4 取り戻せないもの
そうこうしているうちに、いつのまにかその家の前に辿り着いていた。
「ここか」
征が指差したその家は、思っていたよりも普通で、なんの変哲もない小さな庭付きの一軒家だった。
「うわ。蔦がすげえな」
征が声を上げる。
庭を見ると、雑草が生え放題だ。ずっと手入れされていないのか。
単純に住んでるやつがずぼらなのか。
「こんにちはーー……って、開いてる?」
征はインターホンを押すと同時に扉に手をかけた。
扉はすんなりと開く。
鍵を閉めてねえのか。なんか不用心なやつだな。
そう思っていると、玄関の廊下の向こうからドタドタと走る音が聞こえてきた。
俺と征は顔を見合わせる。
「鍋だ……」
「鍋だな……」
そこには、雛飼くるみという少女の姿があった。
なぜか彼女は今、頭に料理用の鍋を被って、フライパン片手に現れた。
「……なんか用?」
「なぜ鍋を?」
「そりゃ、強盗から頭を守るために決まってるでしょ」
ヘルメットとかないのか?
「なぜフライパンを?」
「そりゃ、強盗に反撃するために決まってるでしょ。あんたたちこそ、何しに来たの」
強盗に入られたくないなら、鍵くらいかけとくべきだと思うんだが。
というか征が固まっている。こいつ、知り合い以外の女子相手だとまるでダメなんだよな。俺もだけど、俺はかろうじて喋れるけど、こいつは完全にフリーズしちまうんだった。
「あ、あのさ。お見舞いに……」
「言っとくけど、あんたにやる金なんて一切ないわよ。頭の傷は残念だったみたいだけど、全く後悔も、反省も、してないから」
なんなんだこいつ。性格終わってんだろ。
「だから、そうじゃねえって。話を聞けよ」
「また今度来てよ。そうしたら、少しは考えてあげる」
とりつくしまもないし、征は息してないし。
「早く出てって」
しょうがねえ。また出直すか。というかもういいか。
「おい。征。行くぞ」
征の肩を小突く。
しかし、征は動かなかった。
「どうしたんだよ」
突然、征が口を開いた。
「なあ、雛飼。お前、まだ死にたいって思ってるのか?」
「……はぁ?」
「今朝、珍しくなぜか登校してきたお前のカバンから、このレシートが落ちてきたのを拾ったんだ。ロープと軍手って、お前、何に使うんだよ」
「……あんた、私のストーカーかなんか?」
「今はそんな話じゃないだろ。上がってもいいか?」
分からないが、征が頑張っているのだけは伝わってくる。
俺も一応、言えることは言っておくか。
「つまり、これがお前の持ち物であることは認めるんだな?やましいことがないなら、部屋の中、見せてくれよ」
「……上がったら叩き潰すわよ」
これだけ怪しいことがあるか?
しかし、睨み合いは平行線になりそうだ。
「別に私が何しようと勝手でしょ。ほら。帰ってよ」
「入るか入らないか。ここは、平等にコイントスで決めよう」
俺はポケットから10円玉を……。
「何抜かしてんのよ。あんたが特殊体質なのは知ってんだから。乗らないけど」
……ちっ。ばれてら。
「それに何が平等なの。あんたを入れる気ないんだけど」
「じゃあ、ロープは。ロープは何に使うんだよ」
雛飼は黙り込んだ。
「ほら。言えないんじゃねえか」
謎に観念したみたいに、ドクルミは言った。
「……ロープは、今年の運動会の大縄跳びの練習に使おうと思ってたの。1人で引っかかるのが恥ずかしいから。それだけ」
「それ、本当かよ」
「うっさいなあ!あたしだって悪いと思ってんの!毎年毎年引っかかって……冷めた目で見られてんの、知ってんだから!」
「そんな作り話……」
「いや。作り話じゃない。こいつのせいで去年の体育祭、俺たち青組は大縄跳びで沈んだんだ」
……マジかよ。
俺が征のほうを見ると、征は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「……ちなみに、一昨年は白組だった。右に同じだ」
「征……お前記憶力だけは確かだよな」
あきれた。二の句もつげない。
「なんだよ。心配したじゃねえか、なあ征」
「すまん。俺、お前はそんなこと気にしないやつだと思ってた」
征。お前珍しく喋ったと思ったらなんてこと言うんだ。
「うっせーよ!分かったらはよ出ていけやゴミども」
雛飼は俺たちを手であしらう。
「待てよ。お前はまだ征の質問に答えてねえだろ」
「なんだよそれ」
「お前は、死なないんだよな?」
「当たり前でしょ」
「……だそうだ。行くか」
征はまだ苦い顔をしたまま、頷いた。
「あ、そうだ。これ、先生から手土産。それとお前、学校行けよ」
俺は先生からもらったプリント類を手渡す。
「……そう言えば、あたし、まだあんたから謝罪の言葉を聞いてねえじゃん」
謝罪の言葉?
「俺、お前になんかしたか?」
「昨日の責任……って、言っても、仕方ないか。さっさと行けや」
なんて理不尽な。
「もう、死のうとするのはやめろよ」
ドクルミは返事をすることなく扉を閉める。
「なんだよ、あいつ」
せっかく人が心配して来てやってんのに。
「でもお前、怖がってなかったな」
征が隣で俺の肩を叩く。
「まあ、俺の存在が心理的に大きかったんだろ?」
「バカ言え。普通に怖かったって」
フリーズしやがって、いざという時に役に立たないんだから。
でも。
「なんかあいつ、昔より丸くなった?」
「まあ、今日は少し穏やかめだったよな。中学の頃は放送できない用語の嵐だったし。時間とともに、あいつなりに進んでるってことなのかねえ」
「それが、いい方向だといいけどな」
俺と征は顔を見合わせた。
「このあと、ゲーセンでも寄ってく?」
「いいなそれ。行こうぜ」
俺たちはまだ知らない。
今日の俺たちの行動は、少しだけ意味があったことを。
★ ★ ★
雛飼くるみは、17歳の少女である。
高校生。それも、高校2年生が、もうそろそろ終わる。
そんな彼女には。
「あーーもう、うざいんだよ!」
彼女は手元の携帯を眺め込み、そして地面に叩きつけ、そんな言葉を吐いた。
「ほんと、楽になりたいよ。ほんと」
木の椅子の上には、頑丈そうなロープが置いてあった。
「楽しくないじゃん。生きてたって」
彼女は、床に倒れ込んだ。
フローリングの上は、冷たく、硬い。
「ほんと、なんのために生きてんだか」
携帯には、少しの連絡先。
いくらかのバイト先と思われる、それ。
「いくら稼いでも、あんなに借金があるんじゃしょうがない。面白くねえよ、マジで」
じゃあ、なんで。
彼女は、床に散らばった自分の髪を拾い上げる。
「……今朝川くん」
そのまま、床を転がる。
「本当なんで、あんなことしちゃったんだろ。ああ……」
「人生は、甘くないって」
「知ってるよ。そんなこと」
そのまま、自室の壁をしげしげと眺めた。
「流石に、冷や汗が流れたな」
そこには、壁一面に、ある少年の写真が貼られていた。
「どうせ家には私しかいないからと思ってたけど、こんなもん見られた日には、さすがに死ぬしかないか」
少女はぽつりとこぼす。
「心臓……止まりそ」
静かな部屋に、時計の針の進む音だけが響く。
毛先を指先に遊ばせ、しばらくして、少女は少しだけ言葉を紡いだ。
「でも、学校にいると、辛いんだよ」
「あたし、ゴミなんだよ。廃棄物だから。皆から嫌われてるのも、悪い噂ばっかなのも、こんなに腐った心で、君に近づこうとしたから。これはその罰みたいなものなんだ」
「本当は、死にたかったのに」
少女は生徒手帳を胸ポケットから取り出して、それに挟まっている写真を眺める。
「また、学校に行けば会えるのかなあ」
中学校のころの運動会。
二人三脚のペアになった2人。
少年が、転けそうな少女の腕を引っ張っていた。
「ほんと、私、ダメなやつだなぁ」
少女は大切そうに写真を手帳に戻して、目を閉じた。
「明日、考えよう」




