最終話 厄災治まる
いつも手を繋いでいた。
二人は一卵性の双子、産まれた時からずっと一緒だった。
一緒に居るのが当たり前だった。
一緒に居るのが大好きだった。
お母さんは家のお店の女将さん。
お父さんは長距離トラックの運転手さん。
お父さんは早くに亡くなってしまったけど、その共働きの両親のお陰であたし達姉妹はいつでも一緒だった。
元気で活発な菖…
内気で根暗なあたし…
勉強も運動もあたしより出来た。
同じ顔だったけどあたしよりかわいかった。
元気なお姉ちゃんには友達がたくさん居たけど、根暗なあたしには友達が一人も居なかった。
お姉ちゃんの友達と一緒に遊ぶ事はあっても、あたしはお姉ちゃんのおまけだった。
居ても居なくてもいい様な存在だった。
………別に良かった。
お姉ちゃん…菖が一緒に居てくれれば…
それで良かった…
『菖…無理してあたしと一緒に居る事ないよ…あたしみたいな暗いのと一緒に居ても面白くないでしょ?』
いつだったか訊いた事がある。
繰り返す日常であたしは卑屈になっていたのかもしれない。
『そんな事ないよ、棗は優しいよ?』
即答だった。
心が軽くなった気がした。
いくら自分で考えない様にしても、あたしの考え方はいつでも後ろ向きだった。
菖に迷惑を掛けているのではないか?
あたしが居ない方がみんな楽しいんじゃないか?
でも、菖は嘘を言わない。
だから嬉しかった。
胸の支えが取れた気がした。
優しい菖はあたしの自慢だった…菖の妹である事が自慢だった。
周りのみんながあたしの事をどう思っていてもいい…。
何よりあたしが菖の側に居れる事が一番大切な事だった。
幼稚園からずっと登下校は一緒だった。
元気な菖はいつでもあたしの手を引いて連れ出してくれた。
どんな時でも一緒に居てくれた。
あたしなんかと一緒に居ても面白くないだろう、でも、菖はあたしの手を放さなかった。
不思議だった…。
なぜ菖はあたしと一緒に居てくれるのだろうか?
『私は私。棗は棗。みんながどう思っていても、私は棗が棗だから好きなんだよ?』
何気無く言った菖。
当たり前の様に言ってくれた。
…嬉しかった。
菖にとってはその事実が自然である事が伝わってきた。
だからこそ、余計に嬉しかった。
全く同じ顔の菖だけど、あたしに無い全てを持っていた。
菖はあたしの憧れだった…。
その菖があたしを好きだと言ってくれた事が、心から嬉しかった。
菖はあたしにとって全てだった。
その日も手を繋いでいた。
学校帰り…その日はいつも元気な菖が大人しかった。
気にはなったけど繋いだ手の温もりだけで十分だったあたしは何も言わなかった。
『…棗…私…好きな人できた…』
あたしは菖の突然発した言葉の意味が判らなかった。
『…この前ね…学校の廊下でぶつかっちゃった男の子なんだけど…その…かっこよくて…優しい人だったんだ…』
世界が暗転した。
男の子?
あたしじゃないの?
『その時はかっこいいなぁ位にしか思わなかったんだけど……気が付いたら、いつもその人の事考えてて…』
菖が何か言っているけど、あたしはショックで固まってしまっていた。
『…同じ一年生で…クラスは別……自信無いけど…私…明日…告白しようと思ってるんだ…』
告白?
意味が判らない…
顔を真っ赤にして言う姉はあたしを見ていなかった。
あたしを見ているけどあたしを見ていなかった。
菖の中にもうあたしは居ない…
『その人…河本竜い――って、棗?』
菖の話が終わる前にあたしは走り出していた。
いつでも繋いでいた手を振り払って…
嫌だった。
一人になるのが嫌だった。
菖の中にあたしが居なくなってしまうのが怖かった…
菖の話を振り払う様に夢中で走っていた…
そう、夢中だった。
その時、耳を劈く様な大きな音が聞こえてきた。
最初は異常に高音の耳障りな音…
急ブレーキの音?スキール音だっけ?
一瞬を挟んで低音の鈍い大きな音…
何かがぶつかった音?
何が?
音はあたしの走って来た方向から聞こえた。
菖は即死だった。
「―――ぅあああぁぁぁ!!!菖ぇ!あやめぇぇ!!」
堰を切った様に…いや、そんな生易しいものではない。
決壊した巨大なダムの様に溢れていた。
涙だけでは無い。
棗の感情が溢れていた。
俺の胸に顔を埋め、俺の制服を力強く掴み、最早、叫声と化した声を上げ、泣いていた。
「…棗…」
言いたい事はたくさんあった。
でも、俺の口は開かなかった…。
俺は軽く見ていたのかもしれない…。
狂った様に泣き叫ぶ棗に掛ける言葉が見付からない…。
いや、そんな言葉を俺は知らない…。
「…あたしが…あたしが手を離したから…!あたしのせいなんだよぉ!」
「…………」
事故の時の事を言っているのだろう…
お母さんは言っていた。
棗は菖の死を自分のせいだと思っている、と…
実際、棗は自分自身を嫌悪する様に言葉を紡ぐ…罪の告白の様に言葉を紡ぐ。
「あたしが…あたしが死ねばよかったんだ…」
「…………」
コイツは馬鹿だ…
棗にとって菖の死は果てしなく重い責であるのだろう。
でも、お母さんはこうも言っていた。
そんな筈ない、と…
棗が流す涙の意味。
菖の為だ。
人の死を嘆くのはその人が大切だからだ。
目の前で激しく慟哭する棗………十分だ。
…言葉は知らない。
だから俺は抱き締めた。
肩に置いていた手を背中に回し、引き寄せる。
はっきり言って女の子とここまで密着したのは初めてだ。
奥手の俺は女の子と手を繋いだ事も無い。
棗を送迎していた時の密着とは違う。種類が違う。
でも、こうするべきだと思った。
躊躇いも無かった。
棗の反応は薄い。
でも、嫌がる様なそぶりは全く無い。
俺に身を任せる様におとなしい。
「…竜一…あたしと一緒に居ると…迷惑?」
聞こえるか聞こえない位の小さな声で棗が呟く。
「全然」
即答する。当然だ。
「みんなに…嫌われちゃうよ?」
俺の胸の中で小さな棗が小さな声を再び洩らす。
「別にいい」
考えるまでも無い。
俺は棗が好きなんだ。告白する前はただ漠然と好きという感情だった。
今は違う。
いとおしい…と、いうのだろうか…一瞬でも離れたくない。
好きな女の子がこんなに苦しんでいたんだ。
守りたくなるのは当然だ。
俺の胸で小さくなっている棗。
もう涙は収まった様で、静かに俺に身を任せている。
安心してくれたみたいだ。
「…あのぅ、ちょっといいすかぁ?」
ん?
棗の声にしてはちょっと低い声だな。
棗はもっと高くて舌っ足らずのかわいい声の筈だ。
「おーい。聞いてる?」
「えっ?」
再度聞こえた声に意識がはっきりして、そちらを向く。
そして、驚く。ケンジが居る、っていうか、ケンジの後ろにもすんごいギャラリーが居る。二十人位居る。
「ええええええぇぇぇぇ!!」
俺的に有り得ない状況にかなり仰天する。
そりゃあ、もう驚くよ。
「もう予鈴鳴ったんだけど…」
申し訳なさそうに言うケンジ。
気付かなかった…
余程、自分達の世界に入っていたんだろう。
チャイムはおろか、周りのギャラリーにも全く気付かなかった…。
「…すまん、リュウ…かいつまんで話すけど、最初はお前の告白を止めようとした連中を俺が止めようとしたんだ…けど…その…すでに始まってて、…えっと…みんなで…傍観…しちまった…すまん」
目を反らしてバツが悪そうに言うケンジ。
…マジですか?
思わず、あんぐりしてしまう。
「…って、俺の告白を止めるって何だよ?」
とりあえず気になった事があったので聞いてみる。
「…今まではむかつくから言わなかったけど、お前…めちゃくちゃモテるんだぞ?」
「は?」
「お前…やっぱ知らなかったんだ…相当なんだぞ?…裏では『久住ヶ丘高校二年かっこいい男四天王の一人』とか言われてるんだよ…お前…」
「…な…なにそれ…」
裏って何だよ…
意味がわからん。
更にあんぐりしていると、本鈴が鳴り響く。
午後の授業が始まってしまった…。
「…八神…さん…」
後ろに居たギャラリーの女子の一人が棗に話し掛ける。同時にその女子もケンジと同じ様に俺に申し訳なさそうな視線を寄越す。
「…………」
俺の胸の中で小さくなっている棗は何も答えない。聞こえてはいるだろう。
「ひとつだけ教えて?どうして、みんなに嫌われる様な事をしたの?」
棗の慟哭をずっと見ていたのだろう…その女子は棗を気遣う様に優しい声で尋ねる。
「…………」
やはり棗は何も答えない。
…その女子の質問…
俺も知りたい。
絶対に理由がある。
この状況を利用してというより、今、答えなければ棗はずっと嫌われたままだ。
そんなの間違ってる。
「棗…俺も知りたい」
だから俺も正直に棗に尋ねる。
周りの他のギャラリー達も固唾を飲んで棗の言葉を待っている。
「…人が死んじゃうと…忘れちゃうんだよ…」
顔を俺の胸に伏せたまま呟く棗。
「…どんなに仲良しだった人でも…その人が居なくなれば、忘れちゃう…あたしのお父さんがそうだった…」
「…棗…」
静かに語る棗は痛々しい…周りのギャラリーも悲痛な表情で見守っている。
「…嫌だった…菖の事を忘れて欲しくなかった…あたしに菖の真似は出来ない…根暗だし…上手く喋れないし……でも…あたしと菖は同じ顔…あたしが目立てば菖の事を忘れないかもしれない……だから…みんなに嫌われよう…そう思ったんだよ…」
「…なっちゃん…」
質問をした女子が泣きそうな顔で棗を呼ぶ。
愛称で…多分この女子は菖の友達だったんだろう…棗の事も昔から知ってるんだ…
「それに…菖の事故はあたしのせい…!あたしなんか、みんなに嫌われてる位でちょうどいいんだ…!」
顔を上げ、先ほどと同じ様に自分自身を蔑む棗。
感情が振り返したか再び泣きそうな表情になる。
「…なっちゃん…違う…それは違うよ…あの事故の時にあっちゃんは一人だったんだよ?なっちゃんは悪くないんだよ?」
「えっ?」
優しく諭した様な返答に驚いたのは俺だった。
「嫌な風に広がっちゃった噂もあるみたいだけど、あの事故がなっちゃんに関係無いのはみんな知ってるんです。なっちゃんはその場所に居なかったんだから…」
どういう事だ?
「でも!あたしが手を離したから!逃げたから!」
「何があったのか分からないけど…あれは事故だったの…なっちゃんが悪い筈ない…それは、ずっと前からみんな納得していた…でも…」
話を切り、悲しそうな表情を更に強くする。
いや、どこか申し訳なさそうだ。
「優しかったなっちゃん…変わっちゃったと思ってた…!でも、違った…!……なっちゃん…ごめん…私達がもっと…なっちゃんの話を訊いてあげれば……ごめんね…ごめんね…」
感極まった様に涙を流す…
「…やめてよ!悪いのはあたしなのに!あたしが馬鹿だから!」
お互いに譲らない様に謝り、否定する二人。
やっぱりみんな知っていたんだ…棗の優しさを…
きっと…菖の優しさを想うと変わってしまった棗が許せなかったんだろう…
でも違った…
棗だって苦しんでたんだ…
誤解なんかじゃない…それほど菖の死は悲しい事だったんだ…
悲しい事実は消えない。
けど…棗が苦しむ事はない……
それだけは絶対に間違いない…
「リュウ…まぁ、その…良かったな」
側に来たケンジが言う。その言葉にいろんな意味の解釈をしてしまう。
「ああ…」
「とりあえず…みんなで怒られに行くか?」
怒られに行く。本鈴からは暫く経っている。授業なんかとっくに始まっている。
当然、先生に怒られる。
「…そうだな」
それはいいかもしれない…
なんとなく一緒に怒られるというのは仲間同士という気がする…
たった一人で怒られるのとは訳が違う。
棗はもう一人じゃないんだ。
とても悲しい事だと思う。
実際に菖を知らない俺がこう言うのは浅はかかもしれない。
でも、棗の苦しみは分かる。
百分の一かもしれない、千分の一かもしれない…
棗が好きだから…棗と一緒に居たいから…その苦しみが分かる…
分かりたい…
ん?
顔が痛いぞ。
ちょっと待て…これは回想だろ?
いや、夢か?
痛い、どんどん痛みが増し――
「―――痛てててててててててててて!!!!」
意識が覚醒する。
布団、俺の部屋、棗…うん、やっぱり俺は寝ていたみたいだ。
さっきのは夢だった。
ん?
「って、なんで棗が居るんだよ!」
俺の部屋に棗というオプションは無い。
狼狽えながら、にこやかな笑顔を携えた棗に問う。
「ぷふふふ。痛てて〜だってよ!ぷふふふ!」
目に涙を溜めて笑う棗…ほっぺたが異常に痛い…恐らく棗が悪戯をしたんだろう。
飽きれと怒りと嬉しさが込み上げてくる。
…嬉しさが大半ではあるが…
「ぷふふじゃないでしょ!どうして、ここに居るのか訊いてるの!学校まではまだ早い時間でしょ!」
でも、とりあえずはほっぺの痛みと合わせて『めっ』って感じで怒り気味に言う。
「だって…早起きしちゃったから…早く会い……」
はっとした様に言葉を切る棗…
みるみる顔が紅くなっていく。
早く会い………たい?
棗の反応から間違いないだろう。先ほど以上の嬉しさと恥ずかしさで俺の体温が上がる。
「…棗…」
優しく呼ぶ。
紅い顔もそのままに泣きそうな表情で見返してくる棗。ちなみに非常にかわいい。
朝7時に見つめ合う制服姿の棗とパジャマ姿の俺…
――ずがっ!!
「っはぶっ!?」
見つめ合ったまま、俺に棗のヘッドバッドが直撃した。痛い!
頭を押さえて蹲ってしまう。ちなみに棗も同じ体制になってる。
照れ隠しだろうけど何て事しやがる。
「ちっ」
何やら舌打ちみたいのが聞こえてきたので、そっちを見てみる。
「あ」
半開きになった部屋の入り口に居る母親と弟と目が合った。
「に、兄ちゃん…おはよう」
「リュウちゃん、おはよぉ」
バタン
引き吊りながら挨拶してくる弟といつも通りの笑顔の母さんを無視して扉を閉める。
「……はぁ……」
同時にため息…そのまま振り向くと痛みからか涙を溜めた棗がちょこんと座っていた。
それはもう非常〜〜にかわいい…かわいい…
あの告白からしばらく…
俺の告白を受け入れてくれた棗…最初は角が取れた様におとなしかったが、日を追うにつれ毒舌は復活し、ご主人気質たっぷりの棗に戻ってしまった。
告白しても、ご主人棗>下僕俺、の方程式は変わらなかった。
そして、学校だ。
今までとは全く違う。
棗を嫌うヤツがぱったりと居なくなった。
相変わらず毒舌を振り撒く棗に対して、みんな積極的に話し掛けて来る。
俺の告白の時の話は綺麗に全校に広まっていた。…多分あの菖の友達が広めたのだろう…
少しずつ…本当に少しずつだが、棗の友達が増えてきている。
「…おい、早く着替えろよ!いつまでその格好でいるんだ?」
棗の声に回想を中断する。
「あ、ああ。着替るよ…着替えますとも」
結局いつも通りの時間になってしまった様で、のんびりする間も無く学校へと出発する。
棗を後ろに乗せ、マイチャリを必死に漕ぐ。定番と化したこのスタイルに朝から俺の顔も緩む。
下僕の時と殆んど変わらないけど、変わってる。
俺も…
棗も…
周りの連中も…
「棗!」
後ろの棗に声を掛ける。
「…あんだよ?」
ぶっきらぼうに答える棗。
「愛してるぞ」
気持ちは本気だが、半ば冗談めいた口調で言う。
「――にゃ!なななな!」
後ろに乗っているので顔は見えないが、中々笑える反応をする棗。
「ははは!ちょっと飛ばすぞ!」
後ろでパニクってる棗も微笑ましく、自転車を漕ぐ足に力を込める。
「――わわわ!こら!竜一!ちょっと怖いよ!」
そう言いながら棗も掴んでいる手に力を込める。
学校に行くのが楽しみだ。
きっと棗も…
今、棗の携帯の電話帳の登録は15件である。