妖しき仮面たち
ある日の午後、その男は唐突にアムリタ・ベーカリーにやってきた。
従者は表に待たせて一人で店内に入ってきたアークライト・カトラーシャ。
「失礼します。鳴江アイラさんはいらっしゃいますか……」
その時ちょうど店内ではアムリタとシオンが二人でテーブル席に座って食後のコーヒーを飲んでいた。
「……あ。こ、こんにちは、アークライトさん」
「やあ、シオン。意外な所で会ったね」
慌てて立ち上がって頭を下げるシオンににこやかに応じるアークライト。
アムリタも立ち上がって一礼する。
(名乗らなきゃいけなくなったら面倒ね。……もう手遅れか)
内心で苦い表情になるアムリタ。
まさかこの従兄がいきなり自分の店を訪ねてくるとは思わなかった。
彼と最後に会ったのは本当に小さい頃なので顔から誰かということがばれる心配はないと思うが……。
「はい。お呼びでしょうか?」
幸いにもそこでアイラが奥から顔を出してくれた。
「初めまして、鳴江アイラさん。私はアークライト・カトーラシャと申します。貴女と同じ十二星宗家の者です」
挨拶を交わして自己紹介しあっているアークライトとアイラ。
「私は一等星や二等星の家の子女たちを集めての勉強会を開催しております。アイラさんも是非ご参加頂けましたらと……。初対面から長々とご説明するのも何ですし、詳しいことはこちらにしたためて参りましたので宜しければご一読下さい」
青い封筒を取り出しアイラに手渡すアークライト。
「買い物もせずに失礼でしたね。戻って家人と頂きますのでこちらの棚のパンを全て頂けますか」
「え、大惨事になりますよ?」
思わず言ってしまってアムリタに睨まれるシオン。
そしてアークライトは表にいた従者たちを店内に呼び、本当に棚のすべてのパンを買うと紙袋を従者に持たせて引き上げていった。
「……まさか、私の所在まで探し当てて勧誘に来るとはね」
青い封筒をひらひらと振っているアイラ。
そこには銀の箔押しで竜の紋章が記されている。
彼女は蒼竜会の情報はアムリタたちと共有しているので中を読むまでもなく会のことはよく知っている。
「私も見られてしまいました。あまり望ましくない展開ですね」
「そうね……一等星の本家の娘が二人。何事かと……思った、でしょうね」
エスメレーもうなずいて同調している。
(……面倒なことにならないといいけど)
ぐったりした表情で嘆息するアムリタであった。
……………。
王宮へと戻る馬車の中でアークライトは何やら深く考え込んでいる。
(……何故あの場にシオン・ハーディングがいる?)
鳴江アイラが働いている店だという事で来訪したのだ。
だがそこにはアイラだけではなくシオンもいた。
どちらも現在の当主ではないものの、十二星の宗家の娘たちだ。
(アイラとシオンは親しいのか? そんな情報は入ってはいないが……)
一等星の家の娘が偶然に訪れるような店ではない。
シオンは店に馴染んでいる様子だった。何度か足を運んでいるであろうことは疑いようがない。
(それにシオンと相席していたあの少女……)
翡翠の髪の美少女を思い出すアークライト。
名乗りを交わさなかったのが悔やまれるが、それは調べればすぐにわかるだろう。
(何かがあるな、あの店には)
ダメ元でアイラを勧誘に行ったのだが思わぬ収穫であったかもしれない。
馬車の窓に映るアークライトの瞳は冷たく鋭い光を放っていた。
──────────────────────────────
今夜もまたエイブラハム・ガディウスは夜遊びを装いいつものナイトクラブへやってきていた。
この『猛牛星』当主がこうして仮面の男と密会するのは今日で四度目になる。
「私には何をするにも監視が付いている。今だって外で二人の家宰が待っているんだ。約束の時間を1分でも過ぎれば私を連れ戻すために二人で店に踏み込んでくるだろう」
二十年以上の付き合いになるというのに未だにどちらがどちらかたまにわからなくなる二人の家宰。
一人は『紅獅子星』のエールヴェルツ家が、もう一人は『冥月』の鳴江家が送り込んできた男である。
「とてもではないが君の望むような働きは私にはできないよ」
「……つまりは、その二人の監視役さえどうにかできれば貴方は自由に動けるという事ですな」
仮面の男がそう言うとエイブラハムは疲れたような呆れたような表情を浮かべた。
「どうにかすればそれは私の身の破滅だよ。『三聖』が送り込んできている男たちだぞ」
家宰へ害をなせばそれは即座に王国への反逆と見なされ処分されるだろう。
「フッフッフ、その点はご心配なく」
仮面の男が白手袋をはめた手で指をパチンと鳴らす。
すると個室の扉が開き、いつもの無表情で二人の家宰が入ってきた。
「!!!? おッ、お前たち……!!!?」
……密会を見られた。
青ざめた顔で腰を浮かしかけるエイブラハム。
「……お前たち、これからの本家への定期の連絡では常に問題なし、異常なしと報告しろ」
『わかりました』
仮面の男が命令すると二人の家宰は返事を完全に重ねて応じた。
「なっ……!? ……え?」
何故この会っている自分ですら正体を知らない怪しい仮面の男の命令をこの二人が聞くのか……。
呆然とするしかないエイブラハム。
「それと、以後はエイブラハム様の命令に全面的に従うように」
『わかりました』
再び返事を唱和させて頭を下げる二人。
「とまあ、御覧のとおりですよ。彼らのことはこれから自分の命令に忠実に従うだけの人形のようなものだと思ってください。飼い主に貴方が不利になるような報告をされる心配はもうありません。これで晴れて自由の身ですな、エイブラハム様」
「……………」
しばらくの間呆然としていたエイブラハムであったが、やがて糸が切れたようにクッションの効いた椅子に腰を落とした。
「ふふ、ふ……ふふ……」
俯いて床を見たまま笑い出すエイブラハム。
やがて床にぽつぽつと涙が斑模様を描く。
「自由か……二十年以上もこいつらに見張られて生きてきたからな……。急にそんなものが手に入っても……どうすればいいのかわからないな」
「これからゆっくりとお考え下さい。もうこの先ずっと貴方は自由なのですから」
そう言って立ち上がった仮面の男がエイブラハムの肩を優しく叩いた。
……………。
エイブラハムが生ける人形と化した二人の家宰と共に引き上げていった後のこと。
小部屋に残った仮面の男が突然ガシャンガシャンと乾いた音を立てて床に崩れ落ちた。
まるで積み木が崩れたような音……。
仮面の男とは木偶人形であったのだ。
「……………」
すると突然どこから現れたのか小柄な黒装束の男が現れる。
男の装束は東のある国々では黒子と呼ばれている裏方の着るものだ。
そして顔……髭を植えられた木製の翁面を被っている。
皺だらけの顔が笑っている翁の面。
翁面の男は仮面の男として振舞っていた木偶人形を手際よく折りたたむと葛籠にしまい込み、そして自分の体よりも大きなその葛籠を軽々と背負った。
『……シラヌイ』
「!」
呼ばれて翁面の男は顔を上げ、そして次の瞬間その姿が消失する。
一瞬の後に黒い翁面の男の姿はナイトクラブの屋根の上にあった。
「シラヌイ、首尾はどうじゃ」
そこには直衣と呼ばれる東方の貴族の服を着て烏帽子を被り顔に白い狐の面を被った男が待っていた。
狐面には赤色と黒色で隈取や髭などがオリエンタルなタッチで描かれている。
月光の下で二人の東方の装束の怪人たちが向かい合う。
「上々、最早『猛牛星』の当主は我らが手の内なり」
しわがれた声でシラヌイが答える。
「ほほほほ、それは善き哉」
「して、ドウアン……そなたは」
今度はシラヌイが問い返す。
それに対してドウアンと呼ばれた狐面の男が大仰に肯いた。
「麻呂も調伏を終えておる。……『硝子蝶星』はとうの昔に麻呂の傀儡よ」
『硝子蝶星』……シャルウォート・クラウゼヴィッツ。
あの軽妙な道化の男を捉え従えたと狐面の男は言う。
「ならばよし。引き続きアークライトに手を貸せとオヤカタサマが仰せじゃ」
シラヌイがそう言うとドウアンは扇子を広げて仮面の口のあたりを覆った。
「下賤な西の者どもに顎で使われるのも癪でおじゃるが……。オヤカタサマの命じゃ、致し方なし」
「然り。全てはオヤカタサマの為に」
肯き合うシラヌイとドウアン。
そして二人の東の怪人は同時に夜の闇に溶けていくかのようにその姿を消すのであった。
────────────────────────
王立学術院、学長室。
その重厚な樫の木の扉をコンコンとノックする者がいる。
「……オゥ、入りやがれ」
「失礼するのですよ。何の用事なのです? ボス」
やってきたのは小柄な眼鏡にお下げの自称エリート、クレアリースである。
「オメーも当然、最近王宮でミョーに盛り上がってる青ハゲ会とかいうのは知ってるよなァ?」
「『蒼竜会』なのですよ。……それはまあ、あれだけ話題になっていれば。最近院でも変に影響を受けて廊下で政治の話をしてるのがいるくらいですからね」
クレアが言うとリュアンサはハッと鼻で小馬鹿にしたように笑う。
この王女はその集まりをあまり好意的に見てはいない。
「胡散臭ェとは思ってたがよ。それにしてもこっちが考えてた以上に影響力を持ってきやがったからな。ここらでうちとしてもちょっと探りを入れてみる事にした。……で、オメー行って潜り込んできやがれ」
「はあ……それはまた、随分と急な話ですね?」
眉を顰めるクレア。
リュアンサはこういった話にはあまり関わろうとしないスタンスのはずだが……。
「それがよォ、昨日パン屋に行ってきたんだけどよ」
……………。
「……それで、急にアークライトがお店に来ちゃったのよ。シオンと一緒にいる所を見られてしまって。面倒な事にならないといいなって。リュアンサは件の集まりについて何か聞いてない?」
「アタシは面倒臭ェから関わらないようにしてたからなァ。顔出してくれとは言われてたがよ」
ベッドの中で寝物語に聞かされた話。
リュアンサはアムリタを腕枕している。
「まァそういう事ならアタシもちィっと探りを入れてみるとするか」
「助かるわ、リュアンサ」
そう言って王女の腕の中でアムリタは微笑んだ。
……………。
(まぁ~た夜這ったですかこのどすけべ王女は。年中姉か妹のどっちかが夜這ってる気がするんですけどアムリタさんはちゃんと眠れてるんですかね?)
内心で白い目をしつつ嘆息するクレア。
「でも私は三等星なので参加資格がないのですよ」
「いや、つい何日か前に三等星の家のヤツでも参加OKになった。更に規模を拡充する気らしいぜ」
当然その辺りの調査は抜かりない王女。
「そういう事ならちょっとこのスーパーエリートが行ってスパイとして大活躍してくるとしますかね。ちゃんと仕事したらボーナスは弾んでもらうのですよ」
しょうがない、と軽く笑いつつ肩をすくめて言うクレアであった。




