謎の一族
日が落ちてから店に二人の騎士を伴ってミハイルがやってきた。
『白狼星』の次期当主……この氷の男がアムリタの店を訪れるのは初めてである。
「貴方も忙しいのにごめんなさい。こんなにすぐ来てくれるとは思わなかったわ」
「仕事だ。お前が気にする事ではない」
礼を言うアムリタにいつものように淡白に返すミハイル。
彼がそういう男であるとわかっているアムリタは別に気を悪くした様子もなく微笑む。
それにしても……自ら赴いてくるとは思わなかった。
アムリタは王宮にいた彼に大雑把な事情を記したメッセージを送ったのだ。
店に襲撃があった事と、その相手が残した片腕がよからぬ気配を放っていると。
クリストファーが言うにはその腕は相当の怨念を放っているらしく、そのまま置いておけばどのような害があるかわからないらしい。
騎士たちが腕を聖堂で清めた布で包みカバンに厳重にしまう。
「夜は周辺を騎士に巡回させる。何かあればまた連絡を寄越せ」
「ありがとう、ミハイル」
用件だけを黙々と済ませ、出されたコーヒーは立ったまま一息に飲む氷の男。
帰ろうとするミハイルに向けてアムリタが頭を下げる。
「……眼鏡、似合っているわね」
「掛けたくて掛けているわけではないがな」
最後までにこりともせずそっけなく言い放ちミハイルは引き上げていった。
通りの端に見えなくなるまでアムリタはその後姿を見送った。
「ミハイルは相変わらずですね」
「今更愛想良くなられても困るし……。彼はあれでいいのよ」
やや呆れた様子で嘆息しているシオンに笑ったアムリタ。
そして彼女は通りを背にして大きく伸びをする。
「それにしても、トラブルが続いていやになってしまうわね。パンが売れなくなっちゃう」
「………………」
沈黙したシオン。
アムリタは笑顔でゆっくりと振り返って彼女を見る。
「……何か言いたそうね?」
「なっ、何も言っておりませんが!!」
慌ててブンブン首を横に振るシオンであった。
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帝都のはずれのうらぶれた一角にある三階建ての武骨な石壁の建物、四つ葉探偵事務所。
今そこから不気味な調子っぱずれの鼻歌が表の通りまで聞こえてきている。
(……何これ? 瀕死のタヌキのうめき声?)
怪訝そうな顔をしつつ、中へ入っていくシオン。
「お邪魔します。マチルダさんいらっしゃいますか?」
「……ん?」
そこにいたのは割烹着に三角巾姿の髭の先を跳ねさせた痩せた悪人面の中年男であった。
彼は鼻歌を歌いながら床のモップ掛けをしている。
「……ぎ、ギエンドゥアンさん!? こんな所で何をしてらっしゃるんですか!!?」
「何じゃ、誰かと思えば『天車星』の所の小娘ではないか。何をって……お前、見ればわかるだろうが。掃除をしとるのだよ」
手にしたモップを示して何故か偉そうに胸を反らせるギエンドゥアン。
「最近ここでよく晩飯を食っておるのだが、所長ががめつい女でな。食った分は働かされるのだよ。サボると次のメシを食わしてもらえなくなるのでな。渋々だがこうして真面目にやっておるというわけだ」
「……はぁ、一等星の家の当主がまさか晩御飯欲しさに床掃除とか。相変わらず落ちる所まで落ちきっていますね」
呆れたようにも疲れたようにも見える表情でシオンが嘆息する。
「やかましい! プライドで腹が膨れるなら苦労はせんわい!!」
怒鳴ってからシオンを半眼で見るワシ鼻の男。
「……で、お前は何の用なのだ。ここの者は出払っておるぞ」
「そうなんですか。タイミングが悪かったですね。お仕事をお願いしに来たんですけど……」
手にした封筒を見せるシオン。
それはアムリタから預かってきたものである。
その時、ギエンドゥアンの目が不気味にキラーンと輝いた。
「どれ、見せてみろ」
手を伸ばしてひょいとシオンから封筒を奪ったギエンドゥアン。
「あっ!? ちょっと!! ダメですよ……!!」
必死に封筒を取り返そうとするシオンであったが、その時には既に跳ねヒゲの男は封を開けて中の手紙を読んでしまっている。
「あーぁ、もう……」
困り果てた様子で肩を落とすシオン。
一方で手紙を読んでしまったギエンドゥアンはどんどん面相が普段より尚悪人面に……濃ゆい悪い笑いに変わっていった。
「よォォッッッし!! でかしたぞッッ、小娘!! これこそわしの為にあるような任務ではないか!! なあ!!?」
「はい……?」
シオンは心底ぐったりした様子でギエンドゥアンを見ている。
「この件、この『幻夢星』のギエンドゥアンが引き受けたぞ!! あのお嬢ちゃんには大船に乗ったつもりでいろと伝えておけい!! ぬははははははッッ!!!」
割烹着と三角巾を乱暴にその辺に脱ぎ散らかすと置いてあったシルクハットとスーツケースを手にしてギエンドゥアンは事務所を飛び出していってしまった。
「困ったことになっちゃった……」
そして後に一人残されたシオンが呆然と呟いたのだった。
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その日、珍しく王立学術院に王女イクサリアの姿があった。
ブーツを鳴らして軽快な足取りで廊下を歩む美麗な彼女の姿にすれ違う職員たちは全員礼をしつつ見とれている。
やがて彼女がやってきたのは「学長室」のプレートが掲げられた大扉前。
姉リュアンサの巣とも言えるこの部屋。
「……おゥ、入りやがれ」
ノックして室内の反応を聞いてから学長室に入る。
「姉様、ちょっと話があるのだけど今いいかな?」
「構わねェよ。好きなトコ座りな」
相変わらず様々な論文や辞典が乱雑に積まれて散らかっている部屋である。
イクサリアはソファの上に散らばっていた論文の紙を拾って机の上に纏めるとそこに座った。
「なんだか姉様が商売を始めるという話を聞いたのだけど」
「ハッ!! 地獄耳じゃねェかよ」
重厚な木製の書斎机の、その向こう側……積みあがった書物で見えない姉が笑っている。
「コレ見てみなァ、イクサ」
ひょいっと飛んできた本を妹王女が空中でキャッチする。
「……雑誌?」
意外な気がした。
姉はあまりこういったものを読んでいるイメージがない。
……それは東方の文化や品々を紹介する雑誌であった。
「最近東の話をする人が増えたように思っていたけど姉様もとはね」
「ククッ、まァそういう事かもな。スシを出す店にすっか、テンプラを出す店にすっか迷ってたんだがよォ。面倒臭ェからどっちも食える店にしようかと思ってるとこだぜ」
モノクロの写真を後から着彩したものが並んでいる雑誌をめくるイクサリア。
「……東の料理のシェフにでもなる気なの?」
「バカ言え。スキルはともかくそんな時間があるわきゃねェだろうが。アタシは金出すだけだ」
ハッとリュアンサが鼻で笑っている。
「食いモンだけじゃねェぞ。『キモノ』を売る店も出す気だしよ。他にもあれこれやる気だぜ。……どうせアホみたいに金はあるしなァ。コケたって構いやしねェ」
「………………」
妙に楽し気な姉を半眼で見ている妹。
「……あァん?」
「ねえ、何を企んでいるの? 私にも教えてよ、姉様」
妹の言葉にリュアンサが口の端を上げる。
獰猛に笑う彼女の犬歯が光っている。
「教えてやってもいいがなァ、オメーも手伝えよな。東の料理を作れる料理人が全然足りてねェんだよ。流石に今から修行させてる余裕はねェしなァ」
「ええ? 東の料理を作れるシェフか……流石にちょっと心当たりがないな。でも探してみることにするよ」
腕組みをして「うーん……」と考え込むイクサリアであった。
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アムリタ・ベーカリーに肩を落として帰ってきたシオン。
「……それで、取られてしまったのね?」
「はい……。本当に申し訳ないです。私の不手際で」
落ち込んでいるシオン。
アムリタはしょぼくれている彼女に優しく笑いかける。
「貴女が悪いわけではないわ。気にしなくていいわよ。……それにしても、あのおじさまは信用できるのかしら?」
「いえ、ダメなんです。そこは絶望的な人だと思ってください」
慌ててブンブン首を左右に振るシオン。
「あの人は……というか、あの一族は凄いんですよ。『幻夢星』のマルキオン家……代々とんでもない詐欺師が出てて、一族そのものが詐欺師まみれっていう本当にアレな十二星で」
「……………」
思わず真顔で絶句するアムリタ。
「十二星特権であまり重く罰せられないのと、やり口がセーフかアウトかのライン上を毎回狙う感じというか……。毎回毎回罰を受けつつもしぶとく地の底から這いあがってくるというか。そういう感じなので家は潰されてはいないんですが……。ギエンドゥアンさんも数年間の王都出禁を今まで何度か受けてるんですけど、それが解けると戻ってきてまたやらかすんですよね」
兄オーガスタスや一族の者が彼について愚痴るのを何度も聞いたことがあるというシオン。
「それでも……十二星なのね」
「はい。詳細が漏れると十二星の権威が失墜しかねないので世間にはほとんど情報が出回らず謎の一族って事になっています……」
テーブル席で落ち込んでいるシオンの所にエスメレーがコーヒーを運んでくる。
「マルキオンの家のことなら……私も、聞いたことがあるわ」
エスメレーが言う事には一族総出であれこれやらかしていても家が潰されないのは何代か前の王家のとんでもないスキャンダル情報を握っているからだと噂されているのだとか。
王家の人間相手だろうとお構いなしに詐欺を仕掛けてくるらしいのだ。
「何よそれ、もうメチャクチャじゃない」
「そうなんです。メチャクチャなんです。人の心の隙を突いてお金儲けしようっていう所に人生を特化しすぎちゃってて、他の色々と大切なことを全部どこかに置いて来ちゃった一族なんですよ」
そんな集団が国を統べる十二の大貴族のうちの一つなのだ。
貴族制度というものの在り方について改めて考えさせられるアムリタであった。
「あんまり当てにできなそうね。……そういえばあの人、イクサに借りてたお金返したのかしら」
「絶対返してないですよ……」
見てはいないが断言はできるシオンであった。




