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あたしは五年ほど前、大学生だった。
大学の家庭福祉学科に通っていたあたしは、なにを思ったのか、三年生となった春に合唱サークルに入った。
あたしとしては、ほんとになんとなく、入ってみようと思い立ったのだけど。
でもそのサークルは、ちょうどその年、新たに作られたサークルだったというのを、あとから聞いて知った。
正式なメンバーは、あたしの他に四人。つまり、たった五人だけのサークルだった。
どうやら五人というのが、サークルとして必要最低限の人数だったらしい。
なんというか、あたしは人数合わせとか、渡りに船とか、そんな感じだったのかもしれない。
とはいえ、べつにそれが嫌だったわけじゃない。
むしろ、そのサークルに入ったことは、毎日同じように過ぎてゆく日常に変化を与える刺激となり、確実にプラスだったと思っている。
その頃は、あたしの人生の中で最高潮と言ってもいいかもしれないほどの、とても楽しく充実した毎日だった。
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大学の構内にひっそりとたたずむサークル棟。
そこは、小規模サークルの部室が寄り集められた、ちょっと寂しさすら漂う一角だった。
「おっ、来たね、ひまわりっ!」
あたしがそのサークル棟に用意された合唱サークルの部室へと足を踏み入れると、明るく笑顔とウィンクが向けられた。
彼女はあたしの幼馴染みでもある、水神林檎だ。
同じ大学に入学したものの、学科が違うからあまり会わなくなっていた林檎に、この合唱サークルに入ってみてバッタリ顔を合わせた。
しばらく会わなかったとはいえ、それで気まずくなる、なんてことはなかった。
以前のように楽しくお喋りする日々。
林檎は音楽科の生徒だ。
昔から透き通るような美しい声と美貌を誇っていた。それを子供心にうらやましく思っていたものだ。
「駆けつけ三杯だ、ほれ、飲め!」
林檎のかたわらに座っていた大柄な男性が、ぐお~と豪快な音を轟かせるように立ち上がると、あたしに覆いかぶさるほどの勢いで詰め寄ってくる。
竜尾海斗くん。
あたしたちと同い年の三年生で、林檎と同じ音楽科の生徒だ。そして、林檎の彼氏でもある。
やたらと体育会系のノリで、ちょっと暑苦しいかもしれない。
がっしりしていて頼りがいがあるのはいいのだけど、男性に対する免疫の少ないあたしには、ちょっと刺激が強すぎる。
海斗くんはあたしの肩をがしっとつかみ、無理矢理飲ませようとしてきた。
といっても、海斗くんが飲ませようとしてくるのは、ビールとか焼酎とかじゃない。
「いきなり三杯も飲めないよ、甘ったるいし~」
必死に腕でガードするあたし。
海斗くんが飲ませようとするのはいつも、なぜかミルクセーキなのだ。
と、そんな海斗くんの頭に、林檎が思いっきり平手打ちをぶちかます。
「ゴルァ! 私のひまわりに、なにしとんじゃ、ボケェ!」
「ぐぉぅ!? 側頭部はやめてくれよ、ハニィ~!」
「ふっふっふ、愛のムチってやつよ!」
「おぉ~う! ハニィーの愛を、超絶感じるぜィ!」
…………なんというか、あたしにはついていけないノリだわ。
「相変わらず、ここは笑いの絶えない、パラダイスのような場所だね」
暑苦しくなっていた部室内に、不意に爽やかな声が響く。
朗らかな笑顔を浮かべながら部室に入ってきたのは、一年生の明日原大樹くんだった。
数学科の大樹くんは、微分やら積分やらサイン、コサイン、タンジェント? あたしにはよくわからない、呪文のような数式をスラスラと解いているのが印象的だった。
それはともかく、この人の性格も、ちょっとばかり常軌を逸していると言わざるを得ないだろう。
今の林檎と海斗くんのやり取りを「パラダイス」なんて表現する感覚からも、それはわかってもらえるかと思う。
さらに大樹くんは戦隊ものが大好きらしく、なにかの番組で正義のヒーローが変身に使っていたというバッヂを、肌身離さず着けていたりする。
大学生にもなって子供っぽいなぁ、と思わなくもなかったけど、最近の戦隊ものは大人が見ても面白いらしい。
なにやら、イケメンの男性が多く出てくるのだとか。主に主婦層の人気を得るため、という狙いがあるのかもしれない。
ただ、そんな変わった面もある大樹くんのことを、あたしはちょっぴり気に入っていた。
なんでこんなとぼけた人を、と自分でも思わなくはない。
それでも、人を好きになるっていうのは、理屈ではないのだ。うん。
「……あっ、すみません……。来ちゃいました……」
そして、さらに人は増える。
控えめな声を微かに響かせながら部室に入ってきたのは、あたしのいとこ、さくらちゃんだった。
高校生だったさくらちゃんを、あたしはよくこの合唱サークルの部室に呼んでいた。
あたしたちの大学は、見学に来る高校生なんかにも開放されているから、問題なく入ってくることができたのだ。
「さくらちゃ~ん! いらっしゃ~~~い!」
林檎が甘い声をあげてさくらちゃんを歓迎する。
昔から歌が好きだったさくらちゃんを、あたしはこのサークルに引き込んだ。
この大学の生徒じゃないから、正式なメンバーではないことになる。
だけど、「いつでも気兼ねなく入ってきていいから、一緒に楽しもうよ」と、さくらちゃんには言ってあった。
さくらちゃんは、少々おとなしすぎる性格で、高校でも友達ができずに、いつもひとりでいたらしい。
担任の先生から心配の言葉をかけられたさくらちゃんのお母さんは、思い悩んだ末、いとこで頻繁に遊びに行っていたあたしを頼った。
あたしも、さくらちゃんのために一肌脱ごうと考え、こうしてこのサークルのメンバーに会わせたのだ。
ちょっとおかしなメンバー(当然ながら、あたしは除く)が集う、この合唱サークル。
さすがに最初は面食らっていたものの、いつしかさくらちゃんも打ち解け、今では完全にこのサークルの一員となっている。
年下だし、もともと愛らしい雰囲気を持っているさくらちゃんは、みんなのマスコット的存在になっていた。
「よっしゃ、揃ったね! ボクの可愛い子猫ちゃんたち!」
と、唐突に下から大声が響く。
大きな声だというのに、なぜかとても心地よく感じる。
どこまでも響き渡っていきそうな、たぐい稀なる美声の持ち主は、この合唱サークルの部長さんだった。
自分のことを「ボク」なんて言っているけど、部長さんは黒髪のポニーテールが素敵な女性だ。
見た目としてはすごく綺麗で、女のあたしから見てもうっとりするくらいなのだけど……。
部長さんはとっても神出鬼没な人で、いつどこからどうやって現れるか、毎度毎度謎が多い。
今日もどういうわけだか、テーブルの下から忽然と現れた。
さっきまでは絶対に、そんな場所には誰もいなかったはずなのに。
なにせ、このサークルの部室は狭い。
みんな、部室に入るなり椅子に座り、足をテーブルの下に伸ばしていたわけだし、そのテーブルも正面の人の膝がぶつかる程度の大きさしかなかった。
にもかかわらず、部長さんはテーブルの下から、というか、あたしの両足のあいだから、ヌッと現れたのだ。
いったい何者なんだ、この人は。
そう思わなくもないのだけど、すでにみんな、そんな部長さんに慣れてしまっているようだった。もちろん、あたしも含めて。
ところで、大学のすぐ裏手には、小高い丘がある。
そこで自然に囲まれながら歌うのが、あたしたち合唱サークルのいつものスタイルだった。
……なぜか部長さんだけは、いつも歌わないのだけど。
「それじゃ、今日も元気に、清々しい青空のもと、歌いに行きますか~!」
「お~~~っ!」
あたしたちは部長さんの声に合わせて、こぶしを高々と振り上げる。
さくらちゃんも遠慮がちに、細い腕を掲げていた。
そんなさくらちゃんの様子を見て、あたしは穏やかな気持ちに包まれるのだった。




