十王寺家の修羅姫さま
……あれからずっと考えている。
地面に座り込んでいる巨漢、『鬼哭星』のヴァルオール。
長きに渡る強さを追い求める旅の果てに人を超えし者。
だが八十余年の修行で編み出した最強の魔術を自分の二割も生きてはいない小娘に模倣されて相殺された。
自分のこれまでの修行は何だったのかと彼は考え込んでいた。
(否、思い違いをしておったわ)
数日ぶりに彼は立ち上がる。
(まずは喜べ。強敵が現れた事を。そもそもわしが強さを追い求めたるは何の為であったか……まだ見ぬ強敵と渡り合う為であったはずだ!!)
そうだ。
自分は今こそ戦場に向かわなければならない。
自分と互角か、或いはそれ以上の敵がいるはずの戦場へ。
意気上がる鉄兜の赤毛の巨大な魔戦士。
その彼が……。
がしゃん。
「……おっと、すまんな。ぶつかってしもうた」
……誰かとぶつかった。
黒い異国の鎧の娘と軽く接触した。
「何じゃお主、随分デカいのう。何食ったらそんなになるんじゃ」
興味深げにヴァルオールを見上げるリヴェータ。
しかし彼女は返事を期待している様子はなく、問いだけを残して歩いていってしまう。
「……………」
それを……茫然と見送るヴァルオール。
(なんだ。……なんだというのだ、あれは)
軽く接触しただけで、目と目が合ったと言うだけで。
魂に刻み込まれたかのように思い知らされる。
次元が違う。
竜というものにこれまで出会ったことが無く、邂逅があればどのような心地であろうかと何度となく夢想してきたものだが……。
期せずしてそれに近い思いは味わう事が出来た。
(旅に出るか……)
そう思った。
あんなものがいたのでは、この戦場に自分の出番などあるまい。
竜の闊歩する戦場に危うく足を踏み入れる所であった。
非力で……脆弱な自分が。
また……長い時間を掛けて鍛え上げなければ。
遠い目で空を見上げるヴァルオールであった。
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初めは裏切り者とされたカトラーシャ家所属の兵士たちとその他の三家の兵士たちの小競り合いであった。
しかし、時間が経過するにつれて状況はより混沌と化していき……。
もはやこの先に勝ち目はないと気付いて街で略奪を行いそのまま逃げだそうとする者、またそれを止めようとして戦いになる者などもう所属も理由もぐちゃぐちゃの同士討ちがただ広がっていっている。
そんな大混乱の都市内部を物陰から窺う男……ギエンドゥアン。
「遠からず内輪もめを始めそうな集団ではあったが、それにしてもここまでグチャグチャになるものなのか。この状況に誘導したのがお嬢ちゃんだというのであれば、やはりタダモノではないな。……おっかない娘だ」
彼は届けろと言われていた封筒の中身を途中で盗み見てアムリタの凡その意図を察した。
そして自らこれを届けるのは危険と判断して別の男を下請けにしたのだった。
結果としてその男は捕らえられ街はこの有様だ。
こうなればもう相手の数倍の戦力などなんの意味もない。
そして略奪を恐れた街の住人たちが守備の兵士たちを押しのけて今内側から城門を開こうとしている。
(……さぁて、来るぞ)
重たい音を響かせながら左右に開かれていく城門。
そして、その向こう側には……。
すでに突入の準備を整えて待機していたアムリタの軍がいた。
「制圧しなさい!! 抵抗する者には容赦しないで!!!」
先頭に立つ翡翠の髪の少女が剣を振り上げて叫んだ。
怒号と共に王都の騎士たちが一斉に都市内部へ雪崩れ込んでくる。
「……こりゃぁ一方的な展開になるな。大体片が付いた所で顔を出してわしの働きをアピールしておくことにする……か……?」
ギエンドゥアンが硬直する。
海中で人食い鮫にすぐ近くを通過されたような感覚。
高みの見物を決め込んでいたはずの男が素早く姿を消した。
自らの身の危険に人一倍敏感な男が全速力でその場を離脱する。
極大の「死」が……すぐ近くまで来ている。
……………。
「……うむ、あれか、総大将」
突入してきたアムリタたちから2km近く西。
大通りの途中にいる赤黒の武者鎧のリヴェータ。
彼女は額に掌をかざして目を細め、その視界にアムリタを捉えていた。
「『春雷』一発で片が付くか。どれ、行ってくる」
大太刀を肩に担いだリヴェータ。
まだ相手は自分を視界にすら入れられてはいない遠方だがこの距離は自分にとっては眼前にも等しい。
「御屋形様、ほどほどに! くれぐれもほどほどにお願いするっスよ!」
必死な様子のマコトの言葉ももう彼女の耳には入っていない。
一撃叩き込む為の集中に入っている。
「それッッ!!!!」
掛け声と共に……。
破裂音のようなものが周囲に轟き、地面が砕けた。
駆け出したリヴェータは一瞬で人が目で追える速度を超えて車輪が跳ねる水飛沫のように周囲の兵士たちを左右に吹き飛ばしながら直進する。
狙うは……あの綺麗な碧銀の髪の少女だ。
「……………ッ!!!!」
全身の毛が逆立つのを感じたアムリタ。
(何かが来る……!!!)
死ぬ。
自分はここで命を落とす。
……そう思った。
自分が強化された肉体や反射能力を持つであるとか、心臓を破壊されても蘇生が可能であるとか、そんなものは一切関係のない圧倒的な死が自分に舞い降りる。
眼前に現れたのは片目に刀の鍔を眼帯に当てたブロンドの女性。
東国の戦装束の彼女は自分に向かって大太刀を振り上げている。
「悪く思うなッ!!! これも戦じゃ!!!!」
この一撃は避けられない。
自分を頭頂部から股下までを一刀両断にするだろう。
そうなればもう再生も何もなく……アムリタという存在は終わりを告げる。
1秒間の十分の一にも満たない時間の中でそこまでの事を理解し、彼女はただ絶望した。
「アムリタ、下がっていなさい」
刹那の時の中で静かなその男の言葉はやけにはっきりと耳に届いた。
割って入った背の高い老剣士は抜き放った二本の剣を交差させ、大上段からのリヴェータの一撃を受ける。
その男の名はウィリアム・バーンハルト。
『無限星』を頂く十二星。
一人は斬りかかった。
もう一人はそれを受け止めた。
ただそれだけの事であるはずなのに……。
周囲が鳴動する。
両者を中心として地面が大きく抉れ、周囲の建物が無数の破片となって散っていく。
まるで天変地異だ。
居合わせた者たちは誰一人として悲鳴を上げる余裕すらなく……。
ただ破壊の轟音だけが周囲に響き渡った。
「……なんじゃ!!! おるではないか!!! わしの一太刀を受けきれる者がなッッッ!!!!」
両手で大太刀を振り下ろした体勢のリヴェータが叫んだ。
「なんという腰に悪い一撃だ! 二十年前……いやせめて十年前にお会いしたかったな、お嬢さん!!!」
構えた二本の長剣でリヴェータの一撃を受け止めているウィリアムが叫ぶ。
……………。
世界中に愛読者がいる『冒険家ウィリアム』シリーズ。
その多くのファンたちにもほとんど知られていないことであるが、実はこの物語には原型とも呼べる一冊の本が存在している。
『或る男の冒険記』と呼ばれている本がそれだ。
この本の主人公もやはりその後のシリーズと同じ冒険家ウィリアム。
彼の自伝的な冒険活劇という点も一緒だ。
だがこの本の主人公ウィリアムは後のシリーズの主人公ウィリアムとは細部の設定が異なっている。
この本の主人公はかつて騎士団に所属していた猛者であり、二刀流の達人で剣を抜けば誰にも後れを取ることのない剛の者であった。
結局この本はほとんど売れることなく現在は廃版となり、残っている本は一部マニアの間で高値で取引されている。
何故人気が出なかったのか。著者ウィリアムは悩んだ。
そんな彼に一人の友人がこう言った。
「これでは主役が強すぎて話が盛り上がらないよ。どんな危機でもじゃあ君が剣を抜いて解決したらいい、となってしまうじゃないか」
なるほど、と彼は思った。
面白い物語を書くのにそんな所にリアリティを求めてもしょうがないのだ。
そして彼は、剣は持っているものの戦いはからっきしで、危機に陥ると持ち前の体力と機転、そして幸運で切り抜けていく新しいウィリアムを主人公として物語を作り、世界的に有名な作家となった。
どんな危機でも二本の剣で切り抜けられる男が、戦いが苦手な男を描いて成功を収めたのである。
……………。
激しい打ち合いが始まった。
ぶつかり合う刃と刃が生み出す衝撃波が街の形をどんどん変えていく。
もはや周囲は戦闘どころではない。
どちらの陣営の者たちも必死に逃げるだけで精一杯だ。
「お名前を聞いてもよろしいかな! お嬢さん!!」
息をつく間もない激しい剣戟のさ中にウィリアムが尋ねる。
「ちゃんと名乗ることができんのが口惜しいわ!! せめてリヴェータと覚えておくがよい!!!」
応えて笑うリヴェータ。
「なるほど、皇国五大老……十王寺か!!」
「んぎゃあ!! 一瞬でバレてしもうた!! どういう事じゃ!!!」
顔を引き攣らせてリヴェータが悲鳴を上げる。
国外に出る情報には一切リヴェータの名前は出てこないはずなのに。
「私は世界中を旅している。皇国にも四年滞在した事がある。十王寺家の修羅姫の話は現地で飽きるほど聞いてきたよ」
「……なんということじゃお忍びの旅であるというのに」
天を仰いで大げさにため息をついてから一転して瞳をギラリと輝かせるリヴェータ。
「口封じしてから帰国するしかないのう」
「……うう、もってくれよ私の腰よ」
再び戦闘に入る両者。
誰もが割って入れる状況ではない。
……だが、ただ一人。
アムリタだけは抜いた剣を手にそのチャンスを虎視眈々と狙っていた。
(最初の……あいつのあの一撃)
一瞬にして眼前に現れて大太刀を振り下ろしてきた。
恐らく目にも止まらない速度で突進してきてそのまま斬りかかってくるだけの単純な技だ。
(あれがもしも魔力による増幅から出す技なら私は模倣できる……!!)
常軌を逸した強さのあのリヴェータを倒すにはやはり常軌を逸した強さの彼女の技を用いるしかない。
『傲慢な姫君』を発動させる。
アムリタが……剣を構える。
「むッ……!!!?」
アムリタの放つ異様な気配にリヴェータが気が付いた。
「あやつ……! あれはわしの……」
「はぁぁぁぁッッッッ!!!!」
渾身の力で斬りかかるアムリタ、それを受け止めるリヴェータ。
「……失礼させてもらおう!!」
それだけではない。
横合いからウィリアムも大技を放つ。
激しくぶつかり合う三者。
弾かれたようにリヴェータが後方に下がった。
「く……ぅッ」
アムリタが剣を落とす。
腕が……ボロボロだ。
技を真似て撃っただけで両腕の何か所かが骨折して腱もズタズタである。
技の威力に体の方が耐えられなかったのだ。
ウィリアムも地面に片膝を突いて剣を杖にして荒い息を吐いている。
……あちらももう戦闘を続行できる状態ではなさそうだ。
リヴェータは……。
「おお……」
彼女は頬にほんの小さな擦り傷を作っていた。
そこに小さな小さな赤い血の球が浮いている。
(掠り傷!! 今のあの攻撃を同時に受けて……!!!)
絶望感でアムリタの目が眩んだ。
「あは……ははは……」
がしゃん、とリヴェータが手にした大太刀を地面に落とした。
「傷。お前たち……このわしに傷を付けたのか」
その頬を大粒の涙が零れ落ちていく。
彼女は泣きながら笑っている。
「いつ以来であろうかの。わしが戦場で傷を負うのは。……幸せじゃのう。わし、この国に来て本当によかったわい」
拭った指先に着いたほんの僅かな赤色を見て微笑むリヴェータであった。




