19 傷あと
私がそのチラシを目に留めたのは、仲間と駄弁っていた時。
人通りの多い、新片山から少し離れた天明町方面。
憧れの喫茶店でのバイトだった。
「午後のシフト、16時からなんだけど、間に合う?」
そのためには、通学時間をなんとしてでも短縮する必要があった。
今朝川から自転車の乗り方を何度か教わり、乗れるようになった。
おかげで、全部うまくいく……とはならなくて。
「雛飼さん、金髪だよね」
「うん。私、ああいう子ちょっと苦手」
もともと、嫌われるためにした金髪だった。
好かれていた誰かに嫌われるのがトラウマになってるから。
最初から嫌われた方が楽なの。だって、何も心配しないでいいから。
今朝川に話しかけるのも、最初はそのつもりだったし。
誰にとっても有害な私。
でも。
露骨に距離を取られて気づく。
なんで私、こんなことしてるんだろう。
そうだ。
私は、死にたいんだ。
十字架を背負っているから。
でも、憧れとか語ってる時点で、笑えないくらい自分が自分の生に縋っているのもまた、事実で。
それがたまらなく虚しかった。
中休み。
シフトが被っていた大学生の女の人と話す。
「クルミちゃん、めっちゃ金髪だよね」
「あ、はい」
「学校に好きな男の子とかいて、気を引きたいとか?」
「……そんなんじゃないですよ。これは、私が私を壊すために、必要というか」
「イメチェンね。分かるわ。私も一度くらい金髪にしてみたいし」
「そうですよね」
「でも、いいなあ、高校生かぁ。なんか夢とかあるの?」
「夢は……」
高校生だからなんなのだろうか。
何がいいのだろうか。
たかが若いだけで、私には青春なんて来ない。
誰も私を救わない。私は救われる形をしていない。
「小説家です」
「はは、クルミちゃん本当に?似合わねー」
似合わない。
百も承知だ。
私は愚かなんだと思う。
あと少しで咲くかもしれないと、そのつぼみに水をあげ続けている。
本当はもう、腐っていると知りながら。
「でもさ、本当に才能がある人は、高校のうちから何か賞とか取ってるよね」
……それは。
本気じゃないと言い訳するのは、簡単だった。
「……やっぱり、そうですよね」
自分は、虚無だ。
ただ生きているだけでそう思い知らされる。
★ ★ ★
次の日も。
俺は性懲りも無くクルミに話しかけに行った。
「やあ、クルミくん、おはよう、今日もいい天気だね」
何だかこうしていると、鶴瀬さんに話しかけていたあの日々を思い出す。
こういうのってもしかしてそんなに上手くいかないのか?
「……何しにきたわけ?」
クルミは露骨に不機嫌そうに漏らした。
「……悩みとかないかい?」
俺は片目でウインクしてみせる。
我ながら決まっていると勝手に思っていたが、クルミは歯牙にもかけない。
「そんなの、あるわけないでしょ」
クルミはまぶたを引っ張って俺に舌を出した。
こいつ……。
「いやある!思春期の君が悩みを抱えていないわけがないんだ!」
「キモい……!帰れダボ川!」
ダボ川ってなんだよ。
会話の糸口は掴めないけど、俺は無理やりそれを手繰り寄せようとする。
「あれか?書いてる小説が上手くいかないとか、そんなことじゃないか」
「……」
クルミは押し黙る。
どうやらあながち間違ってもいないようだ。
「小説家になるんだろ」
「……それは、無理よ」
クルミの瞳は曇ったままだ。
でも、そんなクルミだから、俺は教わったんだと思う。
「俺は、お前が苦手だよ。だけど、そんなお前から教わったこともある、そのな」
こんな醜聞、晒すのもどうかと思う。
でも、言わないといけない気がして。
「鶴瀬さんに、振られたって話しただろ」
あの時の感情がフラッシュバックする。
それは怖くて、痛くて、何もかもが無に帰るような感覚。
自分が大切にしてきたものを、自分で壊してしまったのに。
それを勇気だなんて呼べる力は、俺にはなかった。
「しょうもないよな。でも、俺は、そんなんでも、立ち直れなくてさ」
バカなやつだ。それで何か変わるわけでもないのに、後悔し続けて。
自分の愚かさを何度呪っただろうか。
でも。
「だけど、お前は言ったよな」
俺は、お前に少しだけ救われたんだ。
机を見るように俯くクルミに俺は言った。
「好きなら、諦めるなって」
ふと、顔を上げるクルミ。
俺は、彼女に笑ってほしいだけだったのに。
「……私はね」
クルミは静かに俺に目を合わせる。
その瞳は輝きを失っていた。
「私はね、もう、好きじゃないから」
……事態は、思っているよりも深刻で。
俺は、自分が何をしたいのかも、よくわからなくなった。
ただ。
その表情が、全てだった。
★ ★ ★
俺はいつも通り、屋上で征と話す。
「最近、クルミが変な気がするんだよ」
「あいつが変なのはいつものことだろ?」
征は軽く茶化す。
「というか、お前からそんな話題振ってくるなんて珍しいな。どういう心境の変化?」
「さあ、俺にも分からん」
別にあいつのことが異性として気になるわけじゃない。
ただ、あいつのことを見ていると、落ち着かないというか。
あんまりにも落ち着きすぎて変というか。
征は短く口笛を吹いた。
「まあ、普通じゃね?」
「でも、最近あいつちょっと優しすぎねえか?」
「俺はクラスが違うからなぁ……」
征は少し困っているようだった。
「俺にはクルミのことはよくわからんのよね。そんなに親しいわけじゃないし。中学も同じクラスになったことないし。だから、こういうのはお前のほうが詳しいだろ?」
……いや、全くわかんないんだけど。
俺なんかにどうしようもあるのか?
「どうしようも、なくない?」
だが、征は思わぬことを口にする。
「まあ、クルミのSNS特定するくらいならやってもいいかもな」
……え、SNS?
「たとえばクルミの名前。雛飼でもクルミでもヒナでもくーちゃんでもフィルターをかけるだろ。その中から出身地がうちの近辺のアカウントに絞るだけで、結構な確率で見つかるだろ」
「それっていいのかよ」
「別に違法じゃないとは思うが。お前が言うから、俺は解決策を提示しただけだよ、やるかやらないかはお前次第だ」
クルミは別に俺の好きな人じゃない。
だから、正直言って、どうでもいいと突き放すこともできた。
「……やる」
クルミの冷たいあの顔が頭を過ぎる。
本格的に自分が何をしたいのかわからなくなってきた。
俺は片っ端からSNSにアカウントを作る。
その中からクルミと関連がありそうなアカウントを探していく。
「俺も手伝ってやるか」
征も何かパソコンを弄り始める。
「見つけた」
三分後、征はそう言った。
「あいつ、ちょっと名前変えてたな」
そう言いながら征はパソコンの画面に、クルミが友達と撮ったプリクラを上げている写真を俺に見せてきた。
全員マスク姿とはいえ、あいつ、ネットリテラシーなさすぎだろ。
「これ、どうやって見つけたんだ?」
「クルミの知り合いに、俺がアカウントを知ってる奴がいて、そいつのくーちゃんって発言に返信してるアカウントの中にいた」
意外と原始的な方法だった。
「TJKヒナ?よくわからん略称好きだよな、クルミ」
「そうなのか?」
とにかく、最新の投稿までスライドする。
「……うつみたいな投稿多いな。あいつ大丈夫なのか?」
「俺もそう思った」
投稿はさまざまだった。
日常の不満、自分の懺悔、友達らしき人物との記録。些細なことまで詳細に記録されている。最も古い投稿は1年前、高校一年の夏くらいだ。
「マメなんだな、あいつ」
「……うーん」
俺と征は頭を抱える。
「ぶっちゃけ、ここまでだと、ただ希死念慮を抱えてるだけにしか見えねえな」
「でもあいつ、実績あるよ」
「そうさなあ……」
何の気なしに、あいつがこの前、未遂した日の投稿へ遡る。
『自分が自分じゃなくなることってあるよね』
そんな発言が、昼下がりのどこかのカフェのアイスティーと共にアップされている。
どういう意味かはよくわからない。
ただ、何だか胸の奥がざわついた。
昔は友達との投稿が3日に一回くらいは投稿されていたが、最近は一人でのものが多い。
写真も最近はあまりなく、ただ文面だけだ。
探索の末、俺はある投稿を見つける。
それは、10日前くらいに投稿されたものだった。
『六月が終わるまでには、決着をつけなきゃとは思ってる』
……どういう意味だろうか、決着。
「今日って、28日だよな」
「ああ。それがどうした?」
杞憂で終わるだろうか。
それだと、いいんだけれど。




