『午後二時、煙の向こうで』
時刻は二時を告げようとしていた。
おばあちゃんの終活……その事実を遠く感じながら二人とも黙ったままだった。
携帯から立て続けに通知音。先輩は緊張を帯びた顔で画面を見つめている。
「どう……でした?」
「家からの折り返しに骨董店の名があって、お店にも確認が取れたわ」
そう言うと、画面を見せてくる先輩。
・品名:マーガレット・サーヴィス
・金額:一セット三十八万円
・場所:駅前の骨董店
・骨董店へ連絡:三丁目△△家から買い取りとの事。
それだけが簡潔に書かれていた。
「旅行用トランク、手放したティーセット、空の花瓶、それから、手の怪我。徐々に性格が変わっていったおばあちゃん。わたしには何が何だかわかりません」
率直に今の自分の気持ちと考えを口にした。
「思い出を作りたくて、元気なうちに旅行にでもいくつもりだったんでしょうか?」
わたしは聞いた。
「もかちゃん、幽霊屋敷の事をわすれてるわ」
先輩の短い一言。
「だって、それはケイやみんなが言ってる、つまらない都市伝説ですよ……?」
「ごめんなさい。ちょっと待って……」
先輩はわたしが持ってきた薔薇の包み紙をじっと見つめていた。
「今日、午後二時。初日の幕が上がる時刻――」
「あの人が舞台を再演するとしたら、今だ」
その呟きが、何を意味するのか理解できず、わたしは黙って見つめ返すしかなかった。先輩は何かに気づいたようだった。その表情がただ事ではない事を物語っていた。携帯を取り出すと急いで電話をかける。
「消防でしょうか?はい、火事です」
「至急お願いします。一刻の猶予もありません」
「三丁目の……はい、その住所で間違いありません」
先輩の囁き声に隠された焦りを感じ取り、胸の中の不安がゆっくりと広がっていく。
「失礼いたします……。ええ、静香先生には、私の方から」
丁寧な挨拶をしてから電話を切る。先輩は部屋の隅から戻ってくると、困ったような顔をして黙り込んでしまった。また無言の時間が流れる。
先輩は表情を硬くしたまま、静かにお茶を注いだ。カップを持つ手がわずかに震えていた。そのお茶は、先輩自身を落ち着ける為のもの、わたしにはそう見えるのだった。
窓からの風に、微かな煤の匂いが混じっている。焼却炉で何かを燃やしているのだろうか。
ふいに、さっき先輩が電話で言っていた、火事のことが頭をよぎった。三丁目って言ってたけれど……わたしは不安を必死で打ち消した。
どちらからともなく話し始める。夏の大粒の雨の名残のように。ぽつ、ぽつと二人、たわいもない会話。
先輩の生い立ち――
ずっと療養していて、高校まで学校は休みがちだったこと……。
最近になって食事制限が解けてね……と嬉しそうに教えてくれた。
わたしの事も話した。
特に部活の、文芸部の部誌にのせる小説の題材に悩んでいること。
さっきの電話の静香先生とはわたしが所属する、文芸部の御影先生のことだろうか?なぜか、その事を直説聞くことはできなかった。
顧問の先生には、まだ一度しかお会いしたことがない事。それだけを話した。そんな、初対面の学生同士が話すように続けていった。
遠くからは運動部の掛け声と鳥の鳴き声。
カチカチカチと時を刻む秒針の音に合わせて先輩はテーブルに触れる。
静寂を破るのは一本の校内放送と携帯の通知。
『三丁目で住宅火災発生』
『念のため生徒は自宅への連絡と……』
「繰り返す。三丁目で住宅火災発生」
放送が終わっても、わたしの耳の奥で炎が燃え続けていた。
――それは、きっと胸の奥にも燃え移っていた。
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