大王の招集
彼女は腰に佩びた刀をシャリンと鳴らしながらゆっくりと室内に入ってくる。
「……無理をせずに寝台に戻らぬか。傷口が開いても知らんぞ」
十王寺正宗リヴェータ。
皇国の属国のうちの一つの国を治めている女性。
かの巨大帝国の実質的な支配者である『ショウグン』に次ぐ権力者、『五大老』の一人でもある。
続いて入ってきたのは大柄な和装の老人。
真っ白い髪の毛、眉毛、髭……どれも長い。眉毛の先端は顔の枠からはみ出て垂れ下がっており髭も胸元まで伸びている。その異様にたくましい体格を無視すれば面相だけは「仙人」じみた老人である。
「ご家老様も……」
更に畏まるアークライト。
この老人は十王寺家家老、乾泰山。
リヴェータの補佐をする寡黙な老武将。
アークライトの隣で跪いていたマコトが顔を上げる。
「御屋形様、ドウアンは……」
「うーむ、どうじゃろうな。とりあえずは眠らせてあるが本国へ連れて帰ってみん事にはなんとも言えぬ。何しろ心の臓が木っ端微塵だからのう」
腕組みをして難しい顔で首をかしげるリヴェータだ。
「全ては私の不手際です……!! 精鋭をお貸し頂いておきながらこの体たらく……」
「寝台へ戻れと言うたぞ!! 同じことを二度言わすでないわ!! このたわけ!!!」
リヴェータに怒鳴られて慌ててアークライトがベッドに戻る。
「……して、お主どうするのじゃ。皇国へ戻るならまたわしの家で面倒は見てやるぞ。お主の好きなカブの漬物がまた食えるぞ」
「誠に……誠にありがたいお言葉ですが、この国には父と母がおります。全てを父母に押し付けて自分だけ逃げだすわけにはまいりません」
傷の痛みに顔を歪めつつもアークライトは無理矢理に笑みを浮かべた。
「私は出頭するつもりですが皆さまのことは何一つ喋るつもりはございません。どうかご懸念のなきよう」
「ふうむ、孝行息子で感心なことじゃ。……いや? やらかして家をまずい事にしておるから孝行息子でもないか」
自分で言ったことに「あれ?」みたいに怪訝そうな表情になっているリヴェータ。
「……まあちと待つがいい。今この国中々面白いことになっておるぞ。焦って動かずに静観するのじゃ」
「面白いこと……ですか?」
リヴェータの言葉に眉を顰めるアークライトであった。
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『鋼鉄の都』ヴァルシンク、十二星『鬼哭星』グレアガルド家屋敷。
今その大きな屋敷に怒号が響き渡っている。
「ふざけるなッッ!! 十二星の称号を剥奪するだとッッッ!!!???」
身長2m半を超える赤毛の巨体。
大きな二本の角を生やした鉄兜を被ったその男は東洋の伝承にある「鬼」を彷彿とさせる戦士だ。
真紅の魔戦士ヴァルオール。
「いや、だから別にうちが取り上げられるっていうんではなくて、そういう制度に変わりますって話ですよ」
筋肉質な髭面の男……現当主のグスタフが先祖を宥めている。
「大体うちは真っ当に商売やって税金だって十二星の家で一番国に納めてるんだから何も心配することな……」
「そういう話ではないわッッ!!!」
台風のようなヴァルオールの怒りの叫びに屋敷の窓ガラスがびりびりと震えた。
「十二星の地位が不変のものではなくなった事そのものが問題なのだ!! 十二星とは初代王を助け圧政者と戦い勝利した十二人の魔術師たちが興した家だ!! その栄光の地位は神聖にして不可侵のもの!! それは例え後の世の王であろうと変えようとする事は許されんのだ!!!」
(だーかーらー、そういう風に特別扱いしてたらメチャクチャやる奴が出たから変えなきゃいけないって話なんだっつーの!!)
熱弁を振るっている先祖に内心でげんなりしているグスタフだ。
グスタフとしては制度の変更には賛成である。
少々強引なところもないとはいえないが、彼はまともに仕事をして稼いでいるのだ。
一族総出で詐欺師をやっているような家や、孤児をさらってきて暗殺者に仕立て上げているような家と同列にされたくはない。
「この暴挙には断固として抵抗せねばならんぞ、トーマスッッッ!!!」
「だからトーマスは俺の爺さんの名前で……」
ヒートアップしている先祖にげっそりと肩を落とすグスタフであった。
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十二星という王国の政の根幹をなす制度の変革は『天車星』ハーディング家宗家の娘であるシオンにとっても大きく影響する話である。
「……うちですか? ええ、大騒ぎですね」
パンを商品棚に陳列しながら苦笑するシオン。
「私としてはいよいよ来るべき時が来たかなって感じなんですけどね……。でも今からでもどうにか一等星に残れないかってあがいている親族たちもいます」
その笑みは寂しげである。
無駄なあがきだとは思ってもシオンはそれを笑う気にも謗る気にもなれない。
誰もが……家が順調に立ち回れている間は善良で穏やかな親族たちだったのだ……いや、彼女にはそう見えていた。
それが雲行きが怪しくなっていくにつれて誰もが荒んで変わっていった。
……そのことがただ虚しく哀しい。
元々が崖っぷちといえる状況であった彼女のハーディング家なのだが、ここへきて止めを刺すような新事実が判明した。
当主代行を務めるシオンの叔父がアークライトの陰謀に加担していたのである。
「叔父も何とか家を残そうとあがいた結果だと思うんですけど……。そこで切ってはいけない手札を確実に切っていくのがもうお家芸と言いましょうか……」
選んではいけないものを選び、手を組んではいけない相手と組む事に定評のあるハーディング家。
通算何度目かの自爆であった。
「私が一等星の家の娘でなくなってしまっても、変らずに仲良くしてくださいね、師匠」
「それを平民の私に言うの?」
大袈裟に哀願するような仕草をするシオンにおどけて笑うアムリタであった。
ところがだ……。
そのシオンとのやり取りから大体二時間後。
「……………」
茫然自失。
アムリタは王宮にいた。
それも……玉座の間だ。
「こうして顔を合わせるのは初めてになるか」
目の前には巨大な男がいる。
身長も高いがそういう意味の巨大さではない。
存在感が、オーラが……雰囲気が巨大なのだ。
(……え、何? どうなっているの? どうして私は今こんな所にいるの?)
パン屋でシオンと談笑していたと思ったら……。
突然金色の鎧の騎士たちが……近衛騎士が店にやってきたのだ。
『大王様がお呼びであります』
と、そう言って……。
その男……玉座の大王ヴォードランを前にして混乱の渦中であるアムリタ。
ジェイドとしては一度間近で接したことはあるものの、単に頭を下げる自分の前をこの巨大な王が通り過ぎていっただけ。
言葉を交わすのは初めてになる。
相も変わらず大王の声は胃のあたりに重たく響いてくるかのような重低音だ。
そして王は単身ではない。
その左右には二人の男が立っている。
二人とも面識があり、言葉を交わしたこともある……アムリタとして。
『紅獅子星』のシーザリッドと『白狼星』のアレクサンドル。
大王の両翼とも言える二人。
どちらも別荘に遊びに行った時のような気さくな雰囲気ではなく厳粛なオーラを纏ってそこに立っている。
「アムリタ・アトカーシアか……」
大王が自分をねめつけてくる。
もう彼が友好的なのか敵対的なのかも判断がつかない。
とにかくただ怖い。
「わしの知るある娘によく似た名だな」
「……………」
なんと返事をすることもできずアムリタは全身を硬直させている。
「その娘には不幸があったが、お前は健やかであるか?」
「は、はい……。偉大な大王様の統治の下で何一つ不自由することなく……」
権力をもうなんとも思っていないアムリタであるが、この男の放つ「圧」には委縮してしまう。
というかこのやり取りの、対面の意図がわからない。
混乱からくる緊張感が著しい。
「ならばよい」
大王が顎でしゃくると傍らに控えていたローブ姿の文官が進み出てきて手にした分厚い大きな書物を広げて見せた。
(……空?)
一瞬怪訝そうな表情になるアムリタ。
それは天体図である。
夜空を描いたその図には無数の星々が名前と共に載っている。
「好きな星を選べ」
「……!!??」
雷に打たれたかのような衝撃が全身を駆け巡る。
これが世間話の類ではないことはもう明白だ。
足が小刻みに震えだすアムリタ。
「…………選べません」
絞り出すようなその返事の声は掠れていた。
「ならぬ。選ぶのだ」
ゆっくりと頭を横に振り、拒否を許さないヴォードラン。
「大王様、私はしがない街の商店主……平民でございます。どうかお戯れは……」
「わしが、選べと言っているのだ」
その一言はそれまでの彼の言葉よりも随分と静かに放たれた。
だがこれまでのどの彼の言葉よりもアムリタの胸に重く響く。
大王は告げたのだ。
それが自分の意思であり……王国の決定であると。
「……フッフッフ、どれも気に入らぬというのであれば『白狼星』を選んで我が家の嫁に来るという選択肢もあるぞ」
ニヤリと笑ってとんでもない事を言い出すアレクサンドル。
「それならば私は『紅獅子星』を薦めよう」
こちらは笑ってはいないがシーザリッドが静かに告げる。
(くわーッ!!! 何をゆってんのよこのオヤジどもはーッッ!! お昼はピザでいい? みたいなノリで息子をおススメしてくるんじゃないッッ!!! ヤケクソでとんでもない星を選ぶわよもう!! 鶏ガラ星とか!!! どこなの私の鶏ガラ星ッッッ!!!!)
必死に天体図を探すアムリタであるが、残念ながらそんなスープのお出汁を取るのに良さそうな星は夜空のどこを探しても見つからなかった。
「……こ、この件は持ち帰りまして慎重に検討を重ねたく……」
「ならぬ」
ゆっくりと大王が玉座から立ち上がる。
「今この場で選ぶのだ。アムリタよ。己の宿命の星を選べ」
とりあえずこの場は逃げ帰ってうやむやにすると言う手も通じ無そうである。
アムリタは眩暈がするような心地で天体図に再び目をやり……。
「……あ」
その視線が書物のある一点で止まった。
「決まったようだな」
「え? ……で、でもこの星は」
動揺するアムリタに大王が力強く首を縦に振る。
「運命とはそういうものなのだ。それがお前の星だ、アムリタよ」
茫然としているアムリタに静かに告げる大王であった。




