『ロザリオときみの声』
「衆人環視が故の密室……」
「誰かが出入りすれば、必ず気づくはず……」
「これは、私が初めて扱うタイプの密室ね」
挑むべき謎を目の前にした、探偵特有の目をする。
冬の朝、氷の張った湖面のような輝きだった。
「ちょっと、本気を出してもいいかしら?」
雪乃の言葉は、幕開けを予感させるようだった。
まるで、静かな劇場の暗がりで、ファンファーレが微かに鳴り響くような。
「あ、あの雪乃……」
その瞬間、七々瀬の心の鎧が外れたようだった。
けれど、それは一瞬のことで、自分の考えを否定するように言い淀んだ。こめかみに指を当てながら、自分の言葉が受け入れられるか、信じきれないようだった。
「ここでのお話は、ふたりだけの秘密ですよ」
雪乃は安心させるように言葉を添えた。
「これは、あの子を探しているときに見つけたんだけど……」
七々瀬は慎重にハンカチを広げた。
中には『私を見つけてください』という短いメモと、銀色のロザリオが置かれていた。
「渡り廊下で……私の足元に落ちてきたの。乾いた金属音と共に」
七々瀬の指先が微かに震えていた。
「その瞬間、確かに暁希の声を聞いたのよ」
「あの子が宝物だって、いつも見せてくれていたものなんだ……」
弱々しく言った。
雪乃はロザリオを受け取ると、じっと光にかざしてみたが、何も言わずに返した。七々瀬はそれを大切そうにハンカチに包んだ。
「筆跡とロザリオは間違いなく暁希さんのもの、と言うことですね」
七々瀬は胸元のリボンをぎゅっと掴み、不安そうに唇を噛んだ。地図の白が指先と溶け合うようだった。
「私だって、自分がおかしくなったのかと思ったけど……幻聴じゃないの」
「確かに聞いたんだ……暁希の声を」
雪乃は人差し指を唇に当て、考え込んだ。
やがて落ち着いた声で尋ねる。
「そのとき、何か変わったことや、見慣れない人は?」
「昨日は校外の人が多かったけど……」
七々瀬はゆっくりと記憶を辿りながら、答えた。
「いつも通り、生徒と先生、それから保護者の方々だけだったと思う」
「怪しい人や、私を探るような気配は……なかった」
七々瀬は、苦しそうな表情を浮かべ、そのまま黙り込んだ。雪乃はその肩に優しく触れ、静かに言った。
「謎と事件の解決は私の得意分野ですよ」
「名探偵、日ノ宮雪乃ですから」
場を和ませようとする雪乃を、七々瀬は縋るように見つめた。雪乃はその目をしっかりと正面から捉えると、
「後は私に任せてね」
これまでで、一番優しい声でそう言った。
「手紙がどうやって七々瀬さんの元に運ばれたのかは、非常に重要だとは思いますが」
「まずは、見えている部分を丁寧に調べましょう」
「七々瀬さんの調査は事件現場や教室内だけ、であってますよね?関係者への聞き取りは行っていない?」
「あいにく、暁希の交友関係がわからなくて」
「今まで気にしたこともなかったけれど、こういう時、困ってしまうんだな」
どうしようもない様子で七々瀬はうなだれた。
「ふふ、私もね、何を隠そう、学校関係の連絡先はないのです」
雪乃は励ますつもりなのか、笑いながらそう言うと
「まずは……職員室に行ってから名簿をあたって、奇術部の関係者に話を聞いてみようかな……」
雪乃の呟き。
「職員室……どうして思いつかなかったんだろう?」
七々瀬が期待を込めて呟いた。
ひとしきり計画を立ててから雪乃は
「足で調査。です」
胸の前で握り拳を作って、七々瀬を鼓舞した。
「では早速ゴーです」
雪乃は職員室のドアをノックすると、学年と名前をしっかりと名乗ってから入室した。先ほどすれちがった若いシスターが出迎えてくれた。
「失礼します。少々お伺いしたいことがあるのですが」
シスターは文化祭期間の担当なのだろう。赴任したばかりで、校舎巡回と職員室の対応は大変だな、と雪乃は思った。
「あら、何かしら?」
「大変失礼なのですが、部活動名簿を拝見してよろしいでしょうか?」
「部活名簿?生徒会資料の棚よね?どこかしら、まだ分からなくて……」
七々瀬は一礼してから無言で棚へ向かった。
それから慣れた手つきで、黒いファイルを開く。
「そういえば、貴女。生徒会役員だったわね。ではお任せします」
そう言うとシスターは席に戻った。
「でも奇術部のイタズラ。ああいうのはダメよ」
シスターは振り返ると、思い出したように付け加えた。七々瀬は、また黙って礼をした。
部活名簿の更新は、暁希に一任していたことを思い返す。七々瀬は名簿のページを一枚ずつめくった。
・華道部
・弓道部
・軽音部
・剣道部
部活名簿のあるべき場所に奇術部の名前はなかった。それは、七々瀬にとって暁希が永久に居なくなってしまうような恐怖をもたらした。
あるべきものがない空白。彼女の隣にいるはずの、誰かの不在を思わせた。
『私を見つけてください』
その言葉がリフレインした。
空欄は音もなく名簿を凹ませていた。それは奇術部のたった一つの存在証明に見えた。
次の幕が上がるまで、謎は静かに息をひそめていた。




