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「わたくしが彼女に食べさせたのは、イカ墨まんですの」
ジュラさんはそう言った。
辺りの景色はすでに、静寂に包まれた平穏な丘の姿へと戻っている。
燃えていた木々も、運がよかったのか周囲に木が密集していない場所ばかりだったため、すぐに火は沈静化し、消えていった。
「僕たちの力を封印したのは、宇宙人である部長さんの白い歯だった。だからこうして、イカ墨まんで黒く塗ればその封印が解かれ、僕たちの中に眠っている力はもとどおりになる。そう考えたんだ」
大樹くんが解説を加える。
でもその解説を聞いても、いったいどういうことなのか、まったく理解できない。
それは、林檎や海斗くん、さくらちゃんも一緒のようだった。
「まぁ、そのことは後回しにするとして、とりあえず僕自身について、もう少し話すことにするね」
あたしたちの困惑を悟ったのだろう、一から順を追って説明しよう、そう考えたらしく、大樹くんは優しい笑みをたたえながら話し始めた。
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大樹くんは、部長さんから力を封印されたあと、あたしたち同様、身柄を拘束され、政府側の研究施設内で実験される身となった。
そんなある日、大樹くんは研究施設から脱走する。
その際、研究資料を手当たり次第に持ち去った。
政府はそれらの資料が公にされることを怖れ、見つけ次第射殺しても構わないという強硬手段に打って出た。
それでも大樹くんを発見できなかったのは、逃げ込んだ場所がジュラさんの家だったからだ。
御影石財閥という大金持ちの家系であるジュラさんの家の敷地には、いくら政府といえども、簡単に踏み込むことはできなかった。
大樹くんはジュラさんやその財閥の関係者と協力して、持ち去ってきた資料に目を通す。
資料の中には、大樹くんの研究データだけでなく、他のメンバーたちの研究データも記述されていた。
あたしやさくらちゃんに行われた非人道的な実験内容までも、克明に記されていたというのだ。
同様に、林檎と海斗くん、大樹くん本人も、ひどい実験を受けていた。
ただ、あたしとさくらちゃんには、とくに念入りに実験が重ねられていたようだ。
そうなったのは、あたしとさくらちゃんにかけられた封印が、他の三人よりも少しだけ弱いと、実験データから導き出されたためだった。
とはいえ、大樹くんはそれ自体にも疑問が残るという。
様々な数値データをもとに、緻密な計算がなされた上で、最終的に導き出されたそれらの結果ではあったのだけど。
大樹くんが再計算してみたところ、どうやっても政府側がたどり着いたという最終結果には到達しなかったからだ。
計算量が膨大だったせいで確認するのに時間はかかったものの、大樹くんはついに発見する。
前提となっている基礎部分に計算ミスがあり、それによって政府側の導き出した最終結果が間違っていたということを。
素人にはとうてい見抜けるはずのない、些細なミスだったらしい。
発見できたのは、数学科に通っていた大樹くんの頭脳があってこそだったのかもしれない。
政府の研究機関では、間違った計算結果をもとにして、人体への特異な能力付与についての研究がなされていった。
その研究の結果として作成されたのが、先ほどの不快な大音響をまき散らす機械だった。
無論、大もととなっているデータが間違っているのだから、そこから導き出されて作られた機械が正しい効果を生み出すはずがない。
大樹くんたちは、危機感を覚えた。
資料には、最初に実験体となる人物の候補も、写真つきで載せられていた。
そこに載っていたのが、白亜さんと三畳さんだった。
詳細に記載された彼らのデータにも目を通した大樹くん。
白亜さんと三畳さんが選ばれたのも、データによるコンピュータの計算、ということになっていた。
にもかかわらず、どういうわけかその細かい計算についての記述はなかった。
資料によれば、白亜さんも三畳さんも、古い時代からのお偉いさんの家系を継いでいるだけで役職を得た人物のようだった。
ということは、周りからはあまりよく思われていなかったのではないだろうか。
そして彼らが選ばれたことに、なんらかの黒い意思が働いていたのではないか。
そう大樹くんは考えた。
御影石財閥の力を使って、政府側の研究機関を調べてもらうと、案の定、いくつかの派閥に分かれていることがわかった。
新興派閥による謀略。そういった背景が、如実に浮かび上がってくる。
もちろん推測に過ぎないのは確かだったけど、御影石財閥による極秘の調査結果と、大樹くんが持ち去ってきた資料とを照らし合わせて考えれば考えるほど、どんどんと現実味を帯びてくるのは疑いようもなかった。
また、研究データの中には、力の封印についても記載されていた。
「人間に力を与えた宇宙人たちにとって、歯は様々な力を司る重要な役割を持っている。
宇宙人が力を与える際に噛みつくという行動を取っていたことからも、それは容易に想像できるだろう。
歯を通して与えられた力は、最終的に歯の輝きによって封印された。
ならば、その歯の輝きをなくせば、封印は解かれるはずだ」
緻密な計算などではなくあくまで憶測でしかないようだし、さすがにこれは信憑性に乏しい。
そうは考えたものの、念のため大樹くんたちは用意しておいた。
それが、ジュラさんの持ってきた、イカ墨まんだったのだ。
確かに歯の輝きを抑える目的としては、お歯黒のようなものを考えるのは普通だろう。
でも、口を閉じるだけでは効果がないかもしれないとしても、どうしてイカ墨まんにしたのだろうか?
「ひまわりさんたちが公園でピザまんや肉まんを食べてるのを、隠れて見ていたことがありましたので、なんとなくイカ墨まんにしてみたんです」
ジュラさんは、微笑みながらそう語った。
蘭ちゃんと初めて出会ったあのとき、すでにあたしはジュラさんたちにマークされていたのね。
もっとも、質問の答えとしては、納得のできるものではなかったけど。
ジュラさんたちも、本当にそれで上手くいくかは半信半疑だったから、細かく考えはしなかったということだろうか。
……だけど、どうしてそのイカ墨まんを蘭ちゃんに食べさせたのだろう?
あたしは疑問を浮かべてはいたものの、話題はさらに別の方向へと進んでいた。
「最初に大樹がわたくしのもとを訪ねてきたときには、本当に驚きましたわ。全身ボロボロで薄汚れておりましたし。そうまでして逃げ出してきたのは、やっぱり……」
ジュラさんが不意にあたしに視線を送る。
「こら、ジュラ!」
大樹くんはどういうわけか慌てたように大声を上げて、ジュラさんの口を手で塞ごうとする。
それより一歩早く、ジュラさんはこんな言葉を続けた。
「ひまわりさん、あなたに会いたかったからなのですね。ほんと、大樹ったら必死だったんですから。恥ずかしがってなかなか会う決心はつかなかったみたいですけれど。ほんと、妬けてしまいますわ」
――えっ?
あたしはジュラさんの言っている意味が、すぐには理解できなかった。
とはいえ……。
赤くなって目を伏せている大樹くんの様子を見て、ようやくあたしの脳にも意味が浸透。
大樹くんと同様、いや、それ以上に頭から湯気が立ち昇るほど真っ赤になる。
「あっら~! ってことはなんだ、両想いってやつじゃない! ひまわり、よかったわね!」
林檎が囃し立てる声が、夕焼け色に染まり始めた丘にこだまする。
あたしにはもう、なにがなんだかわからなかったのだけど。
ひとつだけ確かに感じていたのは、大切な人たちに囲まれ、今のあたしはとっても温かい空気に包まれているという幸せの気配だった。




