ねこばば裁判
ショートショートです。法廷での弁護士と検察官のやり取りが,次第に奇妙な成り行きに・・・
法廷の被告人席の椅子を引いて,俺は静かに座った。
弁護士は,挙手をして発言を求めてから,雄弁と話し出した。
まだ若いが,人の良い,信頼できる弁護士だ。
「被告人はひどくのどが渇いており,しかも財布を忘れてきております。
この100円があれば,そこのスーパーで飲み物を買って,のどを潤すことができるでしょう。」
これを受けて,検察官が反論する。
冷たそうな痩せぎすの男だが,切れ者の印象もある。
「弁護人の今の発言は,犯行の動機を説明したにすぎません。
被告人の犯行を宥恕する事情にはなりえません。」
弁護士も負けずに,次の主張を述べる。
「100円など,今どき小学生のおこづかいにもなりません。
こんな少額で,どれほどの罪になろうというのでしょうか。」
検察官も言い返す。
「金額が少ないからといって,盗んでいいということにはなりえません。」
さらに別の主張を展開する弁護士。
「被告人は,昨年,財布を失くしております。これは結局,戻ってきませんでした。
この損失を少しでも取り戻したと考えれば,許されるのではないでしょうか。」
反論する検察官。
「被告人が,過去において財布をなくした件は不幸でありましたが,それと今回のことは別件であります。」
さらに続く主張と反論。
「今,周りには人影が見えません。そっと拾い上げれば,誰にも気付かれないでしょう。」
「人に分かる,分からないではなく,人として正しいか,正しくないかの問題です。ここは交番に届けるべきです。」
すると,ここまで両者の言い分を目を閉じて聞いていた初老の裁判官が,おもむろに顔を上げて判決を下した。
「被告人を無罪とする。」
うなだれた検察官を横目で見ながら,俺は,微笑む弁護士と大きく握手をする。
ここで,次第に視界がぼやけてきて,とうとう真っ白になった。
再び目が見えるようになる。のどかな昼間の住宅街の光景が目に入ってきた。
俺は,自分が路上に,少しの間佇んでいたのを思い出した。
そして,周囲を見渡し,誰もいないのを再度,確かめてから,スニーカーの靴ひもを結ぶふりをしてしゃがみこむと,スニーカーで踏みつける形で隠していた100円玉を拾い上げ,静かにジーンズのポケットに滑り込ませた。




