爆走王女ユフィニアさん
コツコツとホテルの廊下を進む靴音。
ステッキを持ったシルクハットのシルエットが滑るように進んでいく。
「ルールというものは実に!! 実に大切だよなぁ。当然ワルモノにだってそれはあるのだよ」
廊下を歩いていくのはタキシードを着た黒猫だ。
先端の少し丸まった尾を振りながら気取って歩いていく。
……だが彼の通った後には無数の屍が転がっており、周囲には強い血の匂いが漂っていた。
「向かって来なければ殺しはせん! それが……わしのルールだ。命が惜しければ退いていたまえよ諸君」
『幻夢星』マルキオン家に伝わる魔術は獣化。
ギエンドゥアンはこの魔術を用いて黒猫の獣人に姿を変えることができる。
ただこの事を知る者はほとんどいない。
彼が生業としている詐欺絡みの金儲けにこの魔術を用いることが無いからだ。
それもまた……彼の、彼の家のルールである。
「……だっ、駄目だ。バケモンだ!」
「死にたくねえッ!! やってられるかよ!!」
ギャングたちが逃げ去っていく。
多数の仲間の死と引き換えに彼らは目の前の黒猫が自分たちにとって地獄からの使者である事を悟ったのだ。
「近頃のマフィアは骨がないなぁ。……こちらとしては楽でありがたい事ではあるがな。ぬはははッ」
つい1分前までギャングたちが必死の形相で防衛していたドアの前に立つ。
当然扉は施錠されているがこの男にはそんな事は関係ない。
ドアノブを掴んで内部の構造ごと捻じって引きずり出し無造作に廊下に投げ捨てた。
「……おおッと、殿下を驚かせてはいかんな。何しろ、わしは紳士だからな」
独り言ちると姿を人間に戻すギエンドゥアン。
三白眼の細いツリ目に鷲鼻、そして先の跳ねた髭……。
黒猫の姿の方がマシなのでは、と言いたくなるほどの悪人ヅラである。
「失礼いたしますぞ! 殿下……御助けに参上いたしました。このわしが来たからにはもう安心でございま……」
「ありがとうございます!!!」
どむ! と胸に飛び込んで来た女性が結構みぞおちにいい感じの衝撃を与え、ギエンドゥアンが血走って見開いた目で天井を見上げる。
緩やかにウェーブの掛かった栗色の長い髪の毛のドレス姿の若い女性だ。
やや垂れ目でふわっとした印象の美人である。
……彼女の名はユフィニア・メリルリアーナ・ランセット。
ここランセット王国の王女である。
「どなたかは存じませんがお礼は落ちつきましたら改めて! 今は急がねばなりません!! どうぞそのまま私に付いてきて下さい!!!」
「……は!!? え!!!?? ちょっと!!!?? 殿下!!!????」
ずどどどどど、とスカートの裾を摘まんでユフィニア王女がホテルの廊下を疾走していく。
「シャルが……シャルが私の為に大変な事になっているのです!! 行かなくては!! さあ駅はこちらですよ!! 急ぎましょう!!!!」
「おわぁぁぁぁッッ!!!?? めちゃくちゃアクティブ!!!!!」
裏返った声で叫び、慌ててユフィニアの後を追うギエンドゥアンであった。
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突然、自分の職場を尋ねてきたその男は挨拶もそこそこに言いだした。
「……彼女は何者なのだ?」
問いかけてくるアークライトの顔には普段の彼のトレードマークである柔和な微笑がない。
「突然だな。話が分からない」
そっけなく返すミハイルの顔には普段の彼のトレードマークである氷の仏頂面。
「とぼけなくていい。君も私もヒマな身でもないんだ。まどろっこしい腹の探り合いは省略してもいいだろう。……アムリタ・アトカーシアと名乗っているあの女性の事だ。親しいのだろう?」
「知らない間柄ではないな。彼女は街でパン屋を営む女性だ」
返答しながら手を出し、椅子を示すミハイル。
アークライトがそれに応じて腰を下ろす。
「その街のパン屋が君が負傷したからと言って駆け付けてくるのかな? しかもここまでほぼ素通りでだ。一等星並の待遇じゃないか」
「……………」
沈黙するミハイル。
(……だからあの姿でうろつくなと言ったのだ)
……内心では軽くキレていた。
ついでにあの時、辱められたのを思い出しながら。
双方の発言が途絶える。
場は膠着状態に陥った。
「……君は私の事を売国奴のように思っているのかもしれないが、それは誤解だ。私はこの国を大事に思っているし発展させて民に良い暮らしをさせてやりたいと思っている」
「東の……皇家の旗の下でか?」
鋭い視線をアークライトに向けるミハイル。
「国の名が変わるわけでも王族が廃されるわけでもない。それでいて国が更に豊かになるというのなら、誰が後見役であっても大した問題ではないとは思わないか?」
「それだけ聞けばそうかもしれないが……私は基本的にメリットしか話さない者は信用しない事にしている」
そして両者は視線をぶつけ合わせたままで少しの間沈黙した。
その均衡を破ったのはアークライトだ。
彼は小さく嘆息してから席を立つ。
「……君とはいずれもっとしっかり話し合える場を設けるとしよう」
「アークライト、一つだけ忠告しておく」
立ち去りかけた足を止めて振り返るアークライト。
「彼女には関わるな。それがお前の為だ」
「単なる町のパン屋の娘に随分と意味深じゃないか」
再び視線を交差させる二人の十二星の跡取り。
そこに三人目の跡取りが乱入してくる。
「ミハイルッ! 貴様ッ! 負傷したのをいい事にアムリタにいかがわしい世話をさせたというのは事実かッ!! 見損なったぞこの破廉恥男がッッ!!!」
文字通りの怒れる獅子と化して突入してきたレオルリッドだが……。
「……あ」
そこにいるアークライトの姿に気が付いて固まった。
ミハイルは疲れた表情で眼鏡の位置を直しつつ嘆息している。
「十二星の家の御子息たちは皆でパン屋の娘に夢中かな? 彼女の何がそこまで君たちを惹き付けるのだろうね」
ふふ、と意味ありげに笑ってアークライトは退出していった。
後にはミハイルとレオルリッドの二人が残される。
「……話を面倒にしてくれるな」
「いや、その……それはだな……」
歯切れ悪く目線を逸らすレオルリッドであった。
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廊下を歩くアークライトの表情は冴えない。
中々に思っていたように万事進んではくれないものだ。
東の国へ留学し東の文化や思想に触れた彼はその素晴らしさに魅了され自分の国へもこれを持ち帰りたいと思った。
そして自分が伝道師となる事を誓ったのである。
それが全てのスタートだった。
そこには野心は無かった。
子供じみた純粋さで自分が自分が良いと思ったものを人にも教えてやりたかっただけだ。
だが……そんな夢を当地で出来た友人たちに語って聞かせていたら思いもよらない事になってしまった。
ある時、急に『ミカド』の呼び出しを受けたのである。
皇国には二人の統治者がいる。
象徴的な統治者である『ミカド』と実質的な統治者である『ショウグン』だ。
そして多数の従属国家が存在し、その従属国の国王たちは『ダイミョウ』と呼ばれている。
ダイミョウの多くは自国ではなく皇国の都で生活しておりアークライトもそんなダイミョウの十王寺家に世話になっていた。
『……朕の意思を、統治における理念をそなたの国にあまねく広める事ができた暁にはそなたを大名にしてやろう』
御簾の向こう側にいる巨大な皇国の最高権力者……ミカド。
そのミカドがアークライトにそう言ってきたのである。
……………。
(正直、ダイミョウという地位にそれほどの魅力を感じているわけではないが)
父親を助けて家を盛り立てて行ければと願ってはいたが統治者になりたいとは思っていなかったアークライト。
しかしいと貴き御方からの申し出をいらぬと突っぱねるわけにもいかない。
庇護者であった十王寺の家の主人もこの話を大層喜んで帰国の時に配下の腕利きをサポートに付けてくれている。
(だからこそ慣れない悪巧みをしているが、ままならんな)
……疲れを感じる。
ここ数か月ちゃんと休みを取った記憶が無い。
一度身体をきちんと休めるべきかもしれない。
「……となれば、やはり湯かな。温泉はいい。魂が休まる」
東国ですっかり贔屓になった温泉趣味を思い返すアークライトであった。
……………。
「……ねえ、どこかへ行きましょうか。紅葉のシーズンだからね」
「はい……?」
突然のアムリタからの提案にポカンとするシオン。
「最近貴女も色々あって疲れているみたいだし、リフレッシュでどこか行楽に出かけましょうよ。うちのお店のメンバーでね」
「ほ、本当ですか……師匠と一緒に小旅行。い、いく……行きます。どこへでも行きます」
瞳を輝かせているシオン。
実際にはない尻尾を激しく振っているような錯覚すら覚えるほどの喜びっぷりである。
「……………」
そんな二人を微笑ましく眺めながら、アイラは店を閉めて行ってもいいのかと一瞬考えたが……。
(……そもそも誰も来ていないのだから、店が休みだったことすら気付いてもらえないかもしれない)
……という悲惨な結論に至った。
「皆は連れて行かなくていいの? イクサリア様なんて置いていったら拗ねてしまいそうだけど」
それはそれとしてそういう提案はするアイラ。
「誰かを誘わなきゃ、ってなったらキリがなくなってしまうし大所帯になるから今回はこのお店の四人だけにしましょう。別に行きたければまた行けばいいんだから」
「たっ、楽しみです……! ああ、生きていてよかった……。それで、行き先はどちらに?」
シオンにそう聞かれてアムリタは「う~ん」と腕組みをする。
「ごめんなさい。言い出しておいて何だけど思いつかないわ。そういう場所には詳しくなくて……」
「それならフォロ・ハレイルの古寺院はどうかしら。あそこなら半日で着くしこの季節は紅葉が綺麗で近くには温泉のある宿もあるわよ」
「……あそこはいい所ね」
アイラの提案にエスメレーが微笑んで同意する。
元王妃は行った事があるらしい。
アムリタは想像する。
紅葉に包まれた古い寺院……そして温泉。
テーブルに並んだ山海の珍味に美酒。
「温泉……いいわね。食べ物も美味しそう。じゃあ今回は皆でお風呂に入りに行くとしましょうか」
アムリタの言葉に微笑んで同意するベーカリーのスタッフたちであった。




