『薔薇の花咲く幽霊屋敷』
先輩は朝の会話を思い出したのか。期待に満ちた顔をした。わたしは頷いてから話を続けた。
「それで、わたしそのままお家に上がってしまって」
「こんなに沢山の薔薇を、貰ってしまったんです」
驚いた表情を浮かべ、先輩は柔らかく窘めるように言った。
「勇気あるのね……もかちゃん。幽霊屋敷の噂、知ってるでしょう?」
「その噂は、さっき知りました……」
「おばあちゃん、昔は……誰よりも優しかったんですよ」
噂好きのケイならともかく、先輩までそんな事を言い出すから、つい反論してしまう。
「そうだね。ごめんね、変なこと言って」
真剣な顔で謝られてしまった。
「まさか先輩、あんな噂、信じてないですよね?」
わたしは空気を変えたくて、笑いながらそう質問する。
「私は、見たものを信じるの。だからね――」
その瞳は、深い影を湛えていた。
「もかちゃんは、優しい人だなって」
それだけ言うと、お茶のカップを口に運んだ。その言葉の意味を掴みかねて、わたしは首を傾げるしかなかった。
先輩は何を見て、わたしを優しいと、言ったのだろうか……?
僅かな沈黙の後、先輩は思い出したように言った。
「それにしても……この薔薇のお花、とっても色々な種類があるよね」
「おばあちゃん、毎年新しい品種を育ててるって言ってました。手入れも毎日欠かさないって」
そういえば、剪定も切り花も、あの人は左手で器用にしていた。左利きを自慢していたことを思い出した。
それなのに今は……わたしは勝手な思い込みを振り払った。
先輩は花瓶の薔薇を指先でなぞり、かすかに微笑んだ。
「ところで……私のお茶は気に入った?」
銀糸の髪を耳にかけながら、先輩がわたしを覗き込む。お茶の味を、そんなに気にしているのだろうか?
「美味しいです……不思議な香り」
急に見つめられて、わたしは慌てて答える。その言葉を聞くと、先輩の瞳がぱっと輝いた。
「よかったわ。これは中国紅茶に薔薇とライチを合わせたものでね。こういうフレーバーティーは入れる温度が難しいんだけど――」「八十五度から九十度くらいがベストで、抽出は二分半から三分」「季節や日によって違うから、私もまだ上手にできない日もあって……」
「これはアイスティーにも向いててね」
「そうだ!少し持って帰る?」
先輩は息継ぎをすると、話を続けた。
「今日はうまくいったから、ほっとしてるの。せっかくのお客様だものね……本当はね、もう一種類と悩んだのよ。朝の出会いだったから」
「モーニンググローリーって言うの……素敵な名前でしょう?」
「でも、やっぱり今日は薔薇のフレーバーかなって」
先輩は早口で話し終えると、言い訳のように言葉を添えた。
「わたし、つい喋りすぎちゃって。ごめんなさい」
はっとしたように言葉を止める先輩を見て、ふと気づく。彼女は、こうやって得意なこと――お茶や推理で、人との距離感を……測っているのかもしれない、と。
その繊細で不器用な振る舞いに、胸がちくりと痛んだ。お茶の甘い香りとわずかな渋みはわたしの気持ちを表しているようだった。
沈黙が守られた司書室。わたしはその空気を心地いいと、感じ始めていた。カップがソーサーに触れる微かな音。
先輩と二人、時計を見る。
その視線の奥に、わたしの知らない何かが隠れている気がした。
針は一時を指すところだった。
静かに、けれど確かに何かが動き出そうとしていた――そんな気がした。
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