第三十三話 最後の接触
水曜日。
この前の話の続きをしたいという理由で、俺は青木を誘っていた。
なお、やはり青木からの「一緒に帰れない」発言に他の女子は驚いた表情を見せていた。
ちなみに、この時、各々驚いた表情を見せる中で唯一笑顔を見せていた内海が逆に怖いと感じたのは俺だけだろう。
さて、舞台は整った。後はカチッと準備をしてと……。
「で、この前の話だけどさ。どうだ? 決まったか?」
「ああ。決まったよ」
夕陽が背を照りつける。
影が前に真っ直ぐ伸びている。自転車を押す俺と歩く青木。
それは、ほんの数日前に見た光景と同じものだった。
「で、誰だ? 胸の菫か、眼鏡の椿姫か、ロリの友梨か、運動部の藍か」
「全員……は、ダメか?」
「5P? それは、さすがに体力的に……。まあ、それ以前に複数は難しいな」
「同時とは誰も言ってねえ。あと、冗談だよ」
「もったいぶらずに教えろよ」
「ああ」
前田と吉見はそもそも青木に不信感を抱いている。
内海は狂信者なので、今更どうこう言っても聞く耳を持つとは思えない。
となると、能見が
「能見でお願い」
「ローリコーン」
「うるせえ」
「そう怒るなよ。そりゃ、お前の気持ちも分かるよ。ちっこい奴は可愛いもんな。いや、それともちっこい奴を虐めたいタイプか?」
「俺は愛でるタイプだよ」
「そっか。ちなみに俺は――」
「はいはい。お前の性癖なんてどうでもいいから」
「そういうなよー。そっかー、友梨かー。あいつはいいぞー。ちっこいからか締まりがいい」
締まりねえ……。
「……そういや、回数は重ねてるのか?」
「そりゃそうだよ」
「じゃあ、その中でお気に入りとかは?」
「うーん。友梨や藍は締まりがいい。菫は何よりデカい。椿姫は、まあ、眼鏡かな」
ひでえな。眼鏡って。
「つまり全員?」
「うん。甲乙つけがたいな」
「ふーん。ちなみに三浦は?」
「あいつは……まあ、反応が可愛いくらいかな」
「ふーん。なら、石川さんとかどんな感じなんだろうな」
「華か……どうだろ。あんま、そういう対象として見てないからな」
ほほう。
「本命って事か?」
「……お前になら隠す意味もないか。そうだよ、俺は華の事が好きだ」
「まあ、はたから見てりゃ誰だってそうだと思うよ」
「そ、そうか? いやあ、参ったな」
「でも、だったらいずれは告るんだろ? そしたら、能見さんらにはなんて説明するんだよ」
「うん? そうだな、関係が続くなら続けたいし。でも、厳しいかな。いつ飼い主に噛み付くか分からないし」
「捨てるのか?」
「そうなるな。全く、全員お前が引き取ってくれれば楽なんだけどな」
「無茶言いやがる」
ああ、こいつが馬鹿で良かった。
「で、能見さんには何時言うんだ?」
「ん? なんだ待ちきれないのか? このケダモノめ」
「お前にだけは言われたくないよ」
「ははは、そりゃそうだ」
ああ、笑える。
「友梨には、明日の朝にでも言うかな。正直、最近よく来て鬱陶しいし。お前とヤらせりゃ少しは大人しくなんだろ」
能見、聞いたか? これが、お前が好きになった人間の本性だよ。
「そういやさ。栗原に対しては何かいい案、思いついたのか?」
「栗原? ああ、昨日ちょっとボコったよ」
……昨日?
「いつ?」
「帰り。昨日は俺一人で帰ってさ。でも、あの野郎、桜と一緒だったからさ、あいつと離れるまでずっと尾行してて。正直、疲れたよ」
「ボコったって……」
「別に、病院送りレベルもボコってねえし、顔とか見える箇所は避けたよ。つか、今日は学校に来てなかったのか?」
「いや、知らない……」
嘘だろ……。
いや、何を今更ショック受けてんだよ。
過去、望んだ事だろ?
でも、何でこんなに。
「あれ? もしかして、大島って栗原とまだ友達だった?」
「いや……」
怒りと憎しみと不安がごちゃ混ぜで、俺は今すぐにこの場を去りたくなった。
だから、俺たちの目の前に唐突に三浦が現れたのは、今の俺にとっては本当に都合が良かった。
「桜?」
三浦は、一瞬、青木を睨みつけた後に俺の方を向いた。
「ちょっと話があるんだけど」
「……分かった」
直感。俺を嫌っている三浦が俺に話しかける理由なんて限られてる。まして、さっき青木からあんな事を聞いたんじゃ嫌でも、そう連想せざるを得ない。
「青木。悪いけど、三浦が話があるらしいから」
「了解。じゃあ、能見には明日言っとくから」
じゃあな。
変わらぬ笑顔の間に、三浦に対してだろう、冷たい目が向けられたのを俺は見逃さなかった。
「ここの近くに公園があるの。そこで話しましょ」
俺は、歩き出した三浦の後を付いて行った。
公園には、小学生が数人、遊具などで遊んでいた。
うーむ、端から見たら今の俺らはカップルに見えるのだろうか。
なんて、どうでもいいことを考えられるほどには、俺の心は落ち着きを取り戻していた。
「ねえ」
そんなやましい事を考えてた事もあってか否か、俺は三浦の言葉に反応するまでに少しの時間をかけてしまった。
それにしても、えらく沈んでるな。いつものツンツンはどうしたよ。何時ぞやの、俺の陰口叩いてた三浦桜は何処へ行ったよ。行方不明かよ。
「栗原が、昨日襲われたのは知ってるわよね」
「えっ? いや、初めて聞いた」
別に誰かから聞いた事にしといても良かったんだけどね。まあ、詳しい情報は知らないからな。一応、訊いておこう。
「昨日の帰り道に、栗原は誰かに襲われたのよ」
「襲われた? 栗原は大丈夫なのか?」
「多分、心配かけないために何ともない振りはしてるけど……でも、あいつ絶対に無理してる」
確か、青木は見えない所を殴ったんだよな。
三浦がそう判断したって事は、あいつマジで殴りやがったな。
「……多分、栗原を襲ったのは青木だと思う」
……まあ、三浦は勘付いてても不思議じゃないか。つか、青木の事を苗字で呼んだな。
でも、そんな事を俺に言ってどうする気だ? まさか、俺に青木を止めてとは言わないよな。
「あいつは、異常だわ。こうして、あいつの元を離れたから、よく分かる。だから、悔しいけど私一人じゃ、どうにも……」
三浦は、俯けてた顔を上げ、俺の方へとやった。
「助けて」
振り絞られた、少しかすれた声。
それでも、そんな初めてみた表情を目の前にしても、俺はいつだったかの三浦の俺に対する陰口を思い出していた。
女々しいか? いつまでも引きずるなんて。
でもさ。今更、涙を含めて助けを求められて、素直に手を差し伸べられるもんなのかよ。
そんなに、都合良くいくと思うなよ。俺は善人でもなんでもねえよ。ただの人間だ。ごくごく普通の一般人だ。
「どうしてほしいんだ?」
「このままじゃ、また栗原が襲われる。私のせいで、また……」
「別に、俺じゃなくてもいいだろ? 石川は嫌いだから嫌だとしても坂本がいる」
「あんたが青木に一番近いから。あんただけが頼りだから……」
俺が青木と友人だから? 仲良く話してたから? 知らねえよ。つか、もう友人でも何でもないよ。それに、今更頼ってくんなよ。散々俺の事、馬鹿にしてたくせによ。
「先生とかは?」
「信じると思う?」
「やってみなきゃ分からねえだろ」
「あんたは……」
協力してくれないから逆上か?
自分の思い通りにいかないから。
まあ、いいや。どのみち、青木のハーレムは崩す予定だし。それで、青木が三浦に対して、どう対応するかは知らんがな。それで、少しは青木も大人しくなるだろう。
「……分かった。でも、期待はするなよ」
「ありがとう」
それが素直な、純粋な笑顔かどうかは分からない。しかし、その「ありがとう」という言葉は心からのものに思えた。
まあ、どうでもいいけどね。
どうせ、ついでだから。
例えば、青木が普通に女子たちと接していて、俺が青木の友人という事で女子たちと関わりを持って、更に俺の友人たちも女子たちと関わりを持っていったら、どうなっていただろうか。
結果的には、俺が坂本に相談してもしなくても、青木の女子に対する考えが変わらない限り、この展開は避けられなかったのだろう。
でも、それでも、どうにかできなかったのだろうか。
みんなが笑っている。そんな日常を目指せなかったのだろうか。
……まあ、そう都合良くいかないのが日常だしな。
今更、悔いてもしゃあないよ。
だから、せめて自分がこれからやろうとしてる事くらいは悔いのないようにしなきゃな。
終わりだよ。
これで、ようやく終わる。
色んな事があった。
笑って、傷ついて、自問自答して、孤独を感じて、嫉妬して……。
久しぶり、いや初めてかもしれないよ。
こんなに、感情が揺れ動いた日々は。
青木、お前は最初からそんな奴だったのか?
違うだろ? お前は、一人だった俺に話しかけてきてくれるくらいに優しい奴なんだろ? 一人だった女子たちに話しかけるくらい心の広い人間だったんだろ?
……どうすりゃ良かった? それとも、俺じゃお前を変えれないのか?
こうするしかなかったのか?
木曜日。
俺は、朝礼が終わって直ぐ、栗原の所に向かっていた。
「栗原」
何食わぬ顔で、何時ものようにだらっとしている栗原。
そんな、栗原の外見だけで彼の身に起きている事を予測する事など少なくとも俺には出来なかった。
「ん? ああ、大島か」
眠そうな顔。抑揚のない声。相当お疲れのようだ。
それとも、意図してそういう演技をしているのか?
「……栗原。お前、青木に何されたんだ」
彼にとっては予想外の第一声だったのだろう。その顔は、鳩が豆鉄砲を食ったようだ。いや、実際に鳩が豆鉄砲を食った所は見たことが無いが……つまり、驚いて目を丸くしているといった表情だな。
「……誰から聞いたんだよ」
意外にも、栗原はあっさりと事を認めた。
「三浦さんだよ。お前の事、心配してたぞ」
「あいつ、余計な事を……」
はあ、とため息を一つつき、栗原は続ける。
「多分、三浦絡みだろうな。帰りにさ、急に青木に呼び出されて、で人気の無い所に移動してボコボコにされた」
「大丈夫なのか?」
「さあ? でも、痛みは引いてきてるし大丈夫なんだろ」
「大丈夫なんだろって……」
「大丈夫だよ。それより、青木ってやばい奴だったんだな」
「……それは、俺も驚いてるよ」
あいつは危険だ。
普段はいい奴で自分を演じ、裏では女どもをいいように使っている。加えて、女が自分の元から離れたら問答無用でその原因を傷つける。
だからこそ。俺がどうにかしなきゃ。
「なあ、大島」
「なんだ?」
「三浦から色々言わたんだろうけどさ。別にお前のせいじゃないからな。これは、俺のせいで、俺がどうにかしなきゃならない事だから」
「だから、俺は何もしなくていいと?」
「ああ」
……やっぱ、お前はいい奴だよ。
「分かってるよ。でも、お前も無理すんなよ。いざって時は、俺や坂本や鳥谷を頼れ。何なら、石川でもいい」
「石川はいいよ。でも、ヤバそうだったら力を貸してもらおうかな」
栗原は笑った。
俺には、それが余裕の無い、作り笑いの様に見えた。
栗原は、二重の意味で傷つけられたのだ。
……大丈夫。お前は何もしなくていい。
お前は何も悪くないんだ。悪いのは全て青木だ。
だから、俺がやる。俺が全て終わらせる。
放課後。俺は、石川と作戦会議も兼ねて一緒に帰っていた。
「じゃあ、頼むぜ」
「了解。まあ、さっき聞いた限りじゃ削る部分は無いと思うけどね」
俺は、先日の青木との会話を収めたボイスレコーダーを石川に渡した。ちなみに、さっき二人で聞いたところ予想以上にクリアに音声が録音されていた。これなら、青木の声だと一発で分かるだろう。
「つかさ。本当にそんな作戦でいいの? それじゃ、お前だけが――」
「いいんだよ。どうせ、俺は最後まで決められなかったしな」
せめて、みんなを巻き込んだ罪滅ぼしさ。
それに、これは意図した自己犠牲なんかじゃない。たまたま、そうなっただけの事だよ。
「じゃあ、編集の方頼んだぜ」
「……ああ」
まさか、石川から心配される日がこようとはな。
でも、本当にこれでいいんだ。
俺が蒔いた種だぜ? 俺が最後まで責任取らなきゃな。




