20 少女、迷走中。
私の両親は事故で亡くなっている。
原因は相手方の酒気帯び運転で、車線のはみ出しから起こった衝突事故だった。
仮にもあの人たちはいい両親とは言いがたいけど、私を育ててくれたのは確かだ。
後部座席にいた私は、運命の悪戯か、ほとんど怪我が無かった。
精密検査のために入院していたとき、お見舞いに来た祖母に、
『お前も一緒に行けばよかったのに』
と言われたのを覚えている。
祖母は体裁のために身請けして、私に家だけを与えて、そのまま放置している。
中学生からアルバイト。
学校では、机に突っ伏して寝ていることが多かった。
いてもいなくても同じ、空気のような私。
周りの人が夢を追いかけている中で、私だけが生きるのに必死なのが少しだけ虚しい。
自分の存在理由を見つけるために、日記をつける。
誰も見ていない自分を、自分だけが見つめ続けるために。
言葉は私だ。それは私が生きていてもいいといってくれている気がする。
ある日、学校でいつも通り寝ていると、私の背中を誰かがつついた。
「クルミちゃん、いつも一人でいるよね」
それは同じクラスの、大人しい女の子、ユキちゃん。
寝ぼけ眼で目を擦る私に、ユキちゃんは微笑みかけた。
「クルミちゃん、私と友達になろうよ」
理由はよくわからない。
クラスの端で寝ている私を案じてなのか、単純に気になったのか。
私としてはそんなことはどうでもよかった。
初めての友達。
初めての味方。
……ただ。
彼女と出かけたとき。
「クルミちゃん、洋服、それしかないの?」
「え……?」
私はサイズの少し合わない母の黒い無地のTシャツを着ていった。
それに対して、ユキちゃんはミルク色のカーディガンにプリーツスカート、かわいい小さな肩掛けカバンを持っていた。
ユキちゃんは苦笑する。
「洋服屋さん、行く?」
私は力無く首を振る。
どうせ何も買えないからだ。
「そっか」
ユキちゃんとの仲はそれでもしばらく続いていたが、私が携帯を持っていなかったから、クラス替えの時にはなくなっていた。
寂しい。
日記には、否定的な言葉が増えていく。
いてもいなくても同じ自分を慰めるように、私はそれを言葉にする。
自傷行為のように繰り返して、自分の傷に何度も何度も刃を突き立てる。
少しずつ、何で生きているのかわからなくなる。
初めてその人を見たのは、修学旅行だった。
当時の担任に、半ば無理やり連れて行かれた東京への旅行。
わからないもので。
それでも、今は私の人生で一番楽しかった思い出だ。
あの頃。
池袋の駅の地下。
どこからどう来たのかわからなくて、サンシャインビルの近くで私は足を止めていた。
人が行き交う。
みんなスーツを着込んだ大人たちで、気後れする。
大きな人たちが、ひっきりなしに歩いて回っている。
怖い。
自分の知らない異世界に迷い込んでしまったような感覚で、どうすればいいのかさえわからない。
そんなときだった。
「おい、クルミ、何やってんだよ」
「今朝川……くん?」
彼は、いつもと何も変わらない姿で現れた。
「お前もポ◯モンセンターに行きたいから抜け出したのか?」
今朝川くんはちょっと頭がおかしい。
でも、さらに頭がおかしい雲外くんという友達がいる。
「まあ、セイちゃんに言っておくよ。あいつなら先生からの信頼も厚いしな。きっとお前も許してくれる」
この頃の私はこんなことまともに考えていなかったけど。
私の初デートはポ◯モンセンターらしい。
ただ、今朝川くんから逸れないように、服の端を掴んでいた。
そのときだった。
ぎゅるる、とお腹が音を立てる。
昼時だったのもあって、ちょうどお腹が空いてきてしまったのだ。
私は顔を赤くするが、今朝川くんは何も言わない。
もしかしたら気づいていないのかもしれないとまで思った。
クラスメイトは他に誰もいない。
ただ、少年のように目を輝かせる今朝川くんについていった。
すると。
今朝川くんは、よくわからない行列に並んで、よくわからない食べ物を買った。
「ほら、ポップコーン」
そうして買った食べ物を、あまつさえ私に渡そうとしてくる。
「いいよ、私、お金ないから」
「気にすんなって、俺、こっそり家からお土産代多めに持ってきてるから」
それはいいんだろうか。
「ほら、チョコバナナクレープ」
「こんなにもらえないよ!」
「いいから食べてみなって。マジで美味いのよこれが」
私はお金がなくて、駄菓子以外のキラキラした食べ物とは無縁の生活を送っていた。
「あまい……!」
初めて出た感想はそれだった。
甘さが口の中に染み渡って、幸せが溢れる。
でも、それと同時に自分が虚しくなった。
毎日必死で働いて。
自分の生活費を稼いでいるのに。
他の子は、こんなにいいものを食べて。
どうして、自分だけこんなに惨めに生きなければならないのだろうか。
「ずるいよ。私はこんなの、食べたことないのに」
「じゃあ、よかったじゃん。ここで食えて」
彼は無邪気だ。
そう言われてなぜだか、無性に涙が出る。
甘い。
甘い。
美味しい。
私はその喜びを必死で噛み締める。
なぜだか、彼のその言葉が、私のしょうもない人生を救う考え方のような気がした。
その後、無事に先生たちに合流する。
大きなドラゴンのポ◯モンのぬいぐるみを買っていた今朝川くんは、カバンに入り切らないのがバレて、あとで先生たちにしこたま怒られていた。
私の日記は、その頃から彼のことばかりになっていった。
見返すたびに、自分にとってその人がどんな人間だったか分かってしまうくらいに。
でも。
何度も何度も、彼に好きと伝えているその日記の中でしか、私は主人公になれない。
彼が他の女の子と話していると、死にたくなる。
痛いほど好きな気持ちがはやって。
私は、いてはならない人間になったのかもしれない。
だから、私は。
『お前がこんなことするやつだなんて、思わなかったよ』
ずっと、あの日を探している。
★ ★ ★
授業なんて楽しくない。
机に向かいながら、ただ茫然と教科書を眺めていた。
変わり映えのしない日常だった。
今朝川の行く、憧れの学校だった。
ただ、それだけの理由で、受験を決めた。
受かるために今の私じゃ考えられないくらい勉強した。
あの頃は必死で、何も見えてなかったけど。
でも。
あんなことになって。
今朝川のいじめに加担してから、私が持ってたもの、全部無くしちゃったみたいで。
罪悪感が強烈にフラッシュバックする。
生きる気力も無くなるくらい、自分を責める声がする。
今朝川をあれだけ傷つけておいて、なんで生きているのか。
どうして、自分に嘘をつき続けてまで生きながらえるのか。
わかってる。本当は全部、自業自得なんだって。
何度謝っても足りない。
せっかく近づいて、行動で示せる場所まで来たのに。
私は何をしてるんだろう。
私がどれだけ正直になろうとしても、あいつの前に行くと声が出なくなる。
彼は、私を救ってくれたけど。
私って、本当に救われる価値のある人間だっただろうか。
空が好きだ。
私はもっと高い場所へ行きたい。
でも、それはあくまで理想のこと。
現実の自分はもっとひどくて醜い、悪意にまみれた何かだった。
私って、いくら変わろうとしても変われないのかな?
でも、なんでだろうか。
彼に優しくされればされるほど、死にたくなるのは。
窓の外から空を見上げる。
数羽のスズメが群れるように飛んでいく。
いいなあ、空を飛べて。
私なんて。
もう、生きている価値もないのにね。
★ ★ ★
一人の帰り道。
雨続きの梅雨にしては珍しい晴れの日。
咲いたアジサイを横目に見ながら帰る通学路。
昔、人に言われたのは。
『クルミちゃんは、友達も多くて、悩みとかなさそうだよねぇー』
友達が多いとそう見えるらしい。
私が金髪にしている理由も知らないんだろうな、と思う。
私は知っている。
自分には大して才能なんてないのだ。
私の生きる道は、最初からひとつだった。
人は、どこにも道がないと分かった時、どうするのだろう。
理解しないふりをする?
耐えられるのなら、私もそうしたかった。
私には、もうどこにも道が見えない。
でも。
踏切で電車を待つ時とか、ふとした瞬間に思う。
もしかしたら、そこに私の道があるんじゃないかって。
私が私でいることを許せるような、そんな道が。
無性に消えたくなって、自分を無くしたい衝動に駆られる時がある。
★ ★ ★
アルバイトを終えて帰る時は、いつも寝静まった住宅街の中を通る。
暗い夜の街の底を歩く。
静かすぎて、もう世界は終わってしまったのではないかと錯覚しそうになるくらい、音の消えた街。
その中にある、電気のついていない一軒の家。
その家の扉を開ける。
「ただいまー」
誰もいない家に声をかけて、扉を閉めた瞬間、音が消えた。
私は大きく息を吐いた。
そうして、膝から崩れ落ちる。
ただ上を向いて、玄関の天井を見ている。
「……結局、私は」
学校でも、家でも。
だから街に居場所を探した日もあったけど。
あったのは、傷の舐め合いの日々だけ。
それも、私の傷を癒してはくれないし、私の欲しいものは、そこにはなかった。
自分が欲しいもの。本当はわかっている。
ただ、愛されたいだけだ。
誰にとっても有害で、生きているだけで迷惑をかける。
「なんだ」
今の自分が空虚に感じて。
私、いなくてもいいんだな。
ただ、心からそう思った。
自分が嫌いだ。
甘いだけの自分に反吐が出る。
拳を強く結ぶ。
こんな人間、いらない。
こんな私、いらない。
ただ苦々しい感触だけが残った。
なんで、2日も持っておいたんだろう。
カバンの底で潰れたチョココロネを、ゴミ箱へ放り込む。
「ごめんね、私」
自分は結局、何者にもなれないのだ。




