『その嘘は誰のもの?』
まるで、観劇後の余熱が、まだ司書室に残っていた。
「詩さんはすごい人だったね」
先輩の口調の中には、感嘆と、寂しさが溶け合っているようだった。
「髪だけでも伸ばしましょうか?」
寂しそうな先輩を見て、思わず呟いてしまった。
「萌花ちゃんが目隠れヘアじゃなくなったら」
「私、嫌だな」
雪乃先輩は一拍おいてから
芝居がかった大きなため息をついた。
「す、すいません」
「詩先輩は嘘つき……でしょうか?」
わたしは話題を変えた。
「もかちゃん、詩さんの事、結構好きそうだったね」
「そうですね。努力する姿に惹かれたのかもしれません」
「好きな人に振り向いて欲しくて……そんな事まで出来ちゃうんだなあ……って」
「わたしには無理ですから」
「あら、ショック、もかは私のためになんでもしてくれないの?」
二人きりの時、時々こうして呼び捨てにしてくる先輩。文句を言う度に、わたしが最初に呼び捨てにしたことを持ち出してくるのだ。
でもこれは、わたしが勝手に恥ずかしがってるだけ。
「先輩のためなら何でもできますよ?」
衝動的に口走ってしまった。一歩でも関係を進めたくて。
そんなわたしに、先輩は楽しげに微笑むと、一歩近づいてドンっと壁際に追い込んだ。
上目遣いの瞳は、何かを待っているようだった。
「キ、キスとかは無理ですよ。無理……」
そう言いながらも、きつく目を閉じてしまった。
先輩の微かな息遣いが伝わってくる、続けて、指と髪先がわたしの頬に触れた。
何も起こらないままの時間が過ぎた。
「じゃあ、何なら……してくれるの?」
先輩は拗ねた声でそう言った。
薄く目を開くと、先輩は顔を逸らして、頬を膨らませている。
その表情は読み取れない。
「えっ、いや、山に――埋める手伝い、くらい」
「でしょうか?」
わたしは、とっさに口にした。
「カプサイシン……忘れないでね」
「え」
「カプ……トウガラシ?何に使うんですか?」
「野犬が掘り返しちゃうんだって、漫画で読んだの」
「何の話ですか」
「漫画の話かな?」
二人で声を出して笑った。
でも、もし先輩が、笑顔で、あるいは、泣きながら、一緒に手伝って……
手を血に染めて、そう言ってきたなら――
わたしは必ず手伝う。確かな予感があった。
そんなわたしの心を読んだかのように、先輩は言った。
「もかちゃんは愛する人を肯定して止めない、そういうタイプなんだねえ」
「わたし、世界の事がどうとかあんまり気にしないのかもしれません」
「だって知らない人ですし」
遠くの知らない誰かよりも、近くの大切な人を大切にしたい……というのは変だろうか?自分勝手かもしれない、とは思うけれど。わたしはどこかおかしいのだろうか?
雪乃先輩は、考え込むわたしをさらにかき乱すことを言ってくる。
「でもね、もかちゃん、その『知らない人』が……誰かの大切な人だったりしてね」
「それが巡り巡って――」
「もかちゃんが好きな人の」
「大切な人だったらどうする?」
わたしは、言葉に詰まってしまう。
でも、そんなことを言ったら何も――
生きていくことさえ、出来なくなってしまうのではないだろうか?
「ごめんね、いつも意地悪して」
「もかちゃん可愛いから。すぐいじめたくなっちゃうの。さ、帰りましょ」
先輩は笑いながら鞄を手に取った。
「もしもの時は呼ぶからね。約束」
その声は冗談めいていて、それでいて本気にしか聞こえなかった。
先輩の言葉を受け止めきれないまま、胸の奥にざわめきが残っているのを感じた。
何か言おうと口を開きかけて、慌てて視線を落とす。
頭の中には先輩の声ばかりが反響して、考えがうまくまとまらない。
気持ちを切り替えたくて、無理やり封筒と押し花の違っているところを思い浮かべてみる。
一通目。
はみだし一つない、綺麗に閉じられた封筒。
乱暴に開封されていた。
入っていたのはカスミソウ。
二通目。
貼り直しをされて皺だらけ。
丁寧にナイフで開封されていた。花はアネモネ。
封筒が、花が。何かを語っているのだろうか?
奏さんと二人の関係?
封筒は――新品とお古。その違いは、紙の中にだけ残っている。
三通目。
今はまだわからない。
けれど、また白い花が……
いつの間にか先輩はわたしを見つめていた。
「嘘つきを暴くなら、同じ封筒を同じように送れば良いだけなのにね」
その呟きは、わたしの胸に小さく刺さり、雨粒のように広がっていった。




