王都のオヤカタサマ
王都の栄えている地区にあるこの都でも最高級のホテル。
その一室に東から来た者たちが宿泊している。
特殊な術を用いて接する人々の認識を操作しているのでホテルのスタッフからはこれといって特徴のない富豪の宿泊客だと思われているのだが……。
豪奢な椅子に座る狐の面の男。
彼は今、繋げたばかりの自分の右腕を持ち上げてまじまじと眺めている。
細く長い指の先には尖って鋭い爪がある白い腕。
魔性のものの腕だ。サイズがおかしいわけでも鱗があるわけでもないが、何故か見る者に不吉な気配を感じさせる腕だ。
「ようやく戻って来たか。麻呂の腕……」
魔人、ドウアンが繋いだ右腕を色々と動かしてみて調子を確かめている。
その腕……前腕部の肘の近くには無残な茨を巻いたような傷跡がある。
腕を繋いだ跡だ。
この傷は……もう消えないだろう。
「ぬグッ……ギギギギギッッ」
腕の傷を見る狐面の奥の男の目が怨念でめらめらと燃えている。
「許さぬ。断じて許さぬぞ……このような傷を麻呂に。下賤な西の者の分際でぇぇぇッッッ!!!!」
「いい加減にせぬか。此方が何度お主の事で叱責を受けていると思っておる」
浮かび上がる翁面……シラヌイ。
ドウアンは鼻白んで小さく舌打ちをする。
「ふん、知った事ではないわ。馬鹿正直に付き合うそなたが悪い。無視しておればよいであろうに」
「……………」
多少後ろ暗い所はあるのかドウアンは若干早口になる。
それに対して翁の面は沈黙で応えた。
「な、なんじゃ、怒ったのかえ。こんなもの……所詮はお遊びであろうに。あの小僧もこんな西の国もどうなろうが麻呂たちが本気で気にするような事ではないであろう」
まくし立てるドウアン。
すると……。
『やれやれじゃ。搦め手であればドウアン……そう思ってお主を送り出したが、これはわしの目が節穴であったかのう』
「……!!!」
その場に響いた自分たちのものではない女性の声にドウアンは雷に打たれたように全身を震わせ、椅子から転げ落ちるように床に膝を突くと深々と頭を下げる。
「……御屋形様ッッ!!!??」
『我が十王寺の家が誇る六傑士……よもや異国の地で笑いものにする気ではあるまいな?』
床に額を擦りつけるようにして土下座しているドウアンの全身から汗が噴き出した。
(……来ておられる!! この近くに御屋形様がおられる!!!)
土下座しながらシラヌイの方をチラリと窺う狐面の男。
翁面は先ほどまでと変わらずただその場に浮遊している。
(知っておったなシラヌイ!! 御屋形様が来ておられる事をッッ!!! 今の麻呂の発言をあえて聞かせたか!!!)
主の来訪を確信するドウアン。
皇国の大名が異国に……しかもお忍びで来ているのだ。
『気楽にやれとは言うたが、勝手をしろとも手を抜けとも言うてはおらぬぞ。……心せよ』
ごくり、と喉を鳴らすドウアン。
「この洞庵カネツグ……身命を賭しまして」
低い声で言うドウアンを翁の面が見下ろしている。
(やれやれ……これでとりあえずは大丈夫っスかね。こうやってたまに手綱を引き締めないとこのヒトすぐ勝手をし始めるっスからねえ。お公家さんの出の人はみんな面倒くさいっス)
沈黙の仮面の下で密かに嘆息するシラヌイであった。
……………。
同時刻、王都大通り。
大きな商店のショーウィンドウの前に異国の娘が立っている。
男物の着物と袴姿の娘。
腰には刀を佩いている。
ブロンドの勝ち気そうな美女。多数の尖った跳ねのある長い髪は後頭部でポニーテールに纏められている。
何より特徴的なのは左の目に刀の鍔を眼帯として当てている事だ。
「……まあこれでよかろう。確かに今にして思えばアーク之介ではちとあれを御するのは難しかったやもしれぬな。わしも人選を誤ったかもしれぬ」
ショーウィンドウを眺めながら言う眼帯の女性。
背後にいる同じく着物に袴姿の巨躯の老人が無言で肯く。
立ったまま眠っているかのように目を閉じている老人。
いや、あるいはそのように見えても目は開いており目の前は見えているのかもしれない……。
白い髭を胸元まで垂らし髪の毛も長く背の中ほどまで伸びている。
老人とは思えないほどに筋骨粒々で背には太く長い槍を背負っている。
「おぉ、見よ! これを見よ爺や。クマじゃろう、これ。可愛いのう」
ウィンドウの向こう側の首にピンクのリボンを付けた大きなクマのぬいぐるみを見てはしゃいでいる眼帯の女性。
「よし、これも買うていくとしよう。わしと寝所を共にする事を許すぞクマよ。かっかっか」
高笑いしている眼帯の女性。
それを受けてぬいぐるみを購入する為に老人が店内に入っていくのだった。
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こんこんこん、と木材に釘を打つ音やぎいぎいと鋸を引く音が響いている。
大勢の大工たちが木造の建築物を建てている所だ。
ここは王都でも人通りの多い一等地。
その作業風景を二人の王女が視察に来ている。
「……いい場所に建てるんだね」
「ッたりめーだろうが。やるんならハンパはしねェ! アタシの名前でやる事にケチは付けさせねェぜ」
妹を見てニヤリと笑った姉。
飲食店をオープンさせるつもりでいるリュアンサ。
そう考えるのであれば確かにここは最良の立地である。
「それにしてもオメーが持ってきたあのデータノートはスゲーなァ。全部チェックさせたが、一部古いデータもあって店が無くなっちまってたがよ。ほとんどが今でも営業してる」
「お役に立てたようなら何よりだね」
怪僧テンガイの食べ歩き漫遊記とも言うべき台帳。
イクサリアはそれをそのまま姉に手渡している。
「今、手当たり次第に交渉に向かわせてっからよォ。こっちが必要としてる店やんのに必要なスタッフは揃うだろうさ」
「予想より多く釣れてしまった時は?」
イクサリアが問うとリュアンサはふん、と鼻を鳴らす。
「そん時ァ、店を増やすから問題はねェよ」
「おーぃ、リュアンサ様ぁ~……」
そこへフラフラというかヨロヨロというか、とにかく頼りない足取りでやってくる痩せてくたびれた男エドガー。
「院に業者さんが来てますよ……。キモノのサンプルを持ってきたんで見てほしいって」
「おっともう来やがッた。流石にフットワークが軽ィな」
馬車へ戻ろうとするリュアンサにイクサリアが付いていく。
「私も行っていいかな」
「おゥ、来やがれ来やがれ。オメーがキモノ着てその辺ウロウロしてくれりゃァ下手な広告打つよりもいい宣伝になるってモンだ」
二人の王女を乗せて馬車は王宮へ向けて走り出す。
(私は正直あまり和装に興味はないけど……。アムリタに似合うものがあるといいな)
窓の外を流れる王都の風景を眺めながらそんな事を考えているイクサリアであった。
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王都高級住宅街、十二星『猛牛星』ガディウス家屋敷。
今その屋敷を同じ十二星である『硝子蝶星』の当主シャルウォートが訪問している。
「……中々に壮絶な光景ですねえ」
応接間を見回して言うシャルウォート。
周囲は酷い有様である。
衣類は乱雑に脱ぎ捨てられて床にはゴミが転がっている。
とても大貴族の屋敷とも思えない惨状だ。
「うん。汚してみたくなってね。……とにかく、今まではできなかった事を色々とやってみたいんだよ。これまでは物を所定の場所に置くのがミリ単位でずれただけでも家宰に置き直されるような日々だったからな」
力なく笑っているエイブラハム。
他の家から監視役として送り込まれてきた二人の家宰はとにかく几帳面で神経質な男たちだった。
病的と言ってもいい程だ。
そういう資質だからこそ些細な違和感でも見抜かなければならない自分の監視に回されたのだろうが。
「ゴミ屋敷になるくらいならまだいいですけどねぇ。エイブラハムさん、貴方は相当に危ない橋を渡っていますよ?」
「そうだな。わかってはいるんだ……」
ソファの上に投げ出されていた衣類を横に避けて座るエイブラハム。
「ただ……これまでも生きているというよりかは生かされているような人生だったからね。先に家宰をおかしくされてしまっていて断りようもなかったし……」
「……………」
沈黙したシャルウォートを見上げるエイブラハム。
「君もそうなんだろう?」
自分のように断れない状況に追い込まれてから協力を強いられたのだろう、と彼は言う。
シャルウォートはそれに言葉では答えずに軽く肩をすくめて虚しく笑ってみせた。
「失礼しますよ」
そこへ、アークライトがやってくる。
今や『神耀』カトラーシャ家を父に代わり実質的に切り盛りしているこの男。
野心的かつ精力的に日々活動している若き英傑。
彼は部屋の惨状に軽く眉を顰めると「台風が通り過ぎた後のようですね」と言った。
この男が全ての黒幕である事はエイブラハムもシャルウォートも聞かされてはいる。
しかし実際こうして非公式に顔を合わせるのは初めてだ。
アークライトは二人の男を伴っていた。
一人は顔色の悪い陰気な青年……『幽亡星』クリストファー・ヴォイド。
そしてもう独り落ち着かない様子のやや小太りで口髭の中年男性。
彼は『天車星』ハーディング家の現当主代行であり、シオンの叔父に当たる人物である。
「さて、まずは皆さんにお礼を申し上げたい。私の理想にご賛同頂き本当にありがとうございます」
いけしゃあしゃあと言い放つアークライトに、その場が何となく白けた空気に包まれた。
無論アークライトとて心から言っているわけではない。
ただ、こうした建前も時として必要となる。状況を整理する意味でもだ。
「今この場には私を含め十二星の五つの星の実質的なトップが集まっています。言うなれば五星の同志というわけですね」
「……君は、何がしたいんだね? 言っておくが私は荒事には役に立たないよ」
ふう、とため息を交えていうエイブラハム。
「ご心配には及びません。皆さんにそういった野蛮な用事をお願いするつもりは一切ありません」
言いながらシャルウォートをチラリと見るアークライト。
橙色の色男は薄く笑っている。……ただし、その眼光は冷たい。
「皆さんには私の思想に同調していただきたいのです。私はね……ほんの少し時計の針を戻したいと思っています。大王様以前の時代に戻そうとは言いません。ですが今は『三聖』に権力が集中しすぎてしまっていると思いませんか?」
誰もが答えない。
賛同すれば王国への叛意とも見なされない危険な意見だ。
「私はそのあたりをもう少し十二の家に再配分したいんです。バランスを取りたいのですよ」
鋭く瞳を輝かせて微笑み、一同を見回すアークライトであった。




