『二色のりんご――Carmine Red & Phthalo Green(真紅と青緑)』
「なんて酸っぱいりんごなんだ?こんなに美味しそうな色なのに……」
「皆は、こんなものを食べるのかい?」
低く伸びのあるアルトの声が、歌劇のように放課後の学食に響き渡った。
文化祭準備期間の一幕。
学食内の誰もが、その声の主を振り返る。わたしも例外ではなかった。驚いて淹れたばかりのお茶をこぼしてしまった。それに気づいた雪乃先輩は、気だるげにハンカチを差し出してくれる。
先輩は齧られたりんごを、ぼんやり眺めているようだった。
その物憂げな瞳は何かを探っているようでもあり、あるいは午後の陽気に誘われているだけにも見える。
小さなあくびを一つすると、わたしの視線に気づいて、恥ずかしそうに前髪を揃え、そっと目を伏せる。
「あまり見つめないで」
その仕草が静かに語りかけてくるようで、わたしは慌てて視線を声の主に向けた。
眉を寄せた百瀬千里先輩は、歯形のついた青りんごをじっと眺め、深く息を吐いた。
その姿は背が高く、美術部員というよりモデルに見えた。張りのある赤髪が、午後の陽を包んで深く光った。制服は校則通りの上品な着こなしで、それがかえって艶やかな印象を引き立てていた。
「千里ちゃん、ちょっと声大きいよ」
そわそわと落ち着きなく視線を彷徨わせているのは、天目椿姫先輩。
声を発しなければ、気づかれないくらいの繊細な少女。濡れるような黒髪はわずかに緑を宿していて、黒い瞳は髪色より澄んで深い。
ほっそりとした手足で、指先には色鮮やかな絵の具の染みが僅かに見てとれた。
こちらは美術部員以外ありえない、と言った外見だ。
二人が並ぶ姿は、貴族とその従者のようだ。百瀬先輩の立ち姿は、午後の光の中で輪郭を際立たせていた。昔読んだドン・キホーテ評をふいに思い出してしまう。
「赤いりんごの方はとても甘いと、理恵さんが」
「ご実家からのお裾分けなんですって」
雪乃先輩は百瀬先輩の隣に立ち、親しげに語りかけていた。
その手には赤いりんご。
「深い赤で、甘くて美味しそう。あなたの髪色のようね」
「僕の髪色のようだとすると……」
「……カーマインだね」
宙を見てわずかに考えてそう言うと、百瀬先輩はりんごに目線を落とした。美術部の生徒は、赤の名前一つにも考え抜いて口にすると知った。
しかもこの美人で『僕』だなんて。
絵になる人だ。
そんなことを考えつつも、会話に入れるわけもない。
エデンのりんごは赤?それとも青?遠い記憶を探りながら、遠巻きに二人を眺め続けるのが精一杯。
「皆に配っているなら、部のデッサン用に幾つか貰ってもいいかな?」
「もちろん、描いた後は食べるから安心して」
今度は赤いりんごを手に取って微笑んだ。
一旦は、それぞれの会話に戻っていた学食内の視線は、雪乃先輩によって、再び注目が集まっているようだった。
囁き声が広がってゆく。
「やっぱり雪乃先輩は素敵ね」
「千里さまが学年で一番よ」
そんな投票の様子を見せ始めていた。
耳をそば立てると、雪乃先輩の方がわずかに優勢で、わたしは嬉しくなった。
「立ち話も何ですから、座ってお話ししましょうよ」
そう言うと、雪乃先輩はソファの荷物を片付け始めた。わたしも慌てて同じようにした。
涼しげな表情を崩さない先輩は、内心では周囲からの視線にくすぐったさを感じているように見えた。
最近の先輩は、よく見ればわかる、恥じらいや戸惑いを少しずつ表に出すようになっていた。
そのせいもあって超然とした魅力の中に、繊細な可愛らしさが加わり、人気をさらに高めていた。それは、わたしの悩みの種のひとつだった。
美術部の二人が並ぶと、まるでひとつの絵のように真紅と青緑の境界が混ざり、わたしの胸に小さな予感を落としていった。
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