森の奥の奈落
鎧を鳴らし荒々しく屋敷へ踏み込んできた騎士たちが内部の捜索を開始する。
ここは十二星『神耀』のカトラーシャ家。
数年前までアムリタが暮らしていた屋敷だ。
そして現在のこの屋敷の主は彼女の叔父レンドールである。
「ああッ! やめてくれ……!! ここには息子はいないッ! 私は匿ってなどいない!!」
そのレンドールが今慌てふためいている。
「申し訳ありません。ロードフェルド王子より捜索命令が出ておりますので」
現場の指揮官である小隊長が首を横に振り、部下たちに続行を指示する。
「どういう事だ! 何故我が家がこのような目に遭わなければならんのだ!! 息子が何をしたと言うんだ!!」
「命令ですので、悪しからず」
縋りついてくるレンドールを冷たくいなす小隊長。
その様子を少し離れてジェイドとミハイルが見ている。
「……気の毒にな。多分、彼は本当に何も知らないんだと思う」
かつての叔父の哀れな姿にジェイドが眉を顰める。
「だがそれは言い換えれば自分の息子が家の名前で何をやっているのかも把握できていなかったという事だ。人の上に立つ者の無能は罪だ」
ミハイルの言葉は冷たいが、その口調は普段の彼のものとは違い若干憐れむような響きがあった。
十二星の父親と息子の話として何か思う所があったのだろうか。
「……カトラーシャの家は十二星を降格するだろうな」
「かもしれんな」
ジェイドの静かな呟きに肯いて応じるミハイルであった。
ロードフェルド王子が十二星の家に昇格と降格の制度を設けるという話は非公式ではあるが貴族たちの間に数日の内に広まった。
それについていくつかの一等星の家が反発しているとの噂が流れている。
だが二等星以下の貴族たちは賛成の声が多い。自分たちも一等星になれる可能性ができたという話なので当然と言えば当然か。
「反対するという事は自分の家が一等星に相応しくないと判断される事を恐れている証拠だ。我がブリッツフォーン家にとっては何一つ問題はない」
あくまでも冷静、怜悧冷徹のまま断じるミハイルである。
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『四つ葉探偵事務所』の事務所から不気味な中年の咽び泣く声が聞こえてくる。
道行く人々が眉を顰めて建物の方を見ては囁き合っていた。
「もうそれが酷い話でなぁ!! 折角ランセット王家から報酬のカネがドバッと入ってきたというのにだよ……入金に王国を経由するもんだから今までのわしの商売の賠償金やら慰謝料の立替分で全部没収されてしまった……ッッ!! どうなのコレ……悪魔のような所業だと思わんか!!!」
「……いやぁ、そりゃそーだろとしか」
ハンカチを涙と鼻水でべしょべしょにしているギエンドゥアン。
話を聞いているマチルダはすっかり白け切った表情である。
「というワケでなぁ。まーたカネがなくなってしもうてな。何かいい儲け話はないか?」
かと思うとけろっと泣き止んで彼はそんな事を聞いてくる。
「知らないっての。大体がオッサン、アンタうちに来た仕事横取りしただろ。それだってまだオレは許しちゃいないんだぞ」
ギロッとマチルダが睨むとギエンドゥアンは口笛を吹きつつ明後日の方向を見る。
「……ま、まあその件はもういいじゃろ。わしはお前の代理として立派に仕事をこなして来たのだ。事務所の名声も上がっていうことナシだ! な!!」
「アムリタ相手の話なんだから名声も何もないっての。……まあアンタの言う通り仕事をちゃんとやった事だけは評価するけどさ」
あっさり流したが内心ではマチルダはこの信用のできない怪しい中年がしっかり高難易度の任務を達成した事については表に出している態度以上には評価しているのだった。
ただ、それはそれとしてマイナス査定も多くあるので甘い顔はできない。
「とりあえずは今後もヨロシクという事だな! ぬははは!! ところで今日の夕食は何かな? そろそろわしは腹が減ってきておるのだが」
「このオッサンまた食べていく気じゃんね……」
それまで黙って二人のやり取りを聞いていたエウロペアが呆れてため息をついた。
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王立学術院の午後。
「……ッたくしょうがねェなあ! 折角アタシがあれこれ準備して勝負を盛り上げてやろうとしたのによォ。勝手にコケて落ちていきやがって」
学長室で豪奢な革張りの書斎椅子に身を沈める様にだらしなく寝そべっているリュアンサがボヤいた。
アークライトが開催していた『蒼竜会』は会長の突然の失踪で活動休止に追い込まれている。
つい先日はカトラーシャの屋敷に騎士団が突入したとも噂されており、彼は失脚したらしいと言う噂が流れているのだ。
何人かがアークライトの後釜に座ろうとあれこれ動いてはいるらしいが退会者が相次いでおり、近い内に会そのものがなくなるであろうというのが皆の見立てであった。
「お店は全部無駄になっちゃったんです?」
東の文化を扱った雑誌をパラパラめくっているクレアが誌面から顔を上げた。
「別に商売は商売として順調だからそりゃどーでもいいんだよ。散財してやるつもりがかえって金が増えちまいそうだけどなァ」
リュアンサが王都の各所でオープンさせた東方関連の店はどこも売り上げは好調である。
彼女が東の衣食のあれこれを紹介したお陰で今都はちょっとした東方ブームが来ている所だ。
街を歩けばちらほらと和服の通行人を見かける。
皮肉なことにアークライトが広めようとしていた東方のいいものは確かに王国の人々に受け入れられつつある。
「……何でそうなんでもかんでも成功させるんですかね。こっちは早々に潰れたら笑ってやるつもりで楽しみにしていたのですよ」
「聞こえてんだよッッ!! いい度胸してンじゃねえかこのオタンコナスが!!!」
ギラリと目を光らせて怒鳴るリュアンサにクレアはサッと視線を逸らす。
「……ま、まあそれより今王宮は例の新しい十二星の仕組みの話で大騒ぎなのです」
「あァ、兄ィも思い切った事をやるよな」
咄嗟の話題逸らしが成功してホッと胸を撫でおろすクレア。
「十二星はうちの国の聖域だからなァ。そこに手ェ入れるってなりゃ相当の覚悟がなきゃできねェ」
「二等星の家のいくつかが浮足立っているのです。現十二星でいくつかの家が降格するのはもう決定事項みたいなものですからね」
上が落ちるという事は椅子が空くという事だ。
現在の二等星の家のいくつかが一等星に格上げになる。
それならば我が家が! と鼻息を荒くしている家がいくつかあるのだ。
「せいぜい切磋琢磨してもらうさ。それが国の発展にも繋がるってモンだしよォ。オメーもこの機会にちったァ真面目に頑張ってみりゃいいんじゃねーのか?」
「我が家は三等星なのですよ。関係ないお話なのです。大体がうちの父に十二星やってなんて言ったら多分一瞬で頭の毛が全部抜けて廃人になるのですよ」
そう言って大袈裟に肩をすくめるクレアであった。
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……その屋敷は王都の均衡の深い森の奥にある。
その森は昼でもなお暗く、底なし沼があちこちにあり凶悪な魔物が徘徊する難所であり地元の猟師ですら近付く事のない場所だ。
「……イメージの通りの場所だな」
騎士たちを連れてその森を進む『紅獅子星』のレオルリッドが呟いた。
森を抜けた先は荒れ果てた墓地だった。
朽ちかけたり倒れたり……墓石は手入れされている様子はない。
昼間だと言うのに空には重たい黒い雲が立ち込めており周囲はかなり暗い。
本当に……気が滅入る光景である。
だが彼らが今から果たさねばならない任務は光景よりもずっと陰鬱なものだ。
何しろこの先の屋敷は『幽亡星』のヴォイド家のものなのだから。
長らく所在は不明とされてきたこの屋敷。
それが今回クリストファーの証言によりようやくたどり着く手段が判明したのだ。
ただでさえ人の寄り付かない死の森の奥に何重もの隠匿の為の結界に覆われて隠されて来た屋敷。
「抵抗するようであれば容赦はするな。相手は幽亡星だ。どんな手を使ってくるかわからん」
「はッ!!」
レオルリッドの指令に副官が敬礼で応える。
ここには暗殺者に育て上げられた多くの孤児たちがいるらしい。
できれば……助けてやりたいとは思うが。
彼らが大人しく投降するようであれば保護する為の準備もしてきてはいる。
だが……。
「……そこにいる奴らを、助けようなんて思わない方がいい」
直に話を聞いたクリストファーの言葉を思い出す。
「もう、間に合わない……」
差し伸べた救いの手をはもうとうに届かない所にいってしまっている者たちだと、彼は言っていた。
墓地の向こう側にある大きな屋敷。
おどろおどろしい朽ちかけたその屋敷はまるでこの世の光景ではないかのようにただひたすらに暗く……。
レオルリッドにはまるでそれが奈落の底へと続く大きな黒い穴のように見えた。
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王国内某地方都市のホテルの一室。
「………………」
ベッドで上体を起こしたアークライトが表情もなく前方の空間を見つめている。
全ての覇気を失った彼はまるで抜け殻のようになっていた。
「悪事というのは、崩れる時は一瞬だな……」
誰に言うでもなく呟くアークライト。
「やー、なんか申し訳なかったっスねえ。あちきたちもあんまりお役に立てなくて」
バツが悪そうなマコト。
彼女は今は翁の面を被ってはおらず素顔を晒している。
細いキツネ目の整った顔立ちは勿論彼は見るのは初めてだ。
「いや……」
アークライトが静かに首を横に振る。
「口惜しくもあるが奇妙にさっぱりとした心地でもある。結局のところ私は大悪党の器でも統治者の器でもなかったという事なのだろう」
フッと自嘲気味に笑ってうつむくアークライト。
(……こ、こいつ女だったのか)
……そして内心ではマコトを見て若干動揺していた。
そこで部屋のドアがガチャっと音を立てて開いた。
入ってきたのは大柄な和装の白髭の老人を伴ったブロンドの女性である。
左目に刀の鍔を当てた勝ち気そうな美女……その姿を見てベッドの上のアークライトは顔色を失い全身を戦慄かせた。
「……ま、マサムネ様」
そしてその口から掠れた声を漏らし、彼は転げ落ちるかのようにベッドから飛び出し床に平伏するのだった。




