表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/68

エピローグ『夕暮れは薔薇の香り』


わたしたちは静かな川沿いの道を、ゆっくりと歩いていた。


先輩にとって、最後の一幕なのかもしれない。

薔薇の香りが、遠くから漂ってくるような――


台詞一つない、そんな別れのエンドロール。


わたしは思った。これが最後なんていやだ。

だってわたしたちは生きている人間なのだから。


こんな綺麗な最終回なんて、そんなのは嫌だ。


静寂の中、遠くで鉄橋をわたる、電車の音だけが聞こえる。沈みゆく夕陽は、その最後の輝きを水面に映していた。


昼でもなく、夜でもない。この時間帯は、どっちつかずのわたしたちのようだ。


わたしの前を歩く先輩は物思いに耽っているようだった。



「薔薇の木に、薔薇の花咲く」


歌うように先輩が呟いた。


「何事の、不思議なけれど」


わたしはそっと声を重ねる。



先輩はゆっくりと振り返った。その表情は、夕暮れ以上に朱く染まっていて、頬には一粒の涙。


一番星のような涙。


「この詩だけが……ずっと救いだったの」


その時、心と心が通じ合うような、永遠の一瞬があった。二人だけの世界で、わたしは呟いた。


「薔薇の花はいつの日も、なんの不思議もなく咲き誇るけれど……」


「本当は、それが奇跡……」


「……そうですよね?」


「北原白秋……薔薇二曲……わたしも大好きなんです」


わたしは、最後の一歩を踏み出すように言った。


「先輩は――そのままでいてください」


「薔薇が、ただそこに咲くように……」


「先輩が大好きな図書室にいてください」


「誰にも文句なんて……言わせません……から」


「もちろん、先輩が嫌がっても……」

「きっと遊びに行きますから」


この言葉が、先輩の孤独に届くかはわからない。

でも、わたしは――心からそう願った。


「毎日だって……通うから……」


これが本当に最後の勇気だ、震える声で口に出す。


「だって……友達でしょ?わたしたち……」


柔らかな風が、前髪をそっと撫でた。

その風は、わたしの中の何かをゆるやかに溶かしてゆく。確かにそう感じられた。


一瞬の勇気のあと、恥ずかしさで、どうしても先輩と目を合わせることができない。


自分の鼓動だけが聞こえてくる。早く何か言って欲しいのに、何も言ってほしくなかった。


長い沈黙に耐えきれず、おそるおそる顔を上げる。


先輩は大きく目を見開き、さっきよりも真っ赤な顔でわたしを見つめていた。


うるんだ瞳は、黄金色の輝きをたたえている。何もかもが柔らかく、優しかった、あの頃の黄金色の輝きを……


雪乃先輩は何度か深呼吸をしたあと、唇を微かに震わせながら、小さく声を紡いだ。


「どうぞ。よろしくね、萌花ちゃん」


「でも、ほんとはね」


「私から申し出をするはずだったのに」


わたしが見惚れてしまった、あのはにかんだ笑顔でそう付け足した。


わたしは、薔薇にはなれないかもしれないけれど――美しく咲く花を照らす、あたたかな光になれたら。


今は、心からそう思う。


そう、冬が春になって――雪が溶けて、花が萌え出づるように……


わたしは初めて、自分の名前が好きになった。


「わたしのことは、『もか』でいい……よ」


「ね?雪乃」


ふわりと薫った白薔薇の甘さの奥に、あの煤の名残はもう、なくなっていた。


夕空は淡く、どこまでも澄み渡っている。



薔薇と少女と、図書室の秘密 完



――――――

薔薇二曲



薔薇ノ木ニ

薔薇ノ花サク。


ナニゴトノ不思議ナケレド。



薔薇ノ花。

ナニゴトノ不思議ナケレド。


照リ極マレバ木ヨリコボルル。

光リコボルル。


北原白秋「薔薇二曲」(詩集『白金之独楽』より)

――――――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イラストがあるほうが想像がはかどる方はぜひ
活動報告の

『清心館の天使』日ノ宮雪乃の肖像

『わたし』如月萌花の肖像

『疑似三つ子』三人の肖像

『美術部の二つ星』二人の肖像

をご覧くださいませ。

ブクマ・ポイント評価お願いしまします!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ