6 明日の自分
俺は、クルミに腕を掴まれて、そのまま引き摺られていった。
たどり着いたのは、校舎裏。
クルミの動きがやっと止まる。
雛飼くるみ。
その名前について回るのは、校内では悪い噂ばかりだ。
男遊びがひどいだとか、学校に全然こないだとか、誰々を殴っただとか。
あらためて俺はその姿をまじまじと見る。
よく見たら、前とは少し違う。
金色の髪は、水分を感じさせないくらいに褪せているし、目の下には深いクマがあって。
以前のような風格は、そこには無かった。
「なあ、クルミ」
「……いつもみたいに、ドクルミって呼んだら?」
こいつ、知ってんのか。
「何で俺を?」
「あんたに……たかったのよ」
なんて?
いつもらしくない、どこか挙動不審なドクルミを相手に、俺は戸惑っていた。
もともと何をするかわからないやつだったが、今日に限っては何がしたいのかもわからない。
「ほんと、その」
……その?
「あんたって、バカよね」
「は?」
「……」
ドクルミは黙り込んだ。
何がしたいんだ、こいつ。
俺が目を覗き込むと、ドクルミは目を逸らした。
「それだけか?」
俺が踵を返そうとすると、強く手を引かれた。
「ま、待って!」
なんだよ。
「あの、ほ、本当にごめんなさい!」
……いまさらかよ。
「俺の中では、もう無かったことになってるんだよ。頼むから、もう話しかけてこないでくれ」
許す、とは言えなかった。
それでも、俺なりに譲歩したつもりだ。
だったが、しかし。
「ぐ……うぅっ」
しゃくりあげるような声と一緒に、くるみは泣き出した。
おい、何で泣くんだよ。
どういう心境の変化だ。
「おい……ちょっと」
まるで俺が悪いみたいじゃねえか。
流石に気の毒になりそうだ。
その時だった。
「うん。ちょっと抜けるけど、あとはよろし……く」
部活だったのだろうか、体操着で体育館から渡り廊下へ出てきた鶴瀬さんと目が合った。
「あ」
あって、どういう意味かな。
鶴瀬さんは、明らかにこちらを一度見たあと、目を逸らして小走りで歩いていった。
俺の目の前には、泣いているくるみ。
終わった。
俺、最低なやつだと思われたんじゃないか。
だって、俺、鶴瀬さんに告白したばっかだよな?
見境ないやつと思われたかもしれない。
違うんだ、これはドクルミが勝手に。
深い絶望と焦燥感が心の中で生まれる。
「ころしてくれえ……もういやだ」
俺は掴まれている腕を振り解いた。
思ったよりも、腕には力はこもっていなかった。
帰ろう。もう。
「頼むからもう、俺に関わらないでくれ……」
夕暮れかけた空の下。
俺と、なぜだかくるみも、半泣きでそれぞれの帰路についた。
★ ★ ★
体育館で、俺は征と一緒にあぐらをかいていた。
体育座りしなくていいのかって?そんな座り方は聞いたことがないな。
今日は球技大会。種目はバレー。学年全体での体育の授業だ。
「鶴瀬さん、輝いてるぜ」
俺の視線は鶴瀬さんに釘付けだった。ついでに言うと、男子の3分の1から半分くらいは鶴瀬さんを見ていたと思う。
ちなみに俺たちは言うまでもなく一回戦で敗退してすでに見る係に回っている。
総当たり戦という概念はないらしい。まあでも、俺みたいな運動が苦手な奴がずっと足を引っ張り続けるという公開処刑という名の苦行を実行されずに済んでいるとも言えるな。
今は第4回戦。16分の1の勝者たちが鎬を削っている。
同学年は300人程度なので、敗者復活戦で上がってくる1組を合わせて、次の5回戦で決勝になる。
「行くよっ」
鋭い音と共に、険しいスパイクがコートに叩き込まれる。
「鶴瀬さん、運動もできるよな」
俺はその姿に見惚れながら、そんなことを口にした。
「小さいなりに結構素早く動くよな。その割にジャンプも高いし」
髪を上げている鶴瀬さん。いつもとは違う白いうなじがちょっと色っぽいのと、額に巻いた赤色の鉢巻きがチャームポイントだ。
すごくかわいい。それ以外の感想は、あまり思いつかなかった。
今の対戦相手の上御前さんも鶴瀬さんと同じバレーボール部だ。お互いに善戦しているみたいで、さっきから攻撃の応酬が続いていた。
「一番得点が多いのは上御前さんだろうけど、チーム戦という点では鶴瀬さんの勝ちだろうな。これは」
上御前さんのチームは、最初こそ得点が伸びていたものの、次第に伸び悩んできている。
一方の鶴瀬さんのチームの得点ペースは安定しているというか、後半にかけて少しずつ伸びてきている感じだ。
俺は思わず口にしていた。
「一生眺められるわ」
「……冗談だよな?」
征が訝しげな視線を送ってくる。
でも、鶴瀬さんは、俺のことなんて眼中にない。
「お前もバカだな。あんま変わんねーよ、俺と」
征は笑いながらそう言った。
デジタル式の得点板から、ブザーの音が鳴る。
試合が終わったようだ。
戦いを終えて、挨拶を終えて、クラスメイトから笑顔でタオルを受け取る鶴瀬さん。
その様子を見て。
こうやって、一回戦を敗退して、体育館の隅っこであぐらをかいている自分をつい、考えてしまう。
何だか、俺とは不釣り合いだな。
「俺は、鶴瀬さんと恋人になりたいのかな」
「そうなんじゃねえの?」
「……多分、そうだな」
でも、あれだけ露骨に嫌がられていると、話しかけるのすら辛いというか。
「お前は良くやってるとは、思うよ」
征はふと、そう口に出した。
「え?」
そんなことを言われるなんて思ってなくて、俺は驚いた。
そんな俺の様子を知ってか知らずか、征は続ける。
「でもさ、鶴瀬さんの気持ちとか、ちゃんと考えてるのか?急に告白されて、それから立て続けに話しかけられて。お前、自分の立場をよく考えてみろ。かっこいいわけでもなければ、勉強も運動も特別できない、努力もしない。放課後は俺と駄弁って、まあ楽しいからそれでいいけどさ、俺は。でも、俺とお前はそれで良くったって、鶴瀬さんは気持ち悪いだけだと思うぞ」
……確かに、言われてみれば、そうだ。
「少なくとも、今のお前じゃ何も無理なんだよ」
「……お前、めっちゃ考えてくれてんじゃん」
「まあ、失敗するとしても、関係が壊れないくらいの失敗にできるようにな。応援くらいしてやるよ」
征……お前ってやつは、ただの美少女オタクじゃなかったんだな……!
あと、失敗する前提なのやめてほしいが。
「お前のいいところは底抜けに前向きなところだ。まあ、考えなしとも言えるが。幸いなことに、高校生活はあと一年間あるし、鶴瀬さんはちゃんとお前に向き合ってくれる人間だ。話しかけるのはやめて、きっかけを待ったほうがいい、な?」
な、なるほど。
でも、きっかけなんてできるか?
「この間、ドクルミが俺のところに謝りにきてさ。その時、なんでかあいつ泣いちまって、そこを見られたんだよ。絶対、俺のこと、女の子に手を出しまくる見境のない奴だと思われたと思うんだ」
「……それは、アウト寄りのアウトだな」
征はまじめ腐った顔でそう言った。
「結局、人間なんて縁なんだよ。仲良くなれる時はなれるし、なれないときはなれない。今お前にできるのは、できるだけ鶴瀬さんのそばにいて、会話のきっかけになってくれそうなチャンスを探すことくらいだと思う」
征のそれらしいおそらくゲーム知識からのアドバイスに、俺は頷く。
「なんでも聞けよ。俺はなんでも知ってるからな」
征はいつもソースが不確かなこと以外は頼りになるなぁ。
「俺もバレー部に入ったほうがいいかな」
「……それはストーカーみたいでキモいからやめろ」
だよな。さすがに一回戦敗退の俺が入ったところで、なんのいいとこも見せられはしないしなぁ。
俺は最後に一度だけ鶴瀬さんの方を見た。
汗を流し、友達と笑い合う彼女がひどく遠い存在に見えて仕方なかった。
★ ★ ★
放課後、俺は今日もいつも通りに征と屋上でだべっていた。
「お前、勉強始めたのはいいけど、こんなとこに来てまですんなよな」
「うるせえ。俺は今日から学年一位目指すって決めたんだ」
俺は寝転びながら社会のこれ一冊でマスター系の暗記本を赤シートで隠しながら勉強する。
「ここまで拗らせたらもはや執念だよな……鶴瀬さんに迷惑かけてないだろうな、お前」
「かけてない……多分。話しかけるのも、見るのもやめたよ」
あと、放課後は図書館じゃなくてラウンジで勉強するようにしたし。
ふと顔を上げると、征はいつもの自作のゲーム機を持ちながら、屋上のフェンス越しに、校庭で遊ぶ生徒を眺めていた。
俺は、気になったことを聞いてみる。
「なあ。征。お前は、せっかくの高校生活なんだし、恋愛しようとか思わないのか?」
「ちょっとだけ昔話になるけどな。俺はリアルの恋愛があまり好きじゃないんだ。前に、俺のことを大好きだって言ってた女の子と付き合ったときに、純情から付き合って3ヶ月後、その子が俺の嫁たちの悪口を言ってるの、メールで誤爆されてさ。それから、リアルの女子はトラウマだし、別に嫁はいるから寂しくないしな」
それは……致命傷だな。
「でも、いい薬なんじゃねえの?その子はお前のことは嫌いじゃないんじゃ……」
「すぐに振ったよ。価値観合わないんだから、それがお互いのためってもんじゃね?」
いい加減目を覚ませよ。
「俺はまだ諦めてないからな。必ずお前を正気に戻して救ってやる」
そう言っても、征にはどこ吹く風だった。
「今夜は『メイキング』シリーズの聖女院の紺碧ことラナちゃんと添い寝するんだ。とは言えさすがにフィギュアをキズモノにするわけにはいかないから、ベッドの上には呼べないけどな。何人たりとも止められない2人の時間だよ」
俺はもう突っ込まんぞ。何言ってるかもわからんし。
しかし、次の瞬間だった。
「なあ、おい、ちょっと見てみろよ」
征は俺にそう言う。何か面白いモノでも見つけたようだ。
「どうした?新しいナスカの地上絵でも見つかったのかよ」
言いながら、俺はフェンスに近づき、下を眺めた。
「なあ、あれドクルミじゃね?」
そのフェンスの下では、少女が荷物を手に取って学校を出て行っていた。
「あいつ、学校来てたんだな」
征は物珍しげに声を上げた。
「そんなん、どうでも良くない?」
俺は少しだけ嫌悪感をあらわにする。
「……なあ、あいつって黒い噂結構あるよな」
自業自得じゃないか、とも思う。
でも、口に出すのは憚られたので、俺は一言、
「そうだな」
と返した。
「俺たちも帰るか」
征がそう言う。
「あ、俺、勉強してから帰るわ」
そう言ってラウンジへ向かう。
「……ちょっと変わったよな、お前」
征は少しだけ笑っていた。
★ ★ ★
「やべえ、課題課題」
ラウンジで勉強をしていた俺は、課題のプリントを教室に忘れてきたことに気づいた。
やらないと、明日もし指名された時に適当な英文書いて誤魔化すことになる。
恥ずかしいのでそれは避けたかった。
午後五時。教室は茜色の光に包まれていた。
「あった、良かった」
言いながら机からプリントを引っ張り出す。
目的のプリントを見つけ出し、安堵していたその時だった。
廊下を誰かが歩いてくる足音が聞こえた。
しかも複数人で、何か喋っている。
俺は覗くように廊下に視線を巡らせ、戦慄した。
つ、鶴瀬さんだ。
何を思ったか、俺は反射的に掃除用具入れの影に急いで隠れてしまった。
何やってんだ俺。そのまま帰れば良かったのに。
部活終わりと思しき鶴瀬さん達が教室へ入ってくる。
すでに制服だ。教室で着替えるわけでもなし、今出て行っても、問題はないはずだった。
「……でさ。今年の後輩、頑張ってくれてるから、意外となんとかなるんじゃないかと思って」
「いやー、きついっしょ。去年は二泊三日であのくたびれようだったし、伸びたら死ぬわ」
教室に入ってきたのは、鶴瀬さんと、その取り巻きの2人だった。
教室に来たのは鞄を取りに来るためだけらしいが、何か話している。
そこで、取り巻きの1人が言った。
「そういやさ。つーちゃん、この間ここで告白されてなかった?」
え?
背筋が凍る。
この間……まごうことなく俺のことだ。
終わった。
「そうそう!誰だっけ、相手。忘れちゃったけどなんかモブっぽいヤツ?」
どうやら鶴瀬さんの取り巻きの2人には見られていたらしい。
でも、俺の一世一代のそれは、2人にとって物珍しい何かでしかなかったみたいだ。
「つーちゃんも災難だよね。あんなのに好かれるなんて。モテる女はツラいぜ、的な?」
そうだよな、俺は、あんなのだ。
「でも羨ましいわー。私も誰かと恋愛してー」
鶴瀬さんはなんと言うのだろう。
怖いのに、俺は耳を塞げなかった。
「……そうだね」
鶴瀬さんは、あんまりこの話題に乗り気じゃないみたいだった。
俺の悪口とか、飛び出てこないで良かったような。
でも、鶴瀬さんは思っていても、友達には言わないのかもしれない。
「ちょっとちょっと、ガチおこ?ごめんて」
「別に怒ってないよ。他のこと、考えてただけ」
あとは、なんと言っていたのか覚えていない。
ただ、気がつくと彼女たちの声は廊下の向こうへ遠ざかっていっていた。
俺はため息を漏らし、掃除用具入れの陰から出る。
「俺って、なんなんだろ」
誰もいない教室に取り残された俺は、そんなことを考えていた。




