15 きっかけ
思えば、その人は最初から特別だった。
明るくて、可愛くて、真面目で、クラスの人気者。
頭もいいと来ては、もはや非の打ち所がない。
初めて鶴瀬さんのことを好きになったのは、いつのことだっただろうか。
そう、あれは確か、去年のことだ。
その頃の俺は、彼女のことは好きでも何でもない。
「今朝川くん、これ、よかったら」
「あ、うん」
そう言われて渡されたのは、一枚のポスター。
生徒会選挙の公約が書かれたやつ。
デカデカとタスキをかけた鶴瀬さんがメガホンを持っているデフォルメ絵が書いてあって、インパクトしかない、キャッチーなリーフレットだ。
正直言って別に興味もない俺は、どちらかというと冷笑気味にそれを見ていた。
よく、こんなことに本気になれるよな。
俺はオタクでも何でもない。
ただ根暗で、世の中に興味がなかった。
向上心も、何もかもが存在しない。
何にもないゆえの、閉塞。
目的なき日常。
量産型の虚無人間。
それでも、他人に迷惑をかけないだけ、まだマシだと思っている。
意味不明だ。
でも、俺はそんな人間だ。
俺は自分が特別でないことを知っている。
自分が一番になれないと知ってから、必死で努力することが無駄な気がしていた。
そんな俺にとって、彼女はまるで才能の化身のように映った。
いいよな、できる人間は。
俺はリーフレットを二つに折り、適当にクリアファイルに仕舞う。
こんなものよりテスト範囲の書かれた用紙が欲しい。
鶴瀬さんは俺に渡した後、他の人にも声をかけていた。
彼女がなりたいのは副会長。
そして、三年生に強力なライバルがいるようだった。
毎日、校門のところに立って挨拶を繰り返す。
昼休みには校内放送で自分の公約をアピール。
夕方も校門で帰宅する生徒に話しかけてまわっていた。
俺だったらそんな冷笑の対象になるような行為、避けたいとすら思う。
それでも前向きに動く少女。
何が彼女をそこまで突き動かすのだろう。
俺も、自分の席でカバンの中に教科書をしまっている時に話しかけられた。
「今朝川くんがよかったら、僕に投票して欲しいな」
そう両手を合わせて頼み込んでくる彼女。
俺はあと一年しか学校にいない三年の先輩の方を投票するつもりだった。
正直言って鶴瀬さんはかわいらしい。
俺が斜に構えて生きているような人間でなければ、
「僕に投票して欲しいな」
なんて少し上目遣いに言われた日にはコロッと意見を変えていただろう。
「うん。考えとくよ」
友達も多い鶴瀬さんは、どこか特別で、雲の上の人。
どうやっても手の届かない場所にいる人間に、興味がある方がおかしい。
なんとなくこういうタイプの人間って、どこへ行っても成功して、いつかどこか俺の知らない場所へ行くんだろうなと思っている。
だから少しだけ嫉妬の混じった、俺のささやかな抵抗だった。
ある日の放課後。
俺は友達と駄弁った後、図書室へ向かっていた。
授業中に先生が参考になって面白いと言っていた漫画があって、それを借りるつもりだった。
あった。これこれ。
そう思って本棚へ手を伸ばすと、女子生徒と手が触れる。
「ご、ごめんね!」
相手は鶴瀬さんだった。
「……今朝川くん?」
鶴瀬さんも相手が俺であることに今気づいたようだった。
「今朝川くんも、気になってたんだね」
そう言う鶴瀬さんは嬉しそうだ。
どんな感情かはよくわからないけど、話しかけるのとか好きそうだ。
誰と話しても楽しそうにする人種。
まあ、そんなことはどうでもいいか。
「そうだな」
こんな時どう返していいかわからない俺は適当に相槌を打つ。
「マンガ好きなの?そういえば、よく友達の人とアニメについて話してるよね」
好きっていうか、あれはあいつの趣味だけど。
「嫌いじゃないよ。夢と希望があるし」
どれも、現実の俺にはないものだけどな。
そんな超冷笑人間の凍てつくような反対言葉を意に介さず、鶴瀬さんは突っ込んでくる。
「僕もマンガ、好きなんだ。そんなに詳しくはないんだけどね」
「そうなんだな」
「興味ないね、さては」
そんなつもりじゃ無かったけど、そう受け取られたみたいだった。
いや、実際、大して興味もなかったかもしれない。
「じゃあ、問題です。もし正解したら、君が先に借りていいよ」
鶴瀬さんはそう言って自分のカバンを見せる。
「このキャラ知ってる?」
そう言って鶴瀬さんは、カバンについているキーホルダーを指さす。
狙撃銃のようなものを持った、笑顔の灰色の髪の女の子。
征ならわかったかもしれない。だが、残念なことに俺はオタクではない。
「知らないな」
「……まあ、そうだよね」
鶴瀬さんは少し残念そうだった。
「僕の友達がくれたんだ。かわいいよね」
鶴瀬さんがアニメ好きなのは少し意外だった。
もっと大人びていて、現実しか興味ないんだと思っていた。
思っていたより有機的なんだな。
「僕も、君と同じだよ」
鶴瀬さんはそう言う。
「ドレッドノートって言うんだって。この子のこと」
確か、恐れ知らずとか、そういう意味だったか。
「僕も、希望を与えてくれるアニメが好きだよ」
希望を与えてくれる、か。
いいよな、と心の底から思う。
俺だって。
才能があれば。
一番になれれば、何かを好きになれたはずだ。
でもそうじゃない。
俺は俺だ。
この学校に入ってから、自分が誰かより優れていると思ったことはほとんどない。
「……俺の負けだよ」
俺は本を譲る。
図書館に用もなくなった。
踵を返そうとしたその時だった。
「待って!」
鶴瀬さんは俺を制止する。
「これ、君が先に借りなよ」
「でも……」
俺はゲームに答えられなかっただろ?
そう思って黙り込む俺の胸元に、鶴瀬さんは本を押し付ける。
「これは今の僕より、君に必要だと思う」
じゃあ、部活があるからと、鶴瀬さんは手を振って走り去る。
残された俺は、ただぼーっと手元の本を眺めた。
なぜ、彼女は俺に渡したのだろう。
よくわからない。
ただ、なんだか少しだけ彼女が輝く理由がわかった気がした。




