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血に染まるホテル

 ホテルの部屋でアークライトは難しい顔をしてずっと何かを考え込んでいるようだ。

 鬱陶しいほどあれこれ声を掛けてきていたのにそれが静かになって、クリストファーはホッとするのと同時に不気味さを感じて時折彼の顔を見ている。


(なんと言う事だ……まさか、本当に……本当に彼女がアムリタ・カトラーシャだったとは……)


 そうかもしれない、と思う半面でまさかそれはないだろうとも思っていた。

 彼女はクライス王子の婚約者であり非業の死を遂げたといわれている娘だ。

 もしもその死が偽りであり彼女が生存していたとすれば、彼女の死に纏わるあれこれが全て嘘だったという事になる。

 当然事実の隠蔽と虚偽の流布には王家が深く関わっている事だろう。


 だが……何故だ?

 何故そんな嘘をつく必要があった?


 当時の状況を思い出しながら頭の中で整理していると、やがて一つの仮説が成り立った。


(そうか……クライス王子は王位の継承戦に勝利する為に婚約者を無くしたユフィニア王女を自分が娶ろうとした。だがそれには現婚約者であるアムリタが邪魔だ。婚約破棄となればイメージダウンは必至だろう。だから王子はアムリタに死んだ事にして表舞台から退いてくれと交渉したのだ。


 アムリタはそれを飲んで表向きは死者となり別の人間の戸籍を得た。ところが思いがけずクライス王子はロードフェルド王子に暗殺されて退場してしまう。


 ……そして、ロードフェルド王子は弟の醜聞の生きた証人としてアムリタを今は保護しているという事か)


 ……そう考えれば全て辻褄が合う。

 なるほど、彼女が強気なわけだ。

 悪戯にアムリタの秘密に触れる事は王家を敵に回すことになるだろう。


(彼女の店にシオンや鳴江アイラが屯している事もそう考えれば納得だ。彼女は二人と同じ十二星宗家の娘だったのだからな)


 だとすればシオンやアイラは単にアムリタと個人的に仲良くしているというのではなく、王家や『三聖』あたりから何かしらの命を受けて彼女の近くにいるのかもしれない。


「………………」


 そこまではいい。

 ここまでの事は整理ができた。

 問題なのはこの先、どうするか……彼女とどう関わるべきかだ。


 彼女の言う通りにお互いもう赤の他人として関わらずに行くのが最良なのだろう。

 だがそれが難しいのだ。


 アムリタは『硝子蝶星(スワローテイル)』シャルウォート・クラウゼヴィッツの失踪に不信感を持ち探りを入れてきている。

 その事でドウアンの襲撃を招いて彼を負傷させ撃退した。

 シャルウォートは近く屋敷に戻してやるつもりだったが難しくなってしまった。

 件の人質がいれば彼が自分に逆らうことはあるまいが……それでも今アムリタと接触させるのはまずい。


(そもそもあの男の『説得』を任せた所から誤りだったのだ……)


 造作もない事のように言うのでつい任せてしまった。

 まさか初手からあんな乱暴な手段に訴えるとは……しかも荒事は最後の手段にしろと念押ししていたにも関わらずである。

 シラヌイの方は自分の言う事をある程度酌んで誰も殺すことなく『猛牛星』のエイブラハムをこちらの仲間に引き入れたが……。

 お陰で現在シャルウォートとの関係は最悪である。

 今現在命令を聞かせられる状態ではあるものの、自分を押さえつける鎖がもし何かで外れてしまったら彼は間違いなく自分に牙を剥いてくるだろう。


 ……いや、連れのせいにするな。

 アークライトが頭を軽く横に振る。

 その者たちを御し切れていない事も含めて己の器量である。


 アムリタ・アトカーシアはこのまま放置するには危険すぎる存在だ。

 シャルウォートの行方を探る事を彼女が諦めたとは思えない。

 そして店を襲ったドウアンが自分の関係者だと知られればそちらでもただでは済むまい。


(なるべく手を汚さずに事を成し遂げたいなどと……やはり甘えだった。今私の手元には東国から連れてきた二人と、そして十二星の猛者が二人いる。やるとしたらこれ以上事態が悪く転がる前に……今しかあるまい)


 冷たい炎を瞳に宿したアークライト。

 その事にクリストファーが気付く。


(こいつ……誰かを殺すつもりだ)


 謀略を巡らせることはこの男が今まで一度も見せていなかったもの……殺意。

 自分の計画の為には誰かを排除する必要があると感じて遂にこの男も手を汚す覚悟を決めたのか。


 自分の荷物の中から木製の翁面を取り出すアークライト。

 それは常日頃シラヌイが被っているものと同じ面である。


「……シラヌイ、聞こえるか」


『何用か』


 面に向かって声を掛けるとしわがれ声が応える。


「今すぐにドウアンと『硝子蝶星(スワローテイル)』を連れて私のいる宿まで来い。急ぎだ」


『何ゆえに』


 しわがれ声は訝しんでいるわけではなく、あくまで仕事の確認として聞いているようだ。

 どんな用事で呼びつけられるのかで彼らも準備が異なる。


「戦闘だ。今ここにアムリタ・アトカーシアがいる。彼女を始末するぞ」


「……!!!」


 面に向かっているアークライトは自分の背後でクリストファーが息を飲んだ事に気が付いていない。


『穏健派のお主にしては思い切ったものよ。……こちらからも悪い報告がある』


「何があった」


 眉間に皺を刻むアークライト。


『ドウアンの様子がおかしかったので問い詰めたのだが……どうにも、例の人質にしていた「硝子蝶星」(ゆかり)の女に逃げられたらしい』


「……………………」


 ブロンドの男の表情が消えた。

 相当な悪いニュースではあるがそれほど衝撃を感じていないのは自分が覚悟を決めたからだろうか。


「……それをシャルウォートにまだ知られてはいないだろうな?」


『あの男の動向には目を光らせておるが、誰かと接触した様子も何かを受け取った様子も今の所はない』


 ククク、とアークライトが喉を鳴らして笑う。


「ならばいい。彼がその事を知り離反する前に後戻りのできない所まで足を踏み入れてもらうとしようか」


 我ながら追い詰められると悪知恵が働くものだ、と皮肉げにアークライトが笑う。


「……アムリタは彼に始末させる事にする」


 黙って話を聞いているクリストファー。

 彼の握った拳が小刻みに震えている。


「彼女の連れも猛者が揃っているぞ。一人も逃がすわけにはいかん。……では待っているぞ、急げよ」


『了解した』


 それを最後ににてシラヌイの声は聞こえなくなった。

 通話を切って移動の準備を開始したか。


「聞こえていたな。君も支度をしておいてくれ」


「……殺さなきゃ、いけないのか」


 クリストファーの声は暗い。


「まさか今になって怖くなったというわけでもあるまい。『幽亡星(ファントム)』の家の君がな。声を掛けるだけ掛けておいて随分と宙ぶらりんにしてしまっていたがようやく君にも仕事をしてもらう時が来たようだ」


 そしてアークライトは目を細める。


「……君の得意な仕事をね」


「………………」


 クリストファーがアークライトと組んでいるのは彼自身が決めた事ではない。

 ヴォイドの家が彼と契約を交わし、それによってクリストファーが派遣されているのだ。

 個人の意思はない。

 自分は家に従い、家によって操られている始末屋なのだから……。


 だが、しかし……。


 クリストファーの脳裏を自分がパンを食べている姿を嬉しそうに見ているアムリタの顔が過っていった。


 ────────────────────────


 高速でしかも上品に食事をしろと言われれば、それは大変な難題だと思う。

 しかし今、王女イクサリア・ファム・フォルディノスがそれを現実にしている。


 これはどういう仕組みなのだろうか……?

 音を立てることもなく静かに、そして滑らかに動くフォークやナイフ。

 それなのにお皿の上から次々と消えていく料理。

 咀嚼もそんなに高速で行っているというわけではないのに。


 とりあえずそんな王女を見る他の面々の食事の手は完全に止まってしまっている。


「失礼、お代わりを」


 そしてまた皿を一枚空にした王女が上品かつ力強くお代わりを要求した。


「早食い大食いをこんなにお行儀良くできる人がいるものなのね」


「必要に応じて身に付けたスキルだね。滅多に披露する機会はないんだけど」


 ふふ、とミステリアスに笑うイクサリア。

 早食い+大食いをこんな優雅に美しく誇る人もいるまいと思うアムリタ。


「必要な動作を『しない』のではなく『見せない』『悟らせない』技術さ。これは食事以外の所でも色々と役に立つんだ」


 実際に次々に料理を皿から消しておきながらイクサリアにはそれを必死に食べている様子はまったくなく、手品を見ているような気分になる。


「……はぁ、やっと人心地ついたかな。今回は少し消耗したね」


「別に慌てて飛んでこなくたって、貴女とは別にちゃんと行く予定があったのよ」


 困ったものだ、という顔で笑うアムリタ。


「勿論それはわかっているよ。だけど、それとは別に今キミの顔が見たいと思ってしまったからね。だから会いに来たんだ。結果としてキミたちの旅行に割り込む形になってしまったが、どうか私の事はそのあたりのオブジェの一つとでも思ってあまり気にしないで欲しいな」


 えらく自己主張の激しいオブジェである。


「別に無視する気はないわよ。今日も泊まって後は明日帰るだけだから、イクサも一緒に紅葉を見てお風呂に入りましょう」


 アムリタの言葉に涼やかに微笑むイクサリア。

 普段の彼女の余裕の振る舞いのように見えるが、彼女を良く知る者が見ればそれは本当に喜んでいる時だけに見せる微笑である事に気が付くだろう。


 そんな訳で彼女たちは食事の後で軽く湯に入りそれから観光に出かけた。

 古い街並みを見て回り、雰囲気のある食堂に入り昼食をとる。


「……はぁ~、楽しい。心が溶けそう。親しい人と行く旅行ってこんなに楽しいものだったのね」


 心底浸りきっています、という表情で空を仰ぎ見るアムリタ。

 こういう観光旅行は彼女にとっては初めての経験である。

 旅行をした経験は勿論あるが、その時はいずれも保護者かお付きの者が同伴していた。


「ふふ、ご満悦だね」


「ようやくこの楽しさが理解できたわ。それは皆旅行に行くわよね」


 等とイクサリアと笑い合いながらホテルに戻ってくると……。


「あれ? 何でしょうか……トラブルですかね?」


 ホテル前の異変に最初に気が付いたのはシオンであった。

 洋館の前に人だかりがある。

 複数のローブ姿の治癒術師が慌ただしく何かを行っており、周囲には土地に駐在している騎士たちの姿も見える。

 何か事件でもないと見られない布陣だ。


「……失礼、こちらのホテルに宿泊中の方ですか」


 騎士の一人がやってきて尋ねる。

 そうだ、とアムリタたちが答えると……。


「そうですか。ご災難ですが実は先ほどこのホテルで人が刺される事件がありまして。まだ犯人が逃げております。外出は控えてお部屋の方へお戻り頂けますか」


「!!」


 慌てて駈け出すアムリタ。


「あ、ちょっと!! お嬢さん!!」


 騎士の制止の声も今の彼女には聞こえていない。

 刺された……誰が? 今のこのホテルには知人が泊っている。


 膝を突いて必死に治療術を使っている複数の術士の肩越しに覗き込むアムリタ。

 そこには……。


 苦し気にか細い呼吸をしている血だらけのアークライトが寝かされていた。


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