お食事処『天ノ川』
はふ~、とシオンが窓の外を見てため息をついている。
ベーカリーの午後の休憩時間のこと。
「元気出しなさいよ。まだこの前のギエンドゥアンのおじさまの件?」
「それはそれで引きずってはいるんですが、今日のは別件で……。何でこう次から次へと面倒って起きるんでしょうね」
疲れた様子のシオン。
普段は溌溂とした凛々しい美少女も今日はすっかりしおれてしまっている。
「なんだか叔父が最近アークライトさんに接近しているらしくて。接近しているというか、接近されているというか、どちらなのかはよくわからないのですが……」
シオンの叔父は現在彼女から委任されて当主代行を務めている人物だ。
好人物でも有能でもないものの残っている一族の中では比較的マシな方という事で代行に選ばれた。
有能な一族の舵取り役であった前の当主オーガスタスを失った事により迷走し王位継承争いの中で立ち回りを誤り自滅したハーディング家。
「本当はもう皆わかってはいるんですよ。ジタバタしてみた所でどうしようもないんだって。頑張ってどうにかできるようなレベルのマイナスではないですからね」
主人が一番厳しいときにその主人を見限って他陣営に降った。
ところがその後主人が逆転して勝者になってしまった。
「ロードフェルド王子は個人としてはそこまで悪くは思っていないって言ってたのだけどね……」
「個人としては、ですよね。集団の長としては絶対に許せないと思いますよ。私が同じ立場ならその後何があっても信用はできないでしょう、そういう人たちは……」
なにより痛いのは王子の周りに誰もいなくなった、というならまだしも敗色濃厚となってからも支え続けた貴族がそれなりにいたことだ。
彼らはその後二等星の家は準一等星へ、三等星の家は二等星へと家格が上がっている。
「一等星の家で逃げ出したのはうちだけですからね。印象が悪いなんてものではないです。車輪の紋章を付けた馬車が走っていると石を投げてくる人がいるんで紋章を塗り潰したなんて一族もいるくらいで」
「うわぁ……」
言葉を失うアムリタ。
「今更だけど、貴女よく私を許す気になったわね?」
そもそもハーディング家は長兄オーガスタスが家長としてロードフェルドを支え、次兄アルバートがクライスを支える事でどちらが勝とうが家は没落しないという十二星の中でも磐石の態勢で継承争いに臨んでいた一族であった。
それをアムリタがアルバートを殺害した事で歯車が狂い、クライスを殺害した事でトドメとなった。
自分は二段階でハーディング家に痛撃を与えた女なのである。
迷走による自滅とはいえ、そっちへ導いたのは自分だ。
死神である。
「そこはもう、師匠の事が好きになってしまったので……。好きになってしまったら負けですね」
あはは、とシオンが力なく笑っている。
「責任を取って一生お側に置いて下さい。一生付いていきますから」
「私が貴女を追い払う事はないし、そのまま私の側にいたら自然とそうなると思うわよ」
アムリタが苦笑するとようやくシオンも少しほっとした表情で微笑んだ。
「……というか私は師匠がどんな目に遭ったのか実際に見たというか経験してしまっているので。復讐したくなる気持ちもよくわかりますから、あんまり恨んだりする気にならないですね。何一つ落ち度はないのにある日急にあんな事をされたら……」
「………………」
カウンターにいたエスメレーがそっと目尻をハンカチで押さえる。
「ああああ、ごめんなさいそういうつもりではなくてですね……!!」
「いいえ……貴女の言う通りよ」
ゆっくりとカウンターを離れてテーブル席に来るエスメレー。
そして彼女はアムリタとシオンの二人を抱きしめた。
「ごめんなさいね。貴女たちの事は、これから私がずっとお世話するから……」
「あああ何だか安らぎます! 温もりに包まれちゃってます! 人をダメにするお母さんです、この方!!」
ママ力に絡め取られたシオンが叫んでいる。
……結局シオンの叔父とアークライトが接近しているという話はうやむやになってしまった。
────────────────────────
「東の国」の料理を出す店をオープンさせる。
王女リュアンサがそう言い出したのは半月前だが……。
「……どーよオメーらッッ!! ここがアタシの店、『天ノ川』だッッ!!!」
三階建ての重厚な和風の建物の前で自慢げに胸を反らして両腕を広げているリュアンサ。
招かれているアムリタやイクサリアたちがそんな彼女に拍手を送る。
本日はプレオープン。
アムリタたちパン屋の面々が招かれている他、彼女たちは面識のない者も結構来ている。
聞けば高名な学者であったり作家であったり……リュアンサと交流のある名士たちらしい。
「ま、そんなワケなんで今日は好きに飲み食いしやがれ」
大きな座卓の上には所狭しと様々な東の料理が並んで煌いている。
豪勢な光景に若干気後れするアムリタだ。
「東のマナーはよく知らないから、失礼に当たるような事をしなきゃいいけど……」
「別に気にしなくていいんじゃないかな。周りだって似たようなものさ」
緊張でぎくしゃくしているアムリタに大らかなイクサリアが笑っている。
確かに彼女の言う通りで、この場には満足に箸を使える者がほとんどいない。
ただそんな中でエスメレーは完璧な所作で箸を使いこなしている。
「……あ~ん、してあげましょうか?」
「流石にそれはちょっと遠慮しておくわね……」
優しく微笑むエスメレーに引き攣った笑みを返すしかないアムリタだ。
「ところで、どうしてリュアンサは急にこんなお店をやるって言い出したの?」
アムリタが見る限り、リュアンサという女性は金銭に頓着がなく商売に興味があるようにも見えなかった。
勿論東方文化に興味があるようにも。
「ああ、それはね……」
顔を寄せてきたイクサリアがやや小声で語った所によると……。
……………。
「アークのヤロウがコソコソと進めてやがる東の物の考え方やら価値観やらの啓蒙活動は二つのモンを柱に支えられてる。その一つは貴族の特権意識だ。『自分たちはエラい。特別な存在だ。だから下々の民を導いてやらなきゃならねェ』って真剣に考えてるようなヤローがターゲットになってる。そういう連中の自分は特別、って意識を上手く転がして吹き込んでるってワケだ。『そんなエラい君にぴったりのいいものがあるよ』ってなァ。
そこでもう一つ重要になってくるのが東の思想のレアさ? っつーのかアリガタ味ってーのか……それはこっち側、西方の国々にはまだほとんど伝わってきてねェもんだ。だからこそ、それを知ってる理解できてるって事がステータスに感じられて飛びついてくる。『皆まだ知らねェ、持ってねェ。だからそれを持ってるオレはスゲエ!』希少さってなァそれだけで一つの価値だからな」
リュアンサはそう言って不敵に笑った。
「だからこそアタシがそこんトコをブッ壊してやんのよ。東方のものが特別でもありがてェモンでもねェように浅く広く全体に伝わっちまうようにする。例え劣化版だろうが、自分が大事に大事に持ってる宝物のコピーをその辺のヤツらが皆持ってるとしたら、その宝物の事は自慢しにくくなるし持ってる事にもあんま優越感を感じられなくなるだろ? そこんトコの熱を冷ましてやりゃァ連中の活動は鈍化する」
……………。
「……そ、その為に色々とお店を出して東方文化を広めようとしているの? 豪快過ぎるわね」
イクサリアの話を聞いてアムリタが頬を引き攣らせている。
効果に即効性はなく長い目で見る必要があり、尚且つ莫大な費用がかかりその計画を押し通す権力も所持していなければならない……彼女だからこそ取れる手段である。
「そうは言っても姉様もそこまで真剣にやってるわけではなさそうだけどね。半分は楽しんでやってるよ。遊戯のようなものさ」
「……うむ、紫蘇のテンプラはやはり塩だな」
いつの間にか近くの席にいて覆面をずらしてもそもそ食事をしているうらみマスク。
……流石のリュアンサでもこの男の正体を知っているとは思えないし、仮に知っていたとしてもこの場に呼ぶようにも思えないんだがどうして彼がいるのだろうか。
もしかして勝手に入ってきて参加しているんだろうかと頭を悩ませるアムリタであった。
────────────────────────
某国、某都市。
街の中のある中級のホテルを臨む物陰にギエンドゥアンが潜んでいる。
蛇の道は蛇。
このホテルに辿り着くまでにいくつかの土地の情報屋を訪ね多少の金を使う事になった。
(……なぁ~るほどな。ここで間違い無さそうだわい)
ホテル周辺の様子を窺い、髭の男は確信する。
……ターゲットはこの建物に監禁されている。
ホテル周辺に一般人を装った多数のその筋の者が配置されている。
荷物を運んでいる運送業者。ベンチで新聞を広げている中年男性。カフェのテラス席に向き合って座るカップル……全てそうだ。裏家業の者たちである。
ホテル周辺の監視と護衛の任務を担っている。
地元のさる大きなギャングが関わっているという事も確認済みだ。
遠方まで手の者を派遣するよりは荒事は現地の者たちに依頼した方がいい。
(この規模となると……監禁側の仲間に加わるのはやめておいた方がよさそうだ。大した分け前は望めまい)
双眼鏡を覗きながらギエンドゥアンは心中で算盤を弾いている。
(だとするのなら人質を横取りして身代金を請求するコースだな。救出して連れ帰ったとしてもあのお嬢ちゃんもそれほど金を持っとるようにも見えんかったしな)
平民にしては不思議と気品のある所作をする少女を思い出すギエンドゥアン。
位置を変えるかと潜んでいた物陰から立ち上がる黒い紳士。
「……おい、お前」
その彼に後ろから柄の悪い男が声を掛けてきた。
「見ねぇナリしてやがるな。どこから来た? おい、ゆっくりこっちを振り返れ」
「……にゃ~ご」
野太い声で猫の鳴きまねをするギエンドゥアン。
「おめえなぁ……見つかってから猫のフリしたってしょうがねえじゃ……」
その男の視界が急にくるくると回転した。
「おっ? おお……ッ?」
驚く男の頭が回転しながら脇の建物の壁にぶつかり、そして地面に落ちる。
一方で頭を失った胴体の方は首から噴水のように鮮血を噴き出しながらその場に崩れ落ちた。
「フリではないのだよ。フリではニャア」
たった今男の首を飛ばした黒い毛に覆われた鋭い爪の並ぶ手を引っ込める。
そこにはシルクハットをかぶってタキシードを着た黒猫の男が立っていた。




