老兵来る
話を聞いたその男は大層上機嫌で咥えた葉巻に火を付けた。
「……ほうほう! 極めて重要な任務を軍師であるこのわしに頼みたいと! ぬっはっはっは、あの娘もようやくわしの有能さと重要性に気付いたようだな」
身だしなみのチェックを行い覗き込んだ鏡に映る瞳をキラリと輝かせた怪しげな中年男……ギエンドゥアンが悠然と立ち上がる。
「どれ行くとしようか。やれやれだ、有能な者にはゆっくりしている余裕もないわ」
……………。
目の前に差し出されたものは一通の封筒。
そこにはアトカーシア家の署名と家紋である百合の花の紋章が刻印されている。
ちなみに新設貴族である彼女のそれらは最近大急ぎで考案されたものだ。
「これを……わしに?」
「そうよ。おじさまには都に潜入して貰って指示した相手にこれを渡して欲しいの」
目の前に座っているアムリタがテーブルの上の封筒を指す。
彼女の傍らには無言でシオンが控えている。……気のせいか黒髪の少女の視線は冷たい。
「……………」
予想していたのとは若干異なる展開に眉を顰めつつ封筒を手に取るギエンドゥアン。
明かりに透かすなどしているが当然それで中身がわかるはずもない。
「敵本拠地に潜入にして密書を手渡すって……それ、軍師の仕事かなぁ」
「そうよ。戦局を左右する極めて重要な任務なんだから心して取り掛かって下さいね」
戦局を左右する、や極めて重要、のワードにピクリと反応した多少しおれ気味だったヒゲの先端が再び元気に跳ねて持ち上がる。
タキシードの男はニヤリと不敵に笑った。
「ぬははは、そういう事であればこのわしが出向くしかなさそうだな。……わかっておるとは思うがお嬢ちゃん、上手くいった暁には相応の……」
「わかっています。相応の報酬はご用意させていただきます」
大きく肯くアムリタが差し出す小切手。
そこには0が沢山並んでいる。
瞳を輝かせ……というかもう怪光線でも発射するかのようにビカビカと目を光らせてギエンドゥアンは素早く手を伸ばすが、直前でそれはひょいと持ち上げられてしまう。
「成・功・報・酬……ですわよ、おじさま」
「ぬ、ぬぅ……わかっとるわい」
立ち上がるギエンドゥアン。
未だに未練がましい視線をチラチラと小切手に向けている彼がアムリタに背を向けて歩き始める。
「どれ、早速取り掛かるとしよう。わしが引き受けたのだからもう成功は約束されたようなものだ、ぬははは。……くれぐれも、くれぐれもッ!! 報酬の事は忘れるでないぞ」
軽い足取りで簡易宿舎を出て行くギエンドゥアンにシオンは最後まで疑念の視線を向けたままだ。
「本当にいいんでしょうか? なるべく関わらせないほうがいい人だと思うんですけど……」
「遠ざけておく、というのも手ではあるのだけどあの人の場合そうすると勝手におかしな事を始める可能性があるからね。そうなる前にある程度の役割を与えてコントロールするつもりよ」
不安げなシオンに余裕の様子のアムリタ。
アムリタはギエンドゥアンの扱いについて何やら考えがあるようだが……。
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東方からの行商人に扮して鋼の都の内部へ侵入する事に成功した十王寺政宗リヴェータとその御付の一行。
彼女たちはアークライトの伝手を使って反乱軍の首謀者たちの本拠地であるグスタフの屋敷へやってきた。
かくして、カトラーシャの父と子は数ヶ月ぶりの再会となったわけである。
「……父上、私の不手際により大変なご迷惑をお掛けする事となってしまい」
「いいのだ。……それはもうよい。お前が……お前さえ無事でいてくれれば私はそれ以上何も望む事はない」
恐縮し跪いている息子を前にして涙で顔中べしょべしょの父。
そんな親子の感動の再会を少し離れた場所で見ているリヴェータたち。
「……よかったのう。あやつ随分と父上殿に愛されておるようじゃな。……うむ、芋が美味い」
焼き芋を食べながら肯いているリヴェータ。
アークライトを無事家族の所まで送り届けるという目的を達成して彼女は満足げである。
「それで、あちきらはこれからどうするつもりなんスか? アク次郎はパパ君に引き渡してこれでヨシとして……」
老人の変装を解いたマコトが主に尋ねる。
「うーむ、考えておらなんだがどうしようかのう。ここが間もなく戦場になるというのならば最後に混ざってひと暴れして帰る事にしようか。このままじゃお前たちやられっぱなしじゃしなぁ」
「……………………」
気軽に言うリヴェータだがマコトはフッと真顔になった。
(……マズイっスね。恐れてた事が)
糸目の娘が必死に頭を働かせている。
「いやいや、このような西の国で皇国の五大老様ともあろうお方が軽々しく戦に参加するもんじゃないっス。やる事やったんスからちょこっと観光でもしてあちきらは帰る事にしませんか」
「なんじゃ、心配性じゃのう。わしの身を案じておるのか? かっかっか、心配無用じゃ。わしの身が危うくなるような相手なぞ早々おるまい」
暢気にからからと笑っているリヴェータ。
(だーッッッ!!! そうじゃないっス!!! あちきが心配してんのは敵陣営の方!!!)
激しく笑みを引き攣らせたマコトが青ざめている。
(アンタ、手加減がド下手なんだからうっかり都市部が戦場にでもなれば数千人規模の巻き添えが出るっス!!! 本国でどんだけの街を地図から消して地形を変えてきたのか忘れちまったんスかねえ!!??)
仮にこの巨大な都市を半壊させるような事にでもなればこっそり帰国するというわけにもいくまい。
王国側も血眼になってやった者を探すだろう。
そのまま本国にまで飛び火してしまうかもしれない。
……マコトはそれを恐れているのだ。
「ちょっとご家老! 止めてくださいっス!! 御屋形様やる気じゃないっスか!!」
椅子に座ってのんびりお茶を啜っている泰山の脇腹をボスボス肘で突いて小声で言うマコト。
「……むぅ~~~~~~~~~~~りぃ~~~~~~~~~~~~~~」
「無理が長ッ!!!」
クワッと目を見開いて首を横に振る巨漢の老人に愕然とするマコトであった。
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一人の騎士がアムリタのところへ小走りにやってくる。
「『楽園星』様、都市へ入る許可を頂きたいという方が……」
「あら? 今日は多いわね。じゃあいつものようにチェックして」
アムリタが言うと騎士は困った表情で首を横に振る。
「いえ、それがその御方は自分は十二星であるとおっしゃっていて……」
………………。
その男はある意味では最も有名な十二星であると言えるだろう。
名声は国内のみならず世界中に広がっている。
その為、王国の民でも実在の人物ではないフィクションの世界の登場人物だと思っている者がそれなりにいる程だ。
「手間を取らせて申し訳ないね」
現れたのは背の高い、体格の良い老人だった。
軽装の鎧姿で革製の使い古したマントを羽織っている。
皺の刻まれた顔は若い頃はさぞ多くの女性ファンがいたであろうと忍ばせる面影をしている、口の周りを白い髭で覆った涼やかな目元の老紳士だ。
「お会いできて光栄です。卿ウィリアム」
「お嬢さんのようなお若い方にまでそう言って頂けるのは照れ臭いな」
低い良く通る声でそう言うとウィリアムはアムリタの手を取った。
十二星『無限星』ウィリアム・バーンハルト。
騎士にして学者にして冒険家にして……そして著名な作家である男。
彼の代表的な著書、冒険家ウィリアムシリーズは世界中で翻訳されており多くのファンがいる。
彼が自ら経験してきた大冒険を物語にした半ば自伝的なシリーズである。
ウィリアムは王国の西側のある都市を領地としており王都へは余り寄り付かない。
というより国を空けている期間が長い。
そんな留守がちな彼であるが王国と十二星の知名度の上昇と向上という点において彼ほど貢献している者は他になくある意味では三聖以上に不動の十二星であると言えるだろう。
何しろ一定以上の教養のある家庭の子供で彼の著作に触れずして成人する者はほとんどいない程である。
勿論アムリタもその例外ではない。
「幼い頃に憧れた物語の主人公を前にしているなんて、現実味がありませんね」
「しかし、お嬢さんもお若いのに色々と経験しているようだ」
優雅にティーカップを傾けながら言うウィリアムにアムリタが少し驚く。
彼は自分の事を知っているわけではない。
目と所作だけを見てそう判断したのだ。
長い人生で培われた洞察力と言うものか。
「実はあの街を統治しているグスタフとは遠縁でね」
ウィリアムが説明する所によれば反乱軍の首謀者グスタフのグレアガルド家とは数世代前にウィリアムのバーンハルト家と婚姻関係があるのだという。
その縁で彼が助けてくれと連絡を寄越してきたらしい。
「とはいえ、何もわからず了解したとは言えなくてね。一先ず話を聞きに行ってこようと思ったのだが……」
そこでアムリタが彼に事の起こりと経過を説明することとなった。
客観的証拠としてここしばらくの新聞をシオンに持ってきてもらう。
記事を見せながらだと説明もしやすい。
「十二星がそのような事になっていたとはな。家人は誰も説明してくれなかったよ。日々外国から届く書物が面白くてね。ここの所は新聞を読めていなかった。やはり世間の事にも注意を向けなければダメだな」
話を聞き終えて大きく嘆息する彼に苦笑するアムリタ。
家人の気持ちは彼女にはよくわかる。
恐らく皆、あまりにもバーンハルトの家には関係のない話なので主人の耳を煩わせるべきではないと判断したのだろう。
『無限星』が剥奪を受ける事などありえないのだから。
「私としては地位を取り上げられたらそれはそれで執筆の面白いネタになるからそう悲観したものでもないのだがね」
……放浪者ウィリアムシリーズが始まってしまう。
「……ともあれ、話はわかった。そういう事であれば悪いがグスタフに手を貸すことはできないな。人の道を外れた者が報いを受けさせられるのは当然の事だ」
「ご理解頂けて幸いです」
柔らかく微笑むアムリタ。
「とはいえ折角ここまで来たんだ。ただ帰ると言うのも紳士的とは言い難い。少しの間お世話になるとしよう。若き十二星のお嬢さんに老兵が助太刀する事にしようじゃないか」
「……え?」
呆気に取られて固まるアムリタの前でウィリアムは席を立つと油絵を描いている騎士の所に歩み寄る。
「ほう、中々味のある絵を描くじゃないか」
「お、わかる~? 最近始めたんだけど芸術に目覚めちゃってさあ」
まさか今自分が話している老人が伝説の十二星とも知らずに調子に乗っているベレー帽の騎士であった。




