11 飛び立ちの予感
俺は完成した原稿を提出しに、文芸部を訪れていた。
そして、文芸部の扉の前。
そこで、鞄を持ったクルミと出会った。
クルミは真剣な顔で文芸部の扉に手をかけるものの、何かをためらうように手を離して、またかけてを繰り返していた。
「お前、何やってんだ?」
「あ、今朝川、偶然じゃん」
振り向いたクルミはちょっとだけ緊張の面持ちだ。
落ち着けよ、お前。
「お前も文芸部に用があるのか?」
「……うん」
クルミは覚悟を決めたような顔をする。
一体どうしたというのだろう。
まあいいか。
「先行くな」
「待って、一緒に行く」
俺が扉を開けると、そこには上嶋の姿があった。
他の部員の姿はない。今日は彼一人のようだ。
「頼まれてた原稿、持って来たんだけど」
「想像以上に早いですな!迅速な対応感謝致しますぞ!では早速拝読……」
正直言って、大して面白いとも思っていなかった。
どこにでもあるような、恋とその資格をテーマにした、高校生二人の恋愛譚。
だが。
「これは傑作ですな、今朝川氏!小生は今、打ち震えておりますぞ」
恋に飢えた獣からは高評価だったようだ。
「やめろよ、たかが素人文芸だろ?」
「ご謙遜召されるな。十分、いや十二分でありますぞ」
なんだか上嶋のツボにはハマったらしい。俺にはよくわからない。
あれでよかったのだろうか。
キモいオタクが色々考えてクラスの美少女に告白して振られるまでの短い話だけど。
まあ、恋愛モノならなんでもよかったのかもしれないな。
「早速部誌に掲載させていただきますぞ。そうそう、完成次第、今朝川氏にも一部お渡しさせていただくゆえ、少々お待ちを」
「あのさ、上嶋」
その俺の隣でクルミが恥ずかしそうに言う。
「私も文芸部、入部したいんだけど」
上嶋は口を大きく開いて、その後、下唇を噛んでものすごく嫌そうな顔をした。
「我が文芸部は聖なる宿り木〈イグドラシル〉!ギャルの入部はお断りですぞ!」
「ギャルじゃねーよ!」
クルミはものすごいスピードで即答する。
「いいや、まごうことなき金髪ではないですか!無理!不可能っ!」
ははは、俺をおちょくった罰、いい気味だぜ。
というか、それが言いたくてずっと部室前に立ってたわけか。
「いいよ、一人で書くし……」
しかし、なぜか上嶋は俺のことを見た。
ん?
なんだか嫌な予感がする。
俺の嫌な予感は当たる。
咄嗟に上嶋から目を逸らすが、間に合わない。
「あ、今朝川氏と一緒なら、受け入れないこともないですぞ」
ほら来た。
だからなんで俺?
クルミは驚いたように俺を見る。
やめて。お願いだから何も言うな。
そんな俺の願いなど気にも留めないように。
「マジ?今朝川ぁ、頼むよ、神様仏様今朝川様!」
クルミは俺に両手を合わせてお辞儀する。
いや、マジ?
「お願いお願い今朝川!本当に、夢だったの、作家になるの!手助けすると思って!」
お前なあ。
俺の人生を散々荒らしといて、ちょっと都合が良すぎるんじゃないか?
「……」
俺は素直にはいとは言えなかった。
しかし、鶴瀬さんの件で世話になったのも確かだ。
どうすればいいか少し悩む。
だが。
そんな俺の気配を察知したのか。
「分かってるよ。ごめんね、冗談だって」
クルミは顔を上げる。
その顔は潔く諦めたもののそれではない。
ただ、俺の顔色を窺っている。
俺たちはただの仲良しではないのだ。
それを知っているクルミは、そうするしかないのだろう。
でも……なんだよそれ。
おい、それは反則だろ。
俺が悪者になるじゃんか。
くっ……。
「いいよ。入るよ。あんまり活動できなくても良ければだけど」
俺は絆されやすいのだ。
自分でもどうかしてると思う。直せないかな、この性格。
いつかよくないことになると思うんだけど。
「もちろん!部誌は毎月でござるが、必提出ではないのである。ご安心召されよ」
「本当!?今朝川マジでだいす……じゃなくて、神!ありがと」
クルミは俺をバシバシ叩く。
俺は上手く映らないテレビか?
っていうかおい。なんで言い換えた。俺のこと嫌いかさては。
まあ、しょうがねえか。
★ ★ ★
図書館。
静かなその場所の窓際の一席で、俺は勉強を教えてもらっていた。
「ここは、点PとQとRのうちQとRが動くんだよね。問題文にはないけど、点Pは前問から点Bと重なっているから……」
「なるほど、この式は正確に変化を反映できていなかったか」
「ああ、そうだね」
ほぼ鶴瀬さんに教えてもらうだけの時間に辟易する。
やっぱり迷惑だったんじゃないだろうか。
そんな思いと同時に、嬉しさが込み上げてくるのだからタチが悪い。
「難しいよねえ。確率……」
「全然、わかんねえなぁ」
何度となく解いてきたはずなのに上手く式が立たない。
やっぱり勉強は苦手だ。
「大丈夫、今朝川くんならできるようになるよ!毎日、勉強してるし」
そう言われて、嬉しいような、でもできない自分が悲しいような気持ちだ。
「今朝川くんは、志望校とかあるの?」
志望校……か。
正直、迷っている。
大学生になったら東京へ出るか、それともこの辺の大学に進学するか。
人が多い東京に、少しくらいは憧れはある。
「鶴瀬さんは?」
「僕?僕は……」
鶴瀬さんは少し迷ったあと。
「あんまり言わないでほしいんだけど」
そう前置きして言った。
「僕は、海外に行こうと思ってるよ。多くの人の手助けがしたいから、やりたいことがあるんだ」
……海外進学。
それって。
卒業したら、もう会えない可能性が高いだろう。
俺は鶴瀬さんの成績を知らないけど、勉強のことで周りに頼りにされているのは知っている。
同じ学校のはずなのに雲の上すぎてもう嫉妬も湧かない。
鶴瀬さんなら、どこにでも行けるよな。
同じ人間なのに、不思議だった。
「どうしてそんなに頑張るんだ?」
俺がそう聞くと、鶴瀬さんは少し困った顔をする。
「どうしてって、僕は……」
何かを言おうとした鶴瀬さんだったが、なぜか言葉に詰まった様子で次の言葉が出てこない。
しばらくフリーズしたかのように黙ったままで、俺はどんな言葉をかけていいか迷う。
やがて、鶴瀬さんは静かに言った。
「……こんなつまらないこと、君に話しても仕方ないよ」
鶴瀬さんには、鶴瀬さんなりの事情があるのだろう。
俺は深くは踏み入らないことにした。
ただ、ほんの少しだけ、拒絶されたような気がしたけど。
「ちょっと、トイレに行ってくるね」
そう言って鶴瀬さんは椅子を引いて立ち上がる。
その時だった。
鶴瀬さんの鞄から、一冊のノートがこぼれ落ちる。
ノートは見開きのまま、おそらく一番新しいページを開いたまま落下した。
それを見た瞬間、鶴瀬さんの顔が驚いたようになり、それから一気に熱を出したように赤くなった。
「だ、ダメダメダメっ!見ないで!」
鶴瀬さん……。
「なに、それ?」
「これはぁ……、これはぁ……えっと」
何か誤魔化そうとしていたようだが、鶴瀬さんは肩をすくめて言う。
「……日記帳だよ」
それならそうと素直に言えばいいのに。誰も否定なんてしないから。
「変だよね?だって僕、思い出とか作ってる場合じゃないのに……」
言い方になんだか少しだけ闇を感じる。
彼女は一体何をそんなに臆病になっているのかわからないけど。
「別に、誰にも言わねえよ。それに、楽しいことが全てじゃないけどな、でも、自分に何もないと、なんで生きてるのかわからなくなっちゃうだろ」
あと、マメな鶴瀬さんは勝手に好感度ポイント高い。
「……ありがとう」
鶴瀬さんは大切そうにノートを鞄にしまう。
「でも、いいんだ。僕はわかっているから」
俺に、その言葉の意味はわからない。
こういう時に、征のように鋭ければと思う。
こうして机を並べていれば。
こうして話を重ねていれば。
いつかは、その答えを聞けるだろうか。
届きそうで届かない俺たちの距離は、ずっとそこにある。




