10 恋する資格
ラウンジの片隅のラウンドテーブルを、俺と征、そしてなぜかクルミが囲っていた。
『作品の進捗はどうでしょうか。期日までに書き上げてくださいね。今朝川氏の会心の一作を期待しておりますよ』
そんな無責任なメッセージアプリの通知に、俺はため息をこぼした。
期日は一週間後。まあ別にそんなに短くはない。
だが、生まれてこの方執筆のためにペンを握ったことなどない俺は、100円ショップで買ってきた原稿用紙の前で手を止めていた。
あと。
「なんでお前がいんだよ」
俺はクルミに聞く。
なぜかあの後また電話が来て、クルミは俺の執筆を手伝うと言って出た。
「アンタが手伝ってくださいって言ったんでしょ。しょうがないから手伝ってやるわよ」
あれ?そうなんだっけな。
「なぁ、征、お前こういうの得意だろ」
「やめとけって。ノーベル文学賞取っちまうぞ」
そう言いながら征はゲームに夢中だった。
「じゃあ途中まで書いたんだけど、読んでくんない?」
征は俺の書いた文など読まずに答えた。
「ヒロインが鶴瀬さんに似すぎてる。書き直し」
チッ。書き直しか。
「ねえ、鶴瀬さんって誰なの?」
よくわかっていない様子のクルミが話についてきたいようだ。
あんまり教えたくなかったが、征が勝手にペラペラと喋る。
「こいつのクラスメートだよ。大好きなんだってさ」
征は茶化すでもなくそう言った。
そういえばこいつ、女の子は苦手だけどクルミとはもう普通に喋れるらしい。
「え?それは、どっちがどっちを」
「こいつが鶴瀬さんを。全く相手にされてないけどな」
「おい!どうだっていいだろ!今はこれだよ、これ!」
手元の原稿用紙を机にパンと叩きつける。
「へえ。今朝川、恋愛に興味あるんだね」
咎めようと思ったが、何を思ったのかクルミはそれ以上追及してくることはなかった。
俺は携帯でインターネットの恋愛のコラムを雑に読み漁る。
なかなかいい題材がない。普通はどうやって書いてるんだろ、これ。
「え、今朝川、まさかネットで「恋愛小説 書き方」とか検索してるわけ?」
「……違いますけど」
俺は急いで「恋愛小説 書き方」と検索したタブを閉じる。
いいじゃん。webブラウザの正しい使い方だろ。
「まあ、流石にか」
流石にかってなんだよ。なんだか負けたような気持ちになる。
というか。
「俺に書かせるなよ……死より辛い拷問の一つだろ、これ」
ネット小説を検索して、今度は上の方にある作品を参考にすることにしようとしたが、流石にこれをみんなで集まっている時間に読むのは時間の無駄かもしれないと思い、高速アカウント作成&ブックマークして閉じた。
「そういうクルミはどうなんだよ。そんなこと言うからには、俺にない秘蔵のストーリーの数々があるんだよな?」
「も、もちろん。でも、その前にアンタが書いたやつ見せてよ」
そう言うと、クルミは俺の書いた原稿用紙をぶんどる。
まあ、しょうがない。それなりに良い出来だと思うし、批評してもらうか。
しかし、みるみるうちに嬉々とした様子で原稿用紙を読み進めていたクルミの眉間に皺が寄り、怪訝な表情になっていって、読み終えたあとに一言こう言った。
「……怪文書?」
いやいやいや待て。
「怪文書ってなんだよ! ちゃんと起承転結あるだろ!」
「いや、突然ヒロインが雷に打たれて前世の記憶を思い出すのはないでしょ」
「俺なりのスパイスだよ」
「スパイスっていうか、ひえっ、辛すぎて食べられないわ、これ」
クルミは呆れ顔で原稿を机に差し戻した。その横で、征がゲーム機から目を離さずに言う。
「オチも夢オチだな。昭和の同人誌か」
「……やっぱダメか」
けっこういい味出てると思ったんだけど。
俺が自信を持っている部分だけ綺麗に指摘されて萎える。
「あと物語ってね。書いてる人の本音が出ちゃうものなの。例えば、あんたのここ」
そう言ってクルミが指差したのは、俺がさらに会心の出来だと思ったシーン。
「ここ。この主人公の感情描写、ヒロインの女の子にアタックしようとして躊躇してる感じとか、完全にリアルのアンタじゃない?」
ぐぅ。言われてみればそうかもしれない。
でも出来はいいだろ!心理描写とか自信あるし!
「別にそれでいいのよ。普通はね。でもあんた、いろいろ気にしすぎで展開が遅い。遅すぎる。これじゃあ原稿用紙何枚あっても足りないわ。面白くないし」
面白くないし……面白くないし……面白くないし……
俺の頭の中で致命的な言葉が反芻する。
「でも、これ全部俺の書きたいことだし……」
「そうなの?どう見ても冗長なんだけど」
こいつ……!
「まあ、俺から読んでも大して面白いとは思わないぞ」
征、お前ってやつは!
俺の心の中で筆が折れる音がした。
「どうせ、どうせ俺なんか……」
「あんた、鶴瀬さんって人が好きなんでしょ」
ちょッ……
「声がでかいって」
「なら、思いの丈を書き出せばいいじゃない」
思いの……丈。
「わかんないんだ。俺、どうすればいいのか」
「そんなこともわかんないなら、恋愛なんてしない方がいいんじゃない」
真剣な様子のクルミに、俺は戸惑う。
「何でそんなこというんだよ」
「別に、思ったことを言っただけじゃない」
クルミはそこで突然言葉を止める。
「どうした?」
クルミは何かを考え込んでいるようだった。
「……いえ。どっちがいいのかなと思って。でも、なんでもないわ」
おい、国語の授業でやったぞ。なんでもないって言うやつはなんか隠してるって。
「ていうか、お前、何でそんな口出してくるんだよ」
「当然でしょ、私、中学は文芸部だったのよ。日記も毎日つけてるし」
そうなのか?まあ、らしいと言えばらしい。
妙にロマンチストなところとかあるしな。
クルミはどこか落ち着かない様子で俺に尋ねる。
「じゃあまず、鶴瀬さん、だっけ?その子のどんなところが好きなの?」
それ、必要なことか?
そう聞きたいが、クルミのあまりに真剣な表情に押される。
なんだろうな。
「……元気で、誰にも分け隔てなくて、まるで太陽みたいに優しさを振りまくところとか?」
「それで?」
「いつも全力で、前向きで、俺みたいなのにも真剣に向き合ってくれるところとか。あと、前に生徒会の……」
ニヤニヤするクルミ。何が面白いんだよ、おい。
「なるほどねぇ……」
なんだかバカにされている気がして、話すのをやめる。
「これはけっこう、重症だ」
「やっぱいらないだろ、これ!」
俺はクルミを糾弾する。
「てめえ……」
俺をいじめたくせに、とは言わない。
こいつは俺が思ってるより繊細かもしれないから。
「お前と全然違うところだよ!」
「今朝川がお子ちゃまだから、私の大人の魅力に気づいてないだけじゃないの?」
そんなん基準にねえよ!
オタクに厳しすぎるギャル筆頭が何言ってんだよ。この金髪が!
「時に今朝川、まだ鶴瀬さんを諦めてないのか?」
「……それは」
諦められればどれだけ楽になれるだろうか。
でも、ずっと鶴瀬さんの笑顔が心の中に残り続けてしまっているのだ。
一種の麻薬みたいな、あまりにも強くて甘い感覚が、俺の心を麻痺させる。
「そうよ。あんたみたいなキモいの無理でしょうよ、さっさと諦めたら?」
キモい、キモいか。
その言葉が、思ったよりも鋭く胸に刺さった。笑って受け流すこともできたのに、今日はなぜか無理だった。
「……わかってるよ。言われなくても」
沈黙。征のゲームの電子音だけが、ラウンジの片隅に響く。
「そういう意味じゃ……」
クルミが何かを言いかけて、慌てて口をつぐんだ。
「……ごめん。言いすぎたかも」
「別に。お前が正しいよ。俺なんかに、誰か好きになる資格なんて」
そう言ったとき、自分でも驚くほど声が小さかった。本当に、どこかでそう思ってたんだ。
「なぁ、今朝川」
征はゲームをしながら言う。
「お前には、砕けた経験があるだろ」
「……は?」
「確かに。恋って、うまくいく話ばかりじゃないでしょ。報われないほうが、読んでる人の心には残るのよ」
クルミを見ると、クルミは窓の外に目をやっている。その表情は、さっきまでの生意気なものではなく、どこか遠くを見つめるような――懐かしい寂しさを湛えていた。
「……お前、そういう経験あんのか?」
軽口のつもりで言ったのに、声がうまく冗談に乗らなかった。クルミは一瞬、言葉に詰まり、微笑んでごまかした。
「何それ。あるわけないでしょ。私は、スーパー恋愛マスターなんだから」
その笑顔を見て、なぜか胸の奥が締めつけられた。普段あんなにうるさいくせに、どこかで無理してる。
記憶の中にある、どこか冷たい目をした暴言ばかりの少女とは、少し違う。
「……お前さ」
「なに?」
「案外、優しいよな」
クルミはぽかんと口を開ける。
その顔がみるみるうちに紅潮していくのがわかる。
「バッ……!な、何恥ずかしいこと言ってんのよ!」
クルミがバンと机を叩きながら立ち上がる。
あ。
ヤバっ、確かに俺、何言ってんだ?
征がようやくゲームを止め、ぼそりと呟いた。
「おーおー、青春してんな。そっちのがドラマあるじゃねえか」
「「うるさい!」」
俺とクルミの声が重なった。




