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呪われし星の下

 最近、王宮の貴族の若者たちの間に広がる勉強会『蒼竜会(ブラウドラッヘ)』の活動は本日も活発だ。

 議場では活発な討論が繰り広げられている……のだが。

 少し空気のおかしい一角がある。


「だから我が国でもこの制度を取り入れて、若者たちの更なる……」


 主張を途中で止めた若手貴族。

 彼は眉間に皺を刻んで口の端を引き攣らせつつある一席を睨む。


 ……そこではクレアがゴガーッと豪快ないびきを立てて涎を垂らして居眠りしていた。


 ……………。


「こォのボケ茄子がッッ!!! アタシんとこまで文句が来ただろうがッッッ!!!!」


 ずがん!! と鉄拳をクレアの頭に落として怒鳴るリュアンサ。


「化けの皮が剥がれるまでが早すぎんだろォがよッッ!! せめて一日はもたせられねェのか!!!」


「ぐぉぉぉぉ……も、申し訳なかったのですよ。あまりにも下らない話ばっかりだったものでつい眠気が……」


 バカでかいたんこぶを作って涙目になって呻いているクレア。


「大体ですね。『何かを変えてみたいから』っていうスタートからの()()()()ばっかの改革なんて大して意味もないのですよ。どこどこの国のこうこうっていう制度がいいからとか、そんなのそれぞれの国の文化やら風土があっての話なんだからそのままうちに持ち込んでもいいとは限らないのです」


「……ほォ」


 折檻を止めて腕組みするリュアンサ。


「若手が何かを変えていくんだって気風を上手く煽られてるせいで空回りしてる人ばっかなのですよ、あの集まりは……」


「ふゥむ……」


(コイツ、普段はすかぽんたんのクルクルパーのくせにたま~~ァに鋭い事を言いやがる)


 クレアのそこを見込んでスパイとして送り込んだリュアンサであったが……。

 とりあえず数時間で出禁を食らって戻って来た学術院の暴走ウサギ。


「……とりあえずボーナスはマイナス査定なァ」


「ひぃぃぃぃん!! 踏んだり蹴ったりというか殴られたりボーナス減らされたりなのですよ!!」


 たんこぶを押さえながら咽び泣く学術院のしょぼくれウサギであった。


 ────────────────────────


 散会後の議場で数名の貴族たちがひそひそと囁き合っている。


「そういえば、この前のあの学術院から来た女はなんだったんだろうな?」


「ああ、いきなり居眠りしてて追い出された奴か」


 そのやり取りを近くにいるアークライトが聞いている。

 ……いや、正しくは()()()()()というべきか。

 声は届いていない。

 アークライトは読唇術を心得ており、唇の動きから相手の発言内容を読み取る事ができるのだ。


(……確かに、あの娘に付いては謎が多い。リュアンサ王女がこちらの監視の為に送り込んできたのかと思っていたが)


 泳がせる意味でも少し放置して様子を見ようかと思ったがあまりにも豪快に寝ているので追い出さざるを得なかったのだ。


 リュアンサ王女は天才だ。

 それも自分の専門分野以外にも目の利く万能型の天才である。

 警戒しておくに越したことはない。

 例え現時点で自分に攻撃されるような材料がないにしてもだ。


(私は『三聖(トリニティ)』になりたいのですよ……王女様)


 そのくらいの野心はあの王女ならもう見抜いているかもしれない。


 三聖というか……できればロードフェルド王子の治世に単独のNo,2でありたい。

 それで政治の上層部を自分の信奉者で固めれば実質的には王国の支配者になれる。

 王になれれば最良ではあるが、それは相当に難しい。余計な争いも多くなる事だろう。

 名が欲しくないわけではないが、実に比べれば二の次だ。


「………………」


 今日は珍しくアークライトは議場に水筒を持参してきた。

 それで頻繁に水分を補給している。


 体調を崩したのか、と聞いてくる者もいた。


(……まだ喉の渇きが完全には満たされない。なんだ……何なのだあのパンは!!!)


 例のパン屋で買って帰ったパンを屋敷の皆と食べた所、全員が激しい渇きを覚え水分に対する飢餓状態に陥った。

 争うように井戸の水を飲み、井戸に落ちた使用人までいる。

 自分が来たから売り物を取り替えたという風でもない。棚に並んでいたものを買って帰ったのだ。

 それなのに……この惨状。


「パンに見せかけた呪物を扱っているというのか? いや、それならば警告くらい……」


『大惨事になりますよ』


 ……!!

 そうだ、自分は警告を受けていたのだ。

 あの程度の軽い注意しかなかったというのは、界隈どこだよでは割と常識だからという事に違いない。


(……フッ、そんなものを自ら口にしてしまうとは。私もまだまだ脇が甘いと言わざるを得んな)


 グイグイ水筒を呷りながら自嘲するアークライトであった。


 ────────────────────────


 ……その『呪物』を取り扱っている店、アムリタ・ベーカリー。

 店主は今上機嫌で一人の客を迎えている所であった。

 まるでスキップでも始めるのかと思うほどに軽い足取りで入ってきた客に向かった彼女。


「……クリス! よく来てくれたわね。さあ、座って座って」


 花が咲いたような笑顔で客の男を出迎えてテーブル席へ案内するアムリタ。

 客はあの先日アムリタのパンを食べて無事だった前髪を顔の半分に垂らした陰気な若い男だ。

 彼の名はクリストファー……クリスはアムリタが付けた彼の愛称だ。

 二度目の来店からもう愛称呼びになっている。


「……あ、ああ」


 おどおどしながらも席に座るクリストファー。

 彼は黙っていると立って食べるのでアムリタは強引に席に座らせるようにしている。


「す、少し……時間ができたから……」


 クリストファーはボソボソと言い訳をするように小声で言う。

 そんな彼の前にアムリタがパンとコーヒーを運んでくる。

 ちなみにコーヒーはサービスだ。


 そして了承も得ずにアムリタはクリストファーの正面に座ると自分の作ったパンを少しだけ慌てた様子で食べている彼をニコニコしながら見守っている。


「今日はゆっくりしていけるの? 沢山食べてね。お代わりはサービスするわ」


「……う、うん」


 何せ売れないのでサービスはし放題だ。

 売れ残りを飼料にしてもらおうと牧畜農家へ持ち込んだ所、食べた家畜が暴走ミイラになってしまって大変な騒ぎになってしまった。

 それからは教会に持ち込んでお祓いしてもらってから焼いてもらっている。


「あ、アムリタ……」


「はい?」


 二つほどパンを食べ終えた所で、何かを決意したような顔でクリストファーが口を開いた。

 青年は少し頬を赤らめてアムリタと目を合わすことができない。


「こ、今度の仕事が……終わったら……少し、まとまった金が入る。そ、そうしたら……アムリタの作ったパンを持って……ど、ど、どこか、どこか……行かないか……」


「あら、楽しみにしているわ」


 笑顔で笑いかけてくるアムリタ。

 そんな彼女に自分もなんとか笑みらしきものをぎこちなく浮かべようとして……。


 ……………。


 そこでクリストファーはハッと我に返った。

 ダメだ、言えない。……言えるはずがない。

 自分はそんな風に市井の誰かと関わっていいような人間じゃない。


(今だって……フルネームさえ名乗れないのにな)


 内心で自嘲気味に笑う。


 自分のフルネームはクリストファー・ヴォイド。

 十二星(トゥエルブ)幽亡星(ファントム)』のヴォイド家の者だ。

 とは言ってもヴォイドの家と血の繋がりがあるわけではない。

 あの家の唯一の直系だった者はもう数百年も前に人間を辞めて子孫を残せるような状態ではなくなっていた。

 その直系も先ごろ消滅していなくなり、今のヴォイド家は直系に仕えていた従者とも信者とも言えるような者たちが細々と切り盛りしている。


 クリストファーは孤児だった。

 本当の両親の顔も知らない。

 ヴォイドの家の者たちはそういった身寄りのない子供たちから呪術に適性のある者を家に迎えて教育を施し術を学ばせて『仕事』をさせていた。

 中でも優秀なほんの数名はヴォイドの家名を名乗ることも許されていた。

 自分はその一人というわけだ。


 ……忌まわしき十二星(トゥエルブ)、呪われし星のヴォイド。

 普通に暮らしている民の中には伝承であり実在はしていないと思う者もいるほどだ。

 そんな名を……名乗れるはずもない。


「どうしたの……?」


「いや、なんでもない」


 急に食べる手を止めた自分を不思議そうに見ているアムリタ。


 ……これでいい。今のままでいいんだ。

 たまにこの店に来て、彼女に運んでもらったパンを食べて。

 直視はできない彼女の笑顔を上目遣いに窺って……。

 自分にはそれでも贅沢すぎる。


 本当ならば関わることすら許されないはずだ。

 太陽のような笑顔の彼女。

 対する自分は……闇の住人で、この両手は誰かの血で汚れているのだから。


 ──────────────────────────


 ある日の午後のこと。

 店に届いた郵便物を確認していたアムリタがふと眉をひそめた。


「……あら?」


「どうしたの?」


 声を掛けてきたアイラに一通の封筒を示す。

 そこには郵逓局による「返送」の印が押してある。


「シャルに送った手紙が戻ってきちゃった」


 アムリタと『硝子蝶星(スワローテイル)』クラウゼヴィッツ家のシャルウォートは友人であり奇妙な同志ともいえる間柄だ。

 最近忙しく彼の屋敷に顔を出していないアムリタが手紙を書いたのである。


 基本的に貴族の家への手紙は手渡しが原則となりポスト投函はされない。

 一定期間受け取られなかったものは今回のように返送になるのだ。

 一週間以上彼の屋敷が無人という事になるが、そんな事が果たしてあり得るのだろうか?

 少なくとも自分が暮らしていた一年数か月の間では一日とてあの屋敷が完全に無人になった事はなかった。

 とはいえあの偏屈でもある道化は身の回りに大勢の人間を置くことを好まず従者も少数だった。

 そのつもりなら全員で出払うこともそこまで無茶な話ではない。


 本当に家人共々それだけ家を空けなければならない事情があれば自分にはそれを連絡してくる気がするが……。

 それとも、もう新しい生活を始めた自分を気遣ってある程度距離を置いているのであろうか?

 それはそれで他人行儀であまりいい気はしない。


「様子を見に行ってみようかな……。でも本当に不在なら私にできる事はないし」


 既に鍵は返してしまっている。

 今の自分には家人の助けなくしてクラウゼヴィッツの屋敷に入る手段はない。


「気になる。落ち着かないわね」


 トントンと指先でカウンターを叩きつつ、口をへの字に結ぶアムリタであった。


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