『礼拝堂の告白』
カシャン。
柵が閉じる柔らかな響きが、朝の光に溶けてゆく。
その音は、祈りにも似ていた。
清心館女学院、礼拝堂の入り口。雪乃と七々瀬の待ち合わせ。まだ朝七時を少し回った時間で、周囲には二人を除いて誰もいなかった。
二人は無言で礼拝堂に向かった。
七々瀬は昨日を思い返し、感情を慎重に押し隠しているようだった。扉の横の聖水盤に指の先をそっと浸して、胸の前で十字を切る。聖水は今朝、新しく入れ替えられたばかりのようだった。
礼拝堂の扉を押した瞬間、ステンドグラスの色彩が床を染め上げる。室内の空気は温かく、二人を優しく抱きとめた。
それは、どこまでも美しく、どこか非現実的だった。
雪乃が感嘆する一方、七々瀬にはその美しさを感じ取る余裕はなかった。
雪乃はようやく語り始める。
それは事件とは関係ない話だった。
「告解室って、ミッション系の学校にもないらしいですね」
「私、清心館に入った時に、そう言うものがあるのかと思って調べたんです」
雪乃は少し眠そうに瞬きをする。
七々瀬は状況が飲み込めないようだった。
「暁希は見つかったの?どこ?どこにいるの?」
恐れと不安が、複雑に混ざり合った声色だった。
「順番に話しましょうか」
問いかけには答えずに、雪乃はひんやりとした礼拝堂の椅子に腰をかけた。七々瀬はどうしていいかわからずにそのまま立ちすくむ。
「この事件を調べていく中で思ったのは、暁希さんのユーモラスな性格のことでした」
雪乃は、ステンドグラスの光に見惚れながらそう言った。
「暁希が?真面目な生徒会役員だけど?」
「あなたにとってはそうなのかもしれませんね」
「暁希さんは内に秘めた情熱があるタイプ、私にはそう見えました」
「少し昔話をしましょうか」
遠い過去を振り返る口調だった。
「中等部時代に廃部になってしまった、奇術部と演劇部の昔話です」
七々瀬は訝しんだ。
「事件に関係あるってこと?」
「どうでしょう――実は、関係ない気もしています」
礼拝堂に雪乃の澄んだ声が響いた。
「七々瀬さん、あなたは確かにすごい人です」
「人の持っている才能を見抜き、その道筋を示してあげることができる。あなたは奇術部を見た時に、もっといい部にできると思った」
「それはある意味では、正しい判断なんだと思います」
室内の光を目で追いながら、雪乃は続ける。
「実際にプロの卵と言えるような人まで、見出しているのですから。茜さん、崇拝するようにあなたのことを褒めていましたよ」
「それに、面白いことも言っていました。見えない人を見えるようにする人だって」
「この着眼点は、さすがマジシャンを目指す人だ。そう思いました」
雪乃は指先を伸ばす。光を手のひらに乗せるような動き。
七々瀬は何の事を話しているのか、わからない様子だった。それどころか、誰の事かもわかっていなかったのかもしれない。
「今、この世界には見えない人がたくさんいると思うんです」
雪乃は一歩前に出た。靴音が、静かな礼拝堂にこだました。
それから足元を見るように目を伏せた。睫毛の影がその瞳を覆い隠す。七々瀬は礼拝堂の椅子に手をかけたまま聞き入っていた。
「教室の片隅で、一人ぼっちの生徒――」
「見えているのに、本当は見えていない人」
「それは、そこにいるのに、誰も触れない彫像のように――」
雪乃は顔を上げて、礼拝堂の天使をそっと見つめる。
「茜さんは何者かになりたかった。だから七々瀬さんを崇拝するように慕っていた」
雪乃は入口を振り返った。窓の光が銀糸の髪を照らした。空に舞う羽のように。
「奇術部がバラバラになった原因は七々瀬さんだと、そう言っている人もいました」
「標本箱に入れるように……枠に嵌められた、そう感じてしまった」
雪乃は静かに一歩下がった。足音はなかった。
「もし七々瀬さんにわからないことがあるとしたら」
祈るように静かに告げた。
「それはきっと……私たちが今この瞬間を生きている、ということなのかもしれません」
「生き方というものに、ひそかに線を引いてしまうような――」
雪乃は小さく息を吸った。
「でも、そうされる側にとっては――」
「誰かに見つけてもらえないままの自分を見てほしい、そんな切実な想いがあったのかもしれません」
「暁希さんは自分自身を見えないようにした」
「それは何故でしょうか」
「自身を消失させることによって――」
「七々瀬さん、あなたの心を暁希さんで満たしたんです」
「ただ一人だけを見るようにした」
「私が暁希さんをユーモア精神に溢れた人だと言ったのは、こういう理由からです。ですから、今回の事件についても、どうか、あまり責めないであげてください」
雪乃はそっと息を吸い込んだ。
「それでは、私の魔術をご覧いただきましょう――」
「紳士淑女のみなさま……これは世にも珍しい人体出現マジックです!」
雪乃はわずかに頬を染めながら、そう高らかに告げた。
その瞳と指し示す指の先に、一人のシスターが祈りを捧げていた。
「お祈り中、失礼いたします。大変恐縮ですが暁希さんの居場所をお教えいただけますでしょうか」
雪乃は丁寧に話しかけた。
あの年若いシスターだった。
ステンドグラスの光が一面を虹色に染めた。
しばらくの静寂の後、シスターはフード――ウィンプルを外すと
「あーあ、バレちゃった」
暁希は肩を竦め、
舞台女優のように片手を胸に当ててみせた。
声色も――顔つきすらも変わっていた。




