天の怒り
「力」とは何か、「強さ」とは何か……。果てのない問いの答えを今もって探し続けている男。
『鬼哭星』のヴァルオール・グレアガルド。
八十年以上に渡り世界を放浪し武者修行に明け暮れたこの男は類稀な魔術の素養を見事に開花させて人を超えた領域に至った。
老いは停止し三十歳代の肉体年齢を保ちつつ現在も魔力は成長を続けている。
「力とは破壊だ! 強者とは破壊者だ!」
2m50を超える巨躯のこの男が両腕を力強く天へ向かって突き出すと、先ほどまでは晴れ渡っていた青空に俄かに黒雲が立ち込めた。
と、同時に周囲に雷鳴が轟き始める。
反乱軍の戦士たちの間で、そこかしこに動揺の声が上がっている。
「……わしの怒りで王都の尖兵どもを破壊し尽くしてくれよう!! 天より下れ破滅の火よッッ!!!」
黒雲が渦を巻く。
そしてその中心に燃え盛る巨岩が現れた。
城砦のように巨大な炎に包まれた岩が……今地上に、この都に向かってくる騎士団に向かって落下しようとしている。
……………。
頭上に現れた巨大な燃え盛る巨岩。
それは当然、都に向かって進軍中のアムリタの部隊からも見えていた。
見えてはいる……が、どうする事もできない。
今からではどこへ逃げても間に合わないだろう。
周囲がパニック状態に陥っていない事がありがたい……そうアムリタは思った。
あまりにも自分の想像力を超えた事態が起こると人はパニックを起こすこともできないのだろうか。
あの燃え盛る巨岩は大地へ叩きつけられ、周囲を吹き荒れる炎と衝撃波が何もかもを薙ぎ払っていく。
その数分後の大惨事を想像し悲鳴も涙もない静かな絶望が周囲に満ちていく。
ただ、彼女は違う。
……アムリタ・アトカーシアを除いての話だ。
空に現れた燃える巨岩を見た時、彼女は本能的に理解した。
あれは、あの魔術は……。
「私のものにできる……!」
廃砦の戦い。エスメレーを倒した時に感じたものと同じ感覚だ。
両手を空へ向けるアムリタ。
彼女の身体を淡い緑色の魔力の揺らぎが覆っていく。
この世で最も傲慢な姫の手の中には相手の宝物と同じものが握られている。
『傲慢な姫君』を発動させたアムリタが空にもう一つの燃える大岩を生み出した。
『!!!!!!!!!!』
二つになった空の大岩。
声は無くとも、音は無くとも地を満たした驚愕は伝わってくる。
同じ高さに出しても意味がない。
今の岩のやや上に出して斜めに落とす。
空でぶつかり合う二つの大岩。
大爆発が起こり無数の燃える岩片が周囲に飛散して降り注ぐ。
「……心臓に悪いわね。とんでもない魔術師がいるわ。反乱軍に」
「あうあう……お、お、お疲れ様です。腰が抜けるかと思いました」
馬車に馬を寄せてきたシオンの顔色は蒼白である。
流石の彼女も頭上に紅蓮の大岩を見上げた時は生きた心地がしなかった。
「落ちた破片で怪我をした騎士がいないか見回ってくれる?」
「わかりました! お任せ下さい」
肯いたシオンとアイラが馬を駆って部隊を見に行った。
「……い、いやぁ流石だなお嬢ちゃん!! わしは信じておったぞ!!!」
「その割にすっごい離れた場所から戻ってきますね、おじさま」
あんな僅かな時間でどうやってそこまで逃げたんだ、と思えるくらい遠方から走って戻ってきたギエンドゥアンであった。
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燃え盛る二つの巨岩は空中でぶつかり合い爆発して粉々に砕け散った。
炎に包まれた破片は都にも無数に降り注ぎ建物を破壊し炎を噴き上げている。
次々に届く被害の報告に対してグスタフが救援の指示を出している。
「……どうすんです? ヴァルオール様。なんか、あっちもやり返してきましたけども。もっとすげえ奥の手はあるんですかい?」
「……………」
グスタフの問いに対してヴァルオールは返答しない。
空で砕ける自分の燃える岩を見上げた時のままの態勢で彼は固まってしまっている。
(茫然自失ってか? 困るんだよなぁこっちはアンタがやれって言うからこんな馬鹿な戦いに首突っ込む羽目になってんだからさぁ。も~ぉちょっとなんとかしてもらわねえと。今白旗上げたらもうこっちの完全敗北になっちまう。何もかんも取り上げられちまうぞ)
最終的に降伏するにしても少しは巻き返してからにしなければグスタフが……グレアガルドの家が失うものが大きすぎる。
(あっちの三つの家の連中は当主も連れてきた兵隊どもも凡そ使いモンになるレベルじゃないしよぉ。これ実質うちの家だけで王都の軍勢と戦ってるようなもんじゃねえかよ)
絶望的な気分でため息を付くとグスタフは上着のポケットから琥珀色の液体が入った瓶を取り出しそれをぐいっと呷った。
飲んでいられるような状況ではないのだが飲まねばやっていられない。
「……!」
アルコールが効いたか、その瞬間グスタフの脳にピリッと電撃が走った。
「そうだ。ダメ元であの家に助けを求めてみるか……! 確かうちの婆さんだか大叔母さんだかがあの家の遠縁だったはずだよな? まったく無関係ってわけでもねえし」
何かを思いついたらしいグスタフ。
彼は大慌てで屋敷へ戻っていく。
するとその場に一人残ったヴァルオールがズズンと地響きを立ててその場に座り込んだ。
「まさかわしの天の怒りを模倣してくるとはな……」
呟くヴァルオール。
天の怒りは彼の生み出した最強の魔術だ。
攻撃力においてあれ以上の魔術は彼にはない。
八十年にも及んだ研鑽の旅の果てに編み出された究極の大魔術なのだ。
「紛い物……紛い物のはずの、つい先日まで平民だった娘が……。十二星を名乗り、我が極大魔術を……使いこなすか……」
喘ぐように言葉を絞り出し、長い息を吐いて目を閉じるヴァルオールであった。
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空に燃える大岩を呼び出してきてからは反乱軍側からの攻撃行動は無かった。
あれが決まってしまえばそれで全ては終わっていたであろうからその後の構想が無かったとしてもおかしな事ではないかもしれない。
彼らは都の大門を固く閉ざし防衛の構えである。
都の側は不気味に静まり返っている。
「……反乱軍には食料の備蓄はどのくらいあるの?」
「3,4年はもつはずよ」
何も見ずに即座に答えるアイラ。
アムリタが渋い顔をして舌を出す。
「そんなに掛けてられないわ」
「だけどさっきの一撃をこっちが凌いでいるから、あっちは徹底的に防戦に入るんじゃないかしら? 真冬になればこっちは撤退するしかなくなるしね」
長引かせたい相手と、短期で決着を付けたいこちら。
守りを固めた反乱軍を正面から攻めてどうにかできるだけの戦力を連れてきていないアムリタたちは何か策を考えなければならないが……。
「とりあえずこっちも野営の準備をしてしまいましょう」
「……アムリタ様、設営に取り掛かります」
丁度そこに騎士たちが報告にやってくる。
アムリタが今回の遠征に際して自分の部隊に徹底すると決めたことがある。
それは簡素な軍用のベッドではなくきちんとベッドで睡眠を取らせる事、定期的に入浴をさせる事、きちんとした食事を取らせる事の三つだ。
人数を絞った理由の一つでもある。
当てられた予算を多く資材と物資の購入とその運搬に充てたのだ。
風呂もある簡易宿泊施設をこの地に設営する。
「……それじゃあ、お母さんはごはんの支度を始めるわね」
ついに母を名乗り出してしまったエスメレーが食事の支度に入った。
彼女の手による料理であれば騎士たちもきっと満足できるだろう。
作ってる人が美人だからとかそういう意味ではなく。
「相手よりも少数で戦いたいなら士気を高く維持しなきゃね。美味しいものを食べてしっかり眠って清潔にしていればそこは大丈夫でしょう。……『快適な戦争』、それが私のモットーよ」
「なるほど……」
慣れた工兵たちの手により手際よく設営されていく簡易宿泊施設を眺めながら言うアムリタ。
感心したシオンが肯いている。
「『楽園星』の遠征に参加したら地獄でしたとか言われたら溜まったものじゃないしね……」
やれやれと芝居がかった仕草で両手を開いて肩をすくめるアムリタであった。
……………。
一方その頃、野営地の外れにギエンドゥアンが独りで立っている。
周囲に人影はない。
「……オイ! さっきの大岩は何だ! あんなもんぶつけて寄こしたらわしもタダでは済まなかっただろうが……!!」
大きな岩に背を預けたギエンドゥアンが渋い顔で言う。
「それはこちらの関知するところではない。状況は常に変化している。臨機応変に動けと言う話だったはずだ」
大岩の反対側から男の声がする。
岩の向こう側に何者かがいるのだ。
だがその姿はこちらからは見えていない。
「……文句を言いたいのはこちらも同じ。あの小娘があれほどの魔術を使いこなすという話は聞いていない」
「ぐッ……!!」
顰め面で呻くギエンドゥアン。
「あの娘とは知己であるから色々と情報があると言ってお前は自分を売り込んできたのではなかったか」
「ふん、そうは言っても何もかもを把握し切れているとは言っておらん。あの若さで大王の肝煎りで十二星に選ばれる娘だぞ。あのくらいの力はあったって不思議ではないわい」
そして両者の会話は一旦途切れた。
砂の混じった乾いた風がギエンドゥアンの足元を吹き抜けていく。
「……とにかく、お前への報酬は戦いの趨勢で大きく変わると言う事を忘れるな。稼ぎたければこちらにとって有利な情報を持ってくるのだ。引き続き情報収集に当たれ」
「わかっておるわい。今度デカいのを寄越す時は事前に連絡を入れろ……!!」
苦々し気に髭の男が言うと岩の向こう側の気配が消えた。
それを確認してからギエンドゥアンはチッと舌打ちをする。
「バカめ! ……わしは儲けられそうな側の味方をするだけだ。お前らの方に高く売れそうな情報が見つかればそっちを売っ払ってやるわい」
カツン、と足元の小石を蹴るタキシード姿の痩せた中年。
飛んでいった小石は地面で跳ねて、近くにいた小さなトカゲが慌てて岩陰に身を隠すのであった。




