第十一話 決壊
毎日通う学校…
どうして行くかなんて気にした事なんて無かった。
…皆そうだと思う…
いい大学に入りたいから…
友達が居るから…
部活が楽しいから…
人それぞれの目的を持って毎日を送っているだろう…
八神……
目の前で一人ぼっちで膝を抱えている小さな女の子…
いったい何の為に学校に来ているのだろうか……
「よう…」
声を掛ける。躊躇いは全く無かった。
ぴくっと体を震わせる八神、こっちは向いてくれない。
「…うぜぇヤツが来やがった…」
顔を伏せたまま、ぼそりと呟く。
「…もう昼飯は食べたの?」
「…消えろ」
膝の上で組んだ腕越しに俺を睨みつけ、言う。
今までの俺ならたじろんでいたかもしれない…
……いや、違うか…
威圧的な態度を取っている様だが、今日の八神は少し弱々しい。
無理をしている様に思える。
ちょっと、むかついた。
「嫌だね」
きっぱり言い切る。
「ああ?」
顔を起こして明らかに怒った顔を見せる。
少しいつも通りになってきた。
でも、まだまだ。一ヶ月半もの間、八神を見てきた俺に言わせれば『いつもの』八神ではない。
やっぱむかつく。
告白する前に説教か?
いや、まどろっこしい。一緒にやってしまおう。
お説教告白だ。…自分で思っておいて何だが、かなり馬鹿くさい…でも、何か乗ってきたぞ。
「おい、棗!」
少し高圧的に言ってみる。しかも初めて呼び捨てにしてみる。
女の子を呼び捨てにするなんて生まれて初めてだ、ドキドキしてしまう。
「て、てめぇ!あに呼び捨てにしてんだよ!」
くわっと、目を見開いて怒りを露にする八神…いや、棗。
ふん、今日の俺にそんな顔してもかわいいだけだ。
「うるさいな、別にいいだろ。だいたいお前、無理してんじゃねえょ」
はっきり言ってやる。
「てめぇ!流してんじゃねぇよ!それに無理してるって何だよ!意味分かんねぇし」
俺の文句にムキになり始める棗。立ち上がり、人指し指でびしびししながら俺との距離を詰めてくる。
よしよし、棗も乗ってきたみたいだ。
「分かんねぇなら教えてやる。お前は寂しいんだよ!」
そうだ。
棗は刺々しく一匹狼を気取っていたようだが、そうではなかったと思う。
周りに攻撃的なのも、それの裏返しだと思う。
毎日一緒に居たから判る…
棗は生粋の寂しがり屋だ……
「はあ?寂しくなんかねぇよ!」
有り得ないという感じで言い返してくる棗…
押し付ける訳では無いが、分かってほしい…
俺…
お母さん…
きっとケンジも…
少しでも棗を気遣う人の心を理解してほしかった。
「あたしは一人で居るのが好きなんだよ!あたしの事なんかほっといて消えろって言ってんだよ!」
「嫌だって言ってんだろ!!!!」
「!!?」
俺の大きな怒声にびくっと体を縮こませる棗。
酷く驚愕の様子で目を丸くしている。
ぷっつん来て怒鳴ってしまった。
でも棗の言った『嘘』が許せなかった。
「…一人で居るのが好き?…ざけんな…じゃあ、どうしてここに居るんだよ…どうして俺が来るかもしれないここに居るんだよ…」
俺の怒声に脅える様な棗、後に続いた俺の静かな言葉にきょとんとしてる。
そうだ。自意識過剰かもしれないが、棗は俺を待っている様だった。
俺に見付けてほしくて…
学校の全員が怖くて…
隠れる様にここに居た…
棗を想えば想う程、そう思えてしまう…
「…嫌なんだよ…」
自分の口から発した言葉に胸の苦しみが増す。
何かが込み上げてくる。
「…自分勝手なのは分かってる…でも、棗が一人で居ると辛いんだ…棗が側に居ないのが辛いんだよ…」
驚愕の様子で俺の言葉を聴く棗。その表情が苦しそうな、困った様な、どちらとも取れない様な表情に変わる。
俺がこれから何を言うか分かってるみたいだ…
「…友達だから……いや、それだけじゃない……俺…棗が好きなんだよ…」
気のせいだろうか…
周りの喧騒が消えた。
「……バカ言うなや…笑えん冗談…言うなや…」
酷く苦しそうな困惑の表情の棗…
「こんな恥ずかしい冗談言うかよ…」
「……………」
うつ向いて黙り込む棗…
言わば返事待ちの俺も何も言えなくなってしまう。
お説教告白とは言ったものの説教自体は中途半端になってしまった。
俺と棗の間に秋風が吹く…
うつ向いている棗の表情は判らない…
人生初の告白だったが、やけにあっさりだった。
一向に喋らない棗…どうにも落ち着かない…
想像してみる事にした。
オッケーの場合。
『まぁ、しゃーないか!いいやん、付き合ったる。……か、勘違いすんなや!付き合うっても、下僕にちょっとだけ優しくしたる程度やん?ちょっと優遇したる下僕やん?』
こんな感じ?
……………
ごめんなさいの場合。
『ぎゃはははは!あに言ってやがるぅ!キモメンが真面目っ面でキモい事言うなや!寝言は寝て言えっての!寝言は寝て言えっての!ぷふふふ、二回言っちゃった…ぷっ…ぎゃはははは!』
ちょっと泣きそう…
アホな想像をしていたら、更に吹き付ける風の冷たさが増した。
うつ向き、黙り込む棗に視線を戻す。
「……どう…して……どう…して…優しく…するんだよ…」
…独り言の様に呟きだす棗…
「棗?」
問い掛けるとゆっくりと顔を上げる棗。
………泣いていた。
小さな子供みたいに…
おねだりを受け入れてもらえない小さな子供みたいに…
泣いていた…
「優しくするな…よぉ……!なんで…嫌って…くれないん…だよ……!」
絞り出す様に…苦しそうに…でも、どこか安心した様に…言う。
「…棗…」
「…お前、おかしいよ!嫌な事いっぱいしたのに…!酷い事いっぱい言ったのに…!」
瞳に涙を溜めたまま、これ以上無いくらいの困惑を見せる棗。
「…そんな事ないよ…棗は優しいよ」
―そんな事ないよ、棗は優しいよ―
「…!!」
???
俺の言葉に驚く棗。
「棗?」
「…やっぱり…あたしに…そんな資格…無い…」
見た事無い棗の表情…
いや、表情は無い…無表情…
それも違う…
全てを諦めた様な絶望的な表情…
そんな表情を知ってる訳では無いが、棗の表情からは、そう感じ取れた。
「資格?資格って何だよ?」
「あたしは…菖の幸せを奪ったんだ……あたしに友達を持つ資格も…おめぇに優しくされる資格も…無いんだ…」
「…………」
何も言えなかった。
菖の幸せを奪った…
無意識に頭の中でその意味を考えようとしてしまう。
どういう事か?
交通事故で亡くなってしまった菖…
一緒に居た棗…
無傷だった棗…
目の前に居る棗…
泣いている棗…
一人ぼっちの棗…
「―――っざけんな!」
先ほどよりも大きく体を強張らせる棗。
棗に言ったつもりでは無かった。
言ったのは自分自身。知りもしないのに、棗の言葉を鵜呑みにしてしまった自分自身への怒りの声だ。
でも、言った瞬間に棗に掛ける言葉が見つかった。
驚かせてしまった棗に申し訳無いと思っていたが、次に続く俺の言葉には丁度良かったのでそのまま続ける事にする。
「棗。俺はな!菖の事を知らない。事故の事も知らなかった。棗が何に罪を感じているのかも知らない。」
「……?」
脅える様に俺を窺う棗。
そんな顔をさせてしまった事に胸が苦しくなる…
押し付けがましいと思う…
でも、俺が言ってあげなかったら、こいつはどうなってしまうんだ?
締め付ける胸の痛みを無視して言葉を続ける。
「俺は棗しか知らないんだよ!棗が棗だから好きなんだよ!」
―私は私。棗は棗。みんながどう思っても私は棗が棗だから好きなんだよ?―
「…うぅ…!!」
「菖の事故の時に何があったか分からないけど…菖は棗を恨んでるのか?菖はお前を嫌いになるようなヤツだったのか?」
「…菖はそんな子じゃない!」
嗚咽混じりだが、はっきりと言う棗。
「だったら俺を友達でいさせてくれ…もし俺の想いが届くなら…受け入れてくれよ…」
目を瞑り、堪える様に唇を噛み締める棗…
棗が俺を受け入れてくれるかは別だが、きっと…菖もそれを願っていると思う…
棗がここまで菖を思っているんだ…
どんな事があったとしても、あのお母さんと棗の家族が棗を追い詰める様な事をする筈が無い…
「…下…僕…?」
困った様に俺を呼ぶ棗…いや、下僕は名前では無いが…
もしかしたら、どう呼んでいいか判らないのかもしれない…悲しいけど今まで棗は俺を『下僕』としか呼んでくれた事が無い。
「…出来れば『リュウ』か『竜一』って呼んでほしいかな?」
思いきって言ってみる。
「…りゅう…い…ち……竜一…」
呼んでくれた。
嬉しかった。
「……棗…」
応える。
「…あたし…あたし…」
よろよろと俺の側に寄る棗…制服を掴んで、俺の胸に顔を伏せる。
「…同い年の友達なんか…欲しくなかった…!…お母さんが居れば…良かった……!…でも…竜一には…竜一には…嫌われたく…なかった…!」
棗の叫びが俺に染み渡る。
「…竜一……!」
棗の制服を掴む力が強くなる。
「…棗…」
「……菖に…!菖に会いたいよぉ!!」