04リーリートゥ
「だからっ、こうぶわあって、風が吹き上がって、ごうごうって、森がざわめいてさっ、そしたらシアが、ふわあって空から舞い降りてきたんだよっ! だからっ……」
「だからってあんたねぇ、リーリートゥだなんて」
「――リリ姉っ、それにさシアって、あのガルムたちをすっごくむごたらしく、そしてっ、無慈悲に躊躇いなく生命を奪ったんだからっ。暗闇の精霊、リーリートゥそのものだってっ……」
ファルはお子様だ。
昔話に出てくる――悪い子供はさらっていってしまうという――精霊リーリートゥが怖いらしい。さっきから姉のリリにむきになって訴えている。無慈悲に殺戮したのは精霊だってちゃんと説明したのに。ガルム――黒い大狼たちに与えた以上の衝撃をファルの心に叩き込んでしまったようだ。……一応、助けるために来たのに。
姉のリリに弟のファル。銀白の髪に瞳の姉弟。森林地帯で代々暮らす猫属のマウミュルク種だ。おっとりとした雰囲気のリリと明るく活発なファル。見習い冒険者の二人がどうしてこんな森の奥――姉弟の暮らすヴィズ村まで三日の距離――まで来てガルムに襲われていたのか――。
「なあなあっ、シアって結局何者なのっ? 肌が褐色だからさっ、南の大陸に住んでるっていう猫属だよなっ、なんでこんなとこに一人でいるのっ?」
「でもねシアの髪も瞳も綺麗なペールグリーンでしょう? これってキャトルフ種の特徴なのよね……」
「――キャトルフって白い肌だろっ、それにシアってさ、そんな偉い猫属様にはぜんっぜん、見えないしっ」
――だからっ、やっぱりリーリー……懲りずに暗闇の精霊シア説を主張するファルは放置するとして。記憶喪失で何も分からないの――で誤魔化したわたしはにっこり笑って黙って見ている。
あれからわたしたちは、互いに簡単な自己紹介を済ませると早々にその場を後にした。死骸の臭気に集まってくる魔獣に遭わないようにするためだ。
取り敢えず三人で一緒に姉弟が逃げる途中で置いてきた荷物の回収に向かった。その道行きでの姉弟の印象は――リリは礼儀正しくしっかりしてて、ファルは馴れ馴れしくうっかりしてた。――野営のための道具を無事に回収。森の北側――山脈のある方角に向かう。
そこに二人がここまでやって来た理由――危険を冒してでも手に入れたいものがある。勿論わたしも一緒に、だ。
「リリちゃん、ガルムはあのままでよかったの?」
「ガルムはただの獣だから価値があるのは毛皮だけなの。今は荷物になるから置いていくしかないわ」
「肉も不味いしなっ、それにシアが仕留めた奴は、なんか気持ち悪くて触りたくなかったしっ、あれが魔獣だったら、色々剥ぎ取れたのになあ」
だからあれは精霊さんの仕業だって言ってるのに――失礼な奴だ。わたしも一緒に行くって言ったら喜んでたくせに。
リリは危険だからって心配してくれたのに。
――シアは平気だろっ……てどういう意味だ。
……ヴィズ村に着いたら覚え、てろよ。
だけどその前に――リリとファルの求める――どうしても手に入れたい、あるもの。
精霊の霊薬――その材料である霊草キタブ。このキタブっていう薬草を見つけてからだ。
「フェアリーリングにあるっていう薬草なんだよね。それでさ、フェアリーリングってなにかな?」
「なんだよっ、シア。フェアリーリング知らないのかよっ、なんか輪っかの、なんかすっごいのが……こう、なんていうか集まってるみたいなところだろっ、確か……」
「フェアリーって妖精のことでしょう、精霊とは違う存在なのかしら?」
「妖精の輪って呼ばれているけど正しくは精霊の輪ってところね。精霊の存在を正確には理解できていなかった大昔の人々が――現象の原因として創り出した――妖精の仕業だって勘違いしたのがフェアリーリングの由来みたい。マウミュルクの間では――妖精の輪は精霊レーシーの霊域だって云われていて、実際に輪の内側の植物は特別よく育つの」
「えっ、リリ姉っ、妖精っていないのかっ? でも俺、妖精って見たことあるよっ、絶対いたって、いるってば……」
だいたいにおいて落ち着きがないファルが途端に大人しくなった。妖精さん架空の存在説に驚愕――動揺した挙げ句に意気消沈……である。
――にゃは。
口の端からつうと垂れる赤い果汁が血液のようで――面白い。なかなか斬新な心痛表現手段だ。
この毒々しい程、赤い果実は別名――ガルムアイズ。あの獰猛な大狼とはちがってこちらは小粒で可愛らしい。獣人たちの間でも人気の果実だ。――ほら、ファルもちゃんと食べて。
「キタブはねありふれた草なんだけど様々な症状に効く薬になるの。少しぐらいの傷だったら塗り薬ですぐに治るのよ。森で暮らすマウミュルクにとっては昔から怪我や病気の時にはお世話になっている大事な薬草なの」
キタブは森の至る所で繁殖する背の低い多年草だ。リリから、はいこれって手渡されたその薬草は小さな――ハート型の――紫の葉で微かに甘く香るハーブの一種だ。
強靭な獣人種にとってはこれがあるだけで医術師いらずの良薬になる。
そんなキタブでも――。
「――重い病にはあまり効かないの。でもフェアリーリングで育ったキタブだったら――精霊の霊薬だったら治せるって聞いて、だから、だから私達は……」
「リリ、姉。大丈夫だってっ、もうすぐ、すぐに見つかるから。フェアリーリングだってこれまでに、いっぱいあったんだからさ。銀色の葉っぱのキタブは絶対にっ、絶対っあるんだって!」
「――ファル……そうだよね……絶対あるよねっ」
野原に円環状に並んだ霊力を帯びた精霊の茸――俗信では妖精が輪になって踊った跡であるとされる――フェアリーリング。
胞子は同心円状に等間隔で拡散するため輪の外側に次々新たな輪が構築されていく。
大きな妖精の輪ができる頃、一帯に満ち溢れる生命力は飽和状態を迎え、植物の異常繁殖現象が引き起こされる。
野原に続々芽吹く草花は生い茂って咲き乱れやがては樹木に飲み込まれていく。
――忽然と姿を消す妖精の輪。
野原だった一角は目を離した次の瞬間には木々が鬱蒼と生い茂る森に溶け込み見分けがつかなくなる。
だから――。
リリとファルが探すフェアリーリング――捜し求める銀の葉の霊草キタブがあるはずの妖精の輪は、姉弟二人だけで広い森の中から見つけだすのは始めから不可能に近いことだったのだ。
それが分かっていたはずの二人はこの数日間――不安に押し潰されてしまいそうな――心に重圧がのしかかってくるような、そんな心理状態だったはずなのだ。
――そこでわたしの。
出番で、ある――。
リリは大地の精霊魔術を使って広大な森に点在する小さな妖精の輪を実に効率よく見つけだしていた。
さらに獣や魔獣を警戒するため――さらには戦いでも精霊魔術を使い続けたために精神的にも肉体的にも限界に近づいていたはずだ。
精霊魔術の行使には契約者の保有する魔力は不要ではある。全ては精霊が担ってくれる。
だが契約を媒介する魔術の行使は器であるリリ自身の状態――存在自体に精霊という存在が影響を及ぼすことになる。
リリという存在を満たす器に契約によって結び付き混じり入る精霊――その結び付きを強くし過ぎるような魔術の行使は契約者の精神性、肉体性を著しく消耗させることに繋がる。
でもわたしだったら――風と大地の聖霊の誓約者である――転生者シアだったら問題ないのである。
「――リリちゃんっ、ファルっ」
突然――背後から大声で呼びかけられて吃驚する猫耳姉弟。ただならぬ様子に恐る恐るふりむいたリリ、ファルの前には満面の黒い笑顔で仁王だちするリーリートゥ……。
鳴動する大地。震撼する世界。淡く輝く緑の髪が吹き荒れる風に舞い揺れ踊る。
「……暗闇の……女神」
「――姉ちゃんっ、姉ちゃんっ」
呟くリリ。
姉にすがりつくファル。恐怖におびえる小動物の様にぷるぷるふるえる姉弟に――。
「わたしに任せてっ、妖精だかなんだか知らないけどっ、一匹残らずこの手で掴まえてぇ、踊り狂わせてやるんだからっ!」
――女神の神託がくだった。