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第八話 菖と棗


扉の向こうは暗く、埃の匂いがした。


手探りでスイッチを探して明かりをつける。


……女の子の部屋だった。


間取りは八神の部屋と同じ。ベッドと机の配置も同じ。

ピンク主体の八神の部屋に対してこの部屋は水色主体だった。八神の部屋に負けない位にパステル全快だった。



……部屋の主は居なかった。



俺はどうしようも無い程の寂しさを感じた。

ベッド…綺麗に整えられた布団…しわ一つ無い。

机…丁寧に整頓された教科書や文庫本…学生の様だった。

八神の部屋より少ないぬいぐるみもカーテンもじゅうたんもテーブルも……


どれを見ても寂しかった…


綺麗に整頓されてはいる、綺麗過ぎるくらいだ。


しかし人の温もりが無かった、映画のセットみたいに『置かれた』だけ…ここにある全ての物の持ち主は居ない…


染み付いた埃の匂いがそれを物語っていた。



机の上に置かれた写真立て…吸い込まれる様にそれを取る。


八神が居た。八神のお母さんが居た。



もう一人……八神が居た。



入学式だろうか…見覚えのある正門が写っていた。

八神も…もう一人の八神も…制服を着ていた。

俺達の学校、久住ヶ丘高校の制服を着ていた。

笑顔のお母さんを挟み、二人の八神が同じ顔で笑っていた。


三人供幸せそうな笑顔だった。


でも……


何故か寂しい写真だった。



「――おい!何やってんだよ!」


部屋の入り口から怒声が響く。八神だ。

驚いて振り向いた俺の手から写真を奪い取る八神。


「…八神…この…部屋は?」


「うるせぇ!出ろ!出てけ!今すぐ出ていけぇ!」


金切り声を上げる八神、目に涙を溜めていた。

初めて見た八神の涙だった。


押し出される様に部屋から追い出されてしまった。


「――や、八神!」


あまりに唐突な八神の激昂に俺は着いて行けない。


「黙れ!帰れ!今すぐ帰れよぉ!」


八神の涙は溢れていた。

ぼろぼろと涙を溢しながら階下への階段に押し出してくる。


「待ってよ!八神!話を訊かせてよ!」


解らない事だらけで頭が全く着いて行けない。

この激しい八神の怒りの理由を知たかった。


「――喋んな…よぉ!訊くな…よぉ!……嫌…だよぉ!」


かなりの興奮状態の八神…苦しそうに顔を歪めている。いやいやと我が儘を言う小さな子供の様に泣き叫んでいる。


…結局、俺は八神の家から追い出されてしまった。


鍵を閉められ、携帯にも出てくれない。

店の方から入るのも躊躇われた。

仕方なく家に帰る事にする…



帰る道中…漕ぐ気力も無く、自転車を押しながら考える。


菖…


八神菖…


八神の双子の姉妹…


…間違いないだろう…


そして、あの部屋…八神の反応…


……………


八神菖はすでにこの世に居ない…


こんな推測は間違っているとは思うが、そうとしか思えない。


取り乱し、癇癪を起こしてしまった様に激しく怒っていた八神…

部屋に勝手に入ったのは悪いと思う。しかし八神が怒った理由はそれだけではない…


俺は踏み込んではいけない領域を侵してしまったんだと思う…


酷く…後悔した……








翌日。いつもの様に八神を迎えに来ていた。


八神の家の前、やはりいつもの様に八神のお母さんが待ってくれていた。

少し安心した。


「おはようございます」


なるべく明るい声でお母さんに挨拶をする。


「あっ…河本さん、おはようございます」


俺の声にはっとした様に挨拶を反してくれるお母さん。


「河本さん、なっちゃんと喧嘩か何かしました?なっちゃん先に行っちゃったみたいなんです」


困った様な不安そうなどちらとも取れない様な顔で言う。


「えっ?」


「昨日もずっと機嫌が悪くて…何か知っていますか?」


何てこった…

謝らせてもくれないつもりだろうか…


どうする?お母さんに菖の事を訊いてみるか?

それとも八神から訊くべきなのか?


……………


無理だ…訊ける筈ない…


「…えっと…ちょっと怒らせちゃったみたいで…すいません…」



全てが俺の推測…実際どうなのかは解らない…

しかし俺は八神の領域を侵してしまった。八神を傷付けてしまった。

友達なのに…初めて出来た好きな女の子なのに…


浅はかな発言をしてお母さんも傷付ける訳にはいかない。


「そうなんですか…ふふふ…なっちゃん強情だから大変ですよ」


微笑ましく受け取ってくれたのか、ほわりと微笑むお母さん。


良かった…








そして学校…


俺は昼休みまで待ってJ組に来ていた。


俺に嫌な視線を寄越すJ組の生徒を縫って八神の席に行く。



八神は机に突っ伏していた。


寝ているのか?


「…八神…八神?」


恐る恐る声を掛けてみる。

反応は無かった。少し声を大きくしても同じだった。


俺の声を聞いてか、周りの視線が集まっている。


まるで汚物でも見る様な酷い視線だった…昼休みの為か教室には半分位の生徒しか残っていなかったが全員が冷たい視線を向けてくる。

『よそでやれよ』『飯が不味くなる』『迷惑だって解れよ』『っていうか学校辞めろよ』

実際どう思っているかなんて解らないが、誰もが眉をひそめてひそひそと俺達の事を話している様な話し声…恐らく的は射ていると思う。


同じ歳のクラスメイトにここまで酷い仕打をしてしまうものなのだろうか……


居た堪れなくなった。不安で教室に居る全員が怖くなった。


「八神!起きてくれ!」


不安と恐怖で押し潰されそうになり、八神を揺り動かしながら声を荒げる。


「……やめろや…」


「えっ?」


起きてくれたらしい八神の呟きは久しぶりに聞いたドスの効いた声だった。

一瞬安心したが軽く呆気に取られてしまう。


「――触んなや!ウザいんじゃ!おめぇはよ!」


八神の叫声。


俺を含めた教室の全員が唖然としてしまう。


「おめぇ!さっきから慣れ慣れしいんだよ!面倒くせぇヤツがあたしに気安く触ってんじゃねぇよ!いい加減キモいんだよ!」



地獄に落とされた気がした。



激昂する八神は俺を罵るばかりではなく、親の仇でも見る様に目を血走らせている。


「や、八神?」


「気安く呼ぶなや!いい加減ウザいって言ってるだろが!マザコン!」


「――な!」


八神の言葉が俺を射抜く。


静まっていた教室にざわめきが戻る。

ひそひそと俺の陰口を囁く声が聞こえる。


自分の教室で感じたそれよりも、先ほど感じたそれよりも…大きな孤独感に襲われた。


怒りは無かった。


ただ…悲しかった。


確かに八神は口が悪かった。…でも八神の言葉で本当に傷付いた事なんて無かった。びっくりしたり苦笑する事はあっても傷付いた事は無かった。


さっきの言葉はきつかった…


別に自覚してるし、特別恥だとは思わない。

けど八神の口からは聞きたくなかった…


だから…悲しかった…


「何やん…その目は…あたしの事好きなんじゃなかったのかい……は!幻滅したかい?ざまあないね!ははは!」


追い討ちを掛ける様に俺を罵る八神…


「〜〜あ〜!気分悪いわ!おめぇが消えないんならあたしがが消えるわ!」


八神は荒々しく立ち上がるとすたすた教室から出ていってしまった。


取り残された俺…


周りからはなおも続く俺を罵る囁き声…


俺はもう崩れ落ちそうだった…








夜…

あの後。俺は無気力のまま残りの学校を消化し、放心状態のまま、自宅に帰り着いた。

母さんの作ってくれた夕食も喉を通らず部屋に引き込もっていた。


時間が経っても気分は少しも回復してくれなかった。恥とか外聞とか怒りとか明日の心配なんてどうでもよかった……


ただ…悲しいだけだった……



ピリリリリ


静かな部屋に響く電子音。

俺の携帯が鳴っているらしい…


八神の顔がちらつく…

気だるいまま携帯を開く。


着信 杉山剣二


ケンジだった。


「……もしもし…」


無視したいとも思ったが自然と通話ボタンを押してしまっていた。

ケンジの声が聞きたかったのかもしれない。


『リュウ…聞いたぞ…何かJ組で凄い事になっちゃったらしいじゃないか…』


俺を気遣う様にケンジの声は和らかい…

少しだけ救われた気がした。


『お前には違うと思っていたんだけどな…』


???


「…どういう事だよ?」


『八神の事だよ…』


八神の事?


『前にも言ったろ?八神は全校生徒の嫌われ者だって…八神の噂はいろいろ聞いていたけどさ、はたからお前と八神を見てるとお前には対しては違うかなぁって…思っていたんだけどな…』


「……なぁ…八神はどうしてそんな『全校生徒の嫌われ者』なんてものになっちまったんだ?」


理由がある…それは間違い無いと思う。

ただ性格が悪いだけで全校にまで噂が広まる筈がない。


正直知りたくはなかった…


でも今日の事があって俺は八神が少し信じられなくなってしまったのかもしれない…


理由が欲しかった。


『…俺も噂で聞いた程度なんだけどな…』


やはりケンジは知ってるらしい…


俺が余りにも疎かったため知らなかっただけで恐らく全校の生徒達のほとんどが知ってる事なのかもしれない…


『八神には双子の姉が居たんだよ…』


やっぱり…


俺の思った通りだ…


そして『居た』…過去形…


これも…


『八神姉妹は一緒にクズ校に入学してきた…美人の双子ってかなり有名だったんだ。元気で明るい姉の菖…静かでおとなしい棗…二人供かわいくて全校でも凄い噂だったんだぞ』


全然知らなかった…

っていうか八神が静かでおとなしい?


『まぁお前は知らなかっただろうけどな…俺はわざわざ見物に行ったりして何度か姉妹揃った所を見た事があるぞ。いつでも二人一緒に居て確かに見ているだけで癒されちまう様な二人だった』


「……菖はどうして?」


どうしても気になってしまうのはそこだった。


『……交通事故だ…下校途中に車に撥ねられたらしい…去年の今頃だったと思う…棗も一緒だったらしいけど棗は無傷だったらしい…』


「…………」


言葉が無かった…


八神がちらつく…八神のお母さんがちらつく…あの部屋がちらつく…


『…結局…菖は助からなかったんだが…問題はその後なんだ…』


???


何だ?話してくれようとしているケンジには悪いが…


聞いてはいけない気がする…


『酷かったらしい…菖の為にみんなでした黙祷中に笑いだしたり…誰もが悲しんでいる中で一人元気にはしゃいでいたりしたらしい…』


「…えっ?」


『おとなしかった棗と違って元気だった菖は友達が多かったらしい…みんな悲しんでいたらしい…けど棗は泣いてるヤツを見付けては罵ったりしたらしい…』


「そんな筈あるか!八神がそんな事する筈ねぇだろ!」


俺は叫んでいた。ケンジの話が信じられなかった。


『…本当らしいよ…現に今八神が嫌われているのが何よりの証拠だ…』


冷静に…俺に言い聞かせる様に言うケンジ…


「…そんな…」


『話を戻すと…八神が嫌われた理由ってのは…全部菖の友達が広めたものなんだ…姉妹なのに酷い…亡くなった人に何て事を言うんだ…人の心が無いのか…みんな口々に八神を嫌う様になったんだ…』


「…八神…」


俺は納得してしまっていた。


八神をかばう言葉が出てこない…


『…あの性格も合まって今じゃ全校生徒の嫌われ者って訳だ…』


「…ケンジ…俺は…」


今となってしまっては俺にはケンジしか居なくなってしまった…


情けない声でケンジにすがってしまう。


『…大丈夫だよ…お前が八神みたいに嫌われたとしても、俺はお前の友達は絶対にやめない。っていうかお前が嫌われる理由なんか一つも無いぞ?』


「…ケンジ…」


俺の親友は最高のヤツだった。


『とにかく…切り替えろよ?俺がいくらでもフォローしてやるから明日もしっかり学校来い!いいな?』


「…うん」


じゃあ明日と挨拶を交して電話を切る。



……………



ケンジには感謝で一杯だった。



納得できたと思う…



でも…



俺は一つだけ引っ掛かっていた…



……八神の涙だった…



菖の部屋から追い出された時に見た八神の涙…



あれはケンジの話していた事に全く結びつかない……



泣いていた八神の顔がちらつく……



……八神に会いたかった……




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