……でも、シアだったら……もし……できたら……でき、る……かも……」
ようやくのたうち回る状態から復活したと思ったら――そんなに痛かったのかな……?
赤くなった、おでこのまま、むんずと腕を組みながら木陰の下でうろうろしている。
なにやら善からぬことをたくらんでいる様子の――お子様ファル。
わたしも日陰に入って水分補給しよう。
シアちゃんの大富豪化計画は断念するしかないかな――。
ぐぐっと握りしめていた魔石をさっさとポーチにしまっちゃおうって思ってにぱっと開いた手のひらに載っているのは――翡翠色の水晶。
んんっ、なんだ――?
「リリちゃんっ、これっ――」
はい、これって差し出した緑色の魔石を手にして、まじまじと観察しているリリは驚いた様子で顔を上げてわたしの瞳を見つめている――。
「琥珀色から翡翠色に変化してるわね。――それに、くすみのある質の悪い石だったのにこんなに透き通った透明感のある上質な石に変質してるなんて……」
どうやら上手くいったみたいだ。品質の向上によって、価値も上がったはず。随分と容易に成功した原因はやはり転生者チートのお陰――なのかな?
「シアっ、これっ、ちょっと貸してっ」
いつの間にか忍び寄っていた――欲に目がくらんだ――強欲見習いのファルは姉のリリから奪取した魔石を手にして――。
鼻息も荒く、一心不乱に翡翠色の水晶石を調べている。「大きさは――」「透明感は――」などとまたまた大人ぶってるし。
自分の分の魔石と比較したりもしているけど、新しく判ったことは一つだけ――大きさは変わってないってことだけだ。
大きくなあれぇって思いながらだったら大きくなるのかな。
もしできるんだったら錬金術師として、立派にやっていけるのかも。
元々、わたしは「お家大好き家猫ちゃん」だったし、錬金術師として一日中屋内での研究者生活でもぜんぜん大丈夫だし。
わたしがそんな引きこもり生活を妄想――夢見ている間に。
結局ファルにはちゃんとした鑑定はできなかったみたいで、リリちゃんにえいっと丸投げして「どう――?」「どうなの――?」と、しつこく訊いている。
「これ以上は、ギルドにある専用の魔導具で鑑定してもらわないと駄目ね――。でも、そうね……小さくても、これぐらい上質な魔石なら、少なく見積もっても三倍の価値はあると思うわよ――」
リリの言葉を聞いて、狂喜乱舞する猫耳弟くん。落ち着かせるために、二人の分の魔石も上質化してあげることを約束する。
――ほんとにできるかどうかはしらないけどね。……適当に想像して、ただ叫んだだけだし。
わたしの錬金術の才能については二人の目的を無事に果たして、村に帰ってからの話しだと――ファルにはしっかりと言い聞かせておく。
このお子様ったら目的の優先順位を思いっきり間違えちゃってるよ――。
まあ……。また襲ってきたら喜んでやっつけてやるけどね。魔石に罪はないんだし。