生まれ変わった日
結婚式から一夜明け、目覚めたヴィクトリアは、天蓋のカーテン越しに柔らかく差し込む明るい光を受け、身を起こして思い切り伸びをした。
新しい生活の始まりだ。もう厚い化粧をしなくていいし、髪もひっつめなくていいし、眼鏡だって必要ない。
そんな密かな解放感を味わっていると、クロエの柔らかな声が聞こえた。
「おはようございます奥様、朝のお支度をいたしましょう」
カーテンがそっと開けられ、クロエを先頭に、後ろに控える侍女たちが目に入った。
長らく侍女の居ない生活だったから、このやり取りは何年ぶりだろう。
「おはようクロエ、みんな今日もお願いね」
心からの感謝を笑顔に乗せて微笑みかけると、侍女たちからも笑顔を向けられた。
主人はともかく、この家の使用人たちはみんなとても親切だ。
顔を洗う桶に手を入れて伝わって来た程よい温もりに、ふと、寒い季節に桶に張った氷を割って水を汲んでいたことを思い出し、私の侍女たちにはそんな思いはさせたくないなと思う。
髪を丁寧にセットされている間に顔のマッサージを受け、薄く化粧を施されて鏡を見ると、今までの自分とはまるで別人のようだった。
隣国に到着したという父からの手紙と共に、修道院に届けられた軽やかなデイドレスの見立ては義母のカロンだろう。サイズも色も私にぴったりだ。
支度が終り、朝食のために食堂に案内されると、そこには使用人一同が集まっていた。
私は紹介された一人一人と握手し、短い言葉を交わしながら全員の顔と名前を記憶していく。御者のトムとヤンは、昨日とはまるで別人の私を見てあんぐり口を開けていたので、笑いながら声を掛けた。
「昨日の私と同一人物だから安心してね。あなたたちの心遣い、とても嬉しかったわ」
最後に全員を見渡して言葉を掛けた。
「忙しい時間に集まってくれてありがとう。これからよろしくね」
そう言って少し首をかしげて笑顔を向けると、みんなから温かい拍手が起こった。
本当に、主人はともかく、この家の使用人たちはみんな温かく親切だ。
和やかに朝食が終り、部屋に戻って持ち込んだ櫃の中身の整理を始めた。
昨日取り出したマローネ商会長の贈り物の小箱と、今着ている物と共に送られて来た数着デイドレスの他は、契約用に特別に包んだ羊皮紙の束と、宝石箱が一つに夜会用のドレスが一枚。そして櫃の中身の殆どを占めているのが古代文学の書物と論文の束だった。
領地のカントリーハウスを手放した時に何とか持ち出せたこの数十冊の物語は、祖父母との大切な思い出が詰まっている。
図書室に残した膨大な量の書物はどうなってしまっただろう。近隣国でも貴重な書物なのだ。人手に渡ればきっともう手にする事は難しいかもしれない。
でも大丈夫。内容は全て私の頭の中にしまってある。
「身に付けた知識や教養は、誰にも奪う事が出来ないあなたの宝物なのよ」
幼い頃から何度も聞いていた祖母の言葉と顔を思い出しながら、一冊一冊、丁寧に書棚に並べていった。
すると、側で手伝ってくれていたクロエから、遠慮がちに声を掛けられた。
「僭越とは存じますが、奥様は学園を退学されたと聞いています。ここにある書物は全て、学園でも特殊な専門分野とされている古代文字だと拝見しますが……」
その言葉に、そう言えばそんな噂が社交界に流れていたわねと思い出した。
「そんな噂があったみたいね。そうだわ、みんなには正しく知って置いて欲しいから、みんなの昼食の時に少し時間を貰えるかしら? そこで説明するわ」
その言葉が執事長に伝わり、急遽その日の使用人の昼食の時間を五分延長して説明の時間をもらった。みんなが集まっているキッチンの隣にあるダイニングで、私は論文の間から引っ張り出してきた、学園の卒業証書と、古代文学の博士号の認定書を廻して確認してもらった。
「私について、色々な噂が社交界で流れていると思うの。私が耳にした物で言えば、ところどころは本当ね。先ず、経済的な理由で学園に通えなかったというのは本当よ。でも、みんなも知っての通り、卒業しなければ貴族としては認められないわ。だから、入学後すぐに試験を受けて卒業の認定を受けたの。その卒業証書に記載されている入学日と卒業日が一週間しか違わないのは間違いではないわ」
その言葉に、手から手へと渡される卒業証書の日付を見て首をかしげていた者たちが納得の声を上げている。
「それから、あまり知られていないけれど、ウェーバー公爵家は古代文字の解読と古代契約に携わる家なの。だから、古代文字については幼い頃から慣れ親しんでいるわ。それから、私は卒業資格を得るもう一つの手段として、古代文学の博士号取得を選んだの。これがその認定書よ」
そう言って、博士号の認定書と論文の一冊を回してもらった。
集まった使用人たちは、みんな感心したように私を見つめている。
「今まで社交とは縁のない生活だったから、噂については放置していたのだけれど、これからはきちんと公表して、仕えてくれるみんなが恥ずかしい思いをしないように努力するわね」
そう言うと、全員が一斉に立ち上がり礼を執った。私はみんなを直らせて席に着いてもらい、言葉を掛けた。
「今日は時間を取ってもらってありがとう。改めてこれからよろしくね」
この噂が一人歩きするまでもう少し時間がかかるだろうが、時期的にはそのくらいでちょうど良い。
そうして、部屋に戻った私は、本棚に綺麗に並んだ愛すべき書物の中から一冊を手に取ると、窓辺に置かれた一人用のソファに座り、ゆっくりと物語の世界に沈んでいった。




