9 ひとつの奇跡
次の日の放課後。
俺は鶴瀬さんがいないのを確認してから、机の上に銀色の写真入れを置く。
「直接渡さなくて良かったのか?そしたら、少しは見直してくれたかもしれないのに」
征はなんで俺がわざわざ鶴瀬さんの机の上に置いたのか気になっていたようだ。
「だってさ」
俺は英語の単語帳をめくりながら言う。
「俺、しつこいじゃん。そんなことやったらさ。自分でも分かってるよ」
いいじゃないか。
カースト最下層ランクの俺より、匿名の協力者だった方が、鶴瀬さんはマシな気分になれるだろ。
「そっか」
どこか征は満足そうだった。
「いや。俺もそれでいいと思うよ」
写真入れは、鶴瀬さんの机の上で銀色に輝いていた。
少しだけ名残惜しい。なんでかはよくわからないけど。
でも、まあ、いいか。
「征、このあと、ちょっと物理教えてほしいんだけど」
「おう。物理は一番得意だぜ。任せとけって」
自分にできることを、しないとな。
★ ★ ★
春期の静かな図書館。
図書委員は暇だ。
俺は確率の問題を解いていた。
確率って奥が深いな。前と同じ方法で解けるかと思っていたら、条件で計算方法が全然違う。
「今朝川くん」
目の前に突然現れた少女の姿に、俺の鼓動は早鐘を打つ。
あ、あぶねえ。尻尾を踏まれた猫みたいな声出すところだった。
そこに彼女はいた。
なんでここにいるのだろう。
そんなことを考えるが、実物と相対すると、頭が緊張で働かなくなってしまう。
まるで夢を見ているようだった。
「あ、あー、今日も勉強?いつも頑張るね」
何の用かわからなくて戸惑う。
かろうじて出た言葉がそれだった。
「今朝川くん、図書委員なんだね」
「ああ。と言ってもここに座ってるくらいしかしないけどな」
それに、鶴瀬さんの様子が変だ。
そう思っていると、鶴瀬は俺の予想外のことを口にした。
「僕の写真入れ、見つけてくれたのって、今朝川くんだよね」
……なんで知ってるんだ?
俺は言ってないぞ?もしかして征が気を回したのか?
いや、征はそういうことをするやつじゃない。それに第一、あいつは女の子とは話せないはずだ。
俺が何と答えようか迷っていると。
「隠さないでいいよ。そもそも、僕は姫橋さんと君にしか話してないから、ただの消去法なんだ」
そうか、そうなるんだった。バカだな俺。
「……そうだよ。俺と征で探したんだ。少しでも役に立てたならいいんだけどな」
「あのさ」
鶴瀬さんは俺の目をしっかり覗き込んでいた。
その事実が、彼女が俺と話してくれているという事実が、どうしようもなく嬉しい。
かわいらしい声だ。いつまでも聞いていたかった。
「俺は……」
中学の頃はいじめられるし、高校ではやらかすし。
自分のせいだけど、俺の人生ろくなことがない。
でも、鶴瀬さんの顔をもっと見ていたくて、視線は離せなかった。
ダサいと、自分でも思っている。
「あのさ、わざわざ机に置いてくれたよね。なんで?」
「それは……」
「やっぱりまだ、あの告白のこと、気にしてる?」
気にしていないわけがない。
でも、そんなこと言えるわけがない。
俺はなんていうべきか分からず、戸惑ってしまった。
「あのさ。別に、びっくりしちゃったけど、君のことが嫌いになったわけじゃないんだ」
鶴瀬さんは俺の気持ちを知ってか知らずか、そう言った。
「……え?」
頭の中に火花が散る。俺はその言葉をどう捉えればいいのか分からず戸惑う。
「ちゃんと言わないと、君は分かってくれない気がしたから。あ、でも、好きって意味じゃないからそこは勘違い、しないでよ」
鶴瀬さんは、きっと俺のことを思ってそう言ってくれたのだ。
俺にだってそれくらい分かった。
「ありがとね。このペンダント、小さい時の先生から貰った本当に大事なものだったんだ」
今時の高校生に似つかわしくない銀色のフレームが、鶴瀬さんの胸元に輝いていた。
「中、見た?」
俺は勢いよく首を横に振る。
「な、ないない!そんなことしないって」
見ようとは思ったけど、でも、俺にはそこまでする大胆さはなかった。
「じゃあ、見る?」
そんなことを言われると思わず、俺は鶴瀬さんの顔を覗き込む。
鶴瀬さんはいつも通り、相変わらず人の良さそうな笑みを浮かべていた。
「いいの?」
「うん、ほら」
そこには、小さな写真が収められていた。
写真の中の大きな家の前で、小さな鶴瀬さんが女の人と一緒に笑っている。
「うちの両親、忙しいんだ。だから、この人が親代わりに僕を育ててくれたんだ。この人は、両親の介護で親元に帰られたんだけどね」
「へえ」
かわいいなあ。小さい鶴瀬さんも。今の方がもっと可憐だけど。
「いい笑顔だね」
少しだけ色褪せた写真を見て、渡すことができて本当に良かったと思う。
「ごめんなさい。でも、やっぱり僕は、今朝川くんを少し勘違いしてたんだ。でも、僕は振ったのに、君は変わらずにいてくれるんだね」
そんなことはないのに。
告白して、迷惑をかけたのは俺の方なのに。
でも、鶴瀬さんは丁寧に謝ってくれた。
「……違う、俺は」
雑に告白して、無意味に傷つけただけだ。
無神経で、考えが足りない。
「今度勉強、教えてあげようか?」
……本当に?
「ペースメーカーくらいだったら、なってもいいよ。図書館で勉強しなよ」
どうやら、俺が最近ラウンジで勉強していることを知っていたみたいだ。
本当に敵わない。
鶴瀬さんは鞄を持ち上げる。
「ごめん、今日は予定があるから、あと」
片手を顔の前で止める仕草に、少し目を奪われながらも、俺は返事する。
しかし、鶴瀬さんは思い出したように耳打ちする。
「ありがとう、でも、次は、ちゃんと手渡してね」
わざとなのだろうか。
どうだろうな。あの人は、ちょっと天然入ってるから。
でも、言葉通りの意味なら。
図書館を走り去っていく後ろ姿を見送ると同時に、図書委員でよかったと心底思う。
走り去っていく後ろ姿でさえ絵になるなあ。
話の余韻に浸る。
俺はちゃんと喋れていたかな。
「鶴瀬さん……」
おかげで少しは、自分のことをマシに思えそうだった。
あともう一年もない。分かってはいる。
でも、どうすることもできない。
終わってしまった長くて短い会話に、俺は自分の青春を噛み締めるのだった。




