カトラーシャの父と息子
ロードフェルド王子の執務室。
その日も王子は早朝から様々な報告書に目を通している。
次期王である彼の朝は早い。
そこへ扉がノックされて側近が入ってくる。
「失礼いたします。『白狼星』のミハイル様より『幻夢星』の家の者をいつものトラブルで捕らえたが処遇について相談したいと……」
「またあの家か……。今度は誰だ」
はあ、と大きくため息を付いた王子が頭を抱える。
「……それが、その……ギエンドゥアン様です」
言いにくそうに告げる側近。
王子のこめかみに太い血管が浮いた。
「連れてこい!!! 俺が直に説教する!!!!」
窓ガラスを震わせる王子の怒号が早朝の屋敷に響き渡った。
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『四つ葉探偵社』事務所のお昼時。
今日はアムリタが招かれてやってきている。
事務所開きのお祝いを持って。
「……へえ、そんな事があったのね」
「いやぁ、もう、あれはオレもビビったよ。一等星って言っても色々なヤツがいるもんだな。ああ、ヤツとか言っちゃったよ」
先日とっ捕まえた詐欺師、『幻夢星』のギエンドゥアンの話をしながら嘆息しているマチルダ。
あの男はなんと十二星の家の当主であったのだ。
テーブルの上にはいつもよりも豪華な昼食が並んでいる。
アムリタを迎えるというのでマチルダが腕によりをかけて準備したのだ。
ちょっとしたホームパーティーの様相である。
(……まあ、それはそれとして)
食べながら斜め前に座っている少女をチラリと窺うアムリタ。
「ん~~~~、美味っしい~~。これウチ、お代わりね」
満面の笑顔でミートパイを食べているメイドの少女……エウロペア。
「はいはい。お前ほんとよく食うな。身体小さいのにな」
慣れているのか多少呆れつつも特に気を悪くしたような様子もなく準備してあった新しい皿をエウロペアに出してやっているマチルダ。
どっちが所長なのかわからない待遇だし、給仕されている方がメイドという奇妙な光景である。
「……ん、何よ、アムリタ。何かウチに言いたい事でもあるわけ」
「いいえ、別に何もないけど。貴女とここで再会する事になるとは思っていなかったわ」
アムリタの視線に気付いたエウロペアがもぐもぐやりながら彼女に声を掛けた。
エウロペアはエスメレーとの決戦時に彼女の付き添いとして舞踏館廃墟に姿を現した。
その後、館を後にする時に彼女は頭に冗談みたいなバカでかいたんこぶを作って白目を剥いて地面に転がっていた。
イクサリアもシオンも倒れている彼女には特に触れることなく帰っていくので、そういうものかとアムリタも特に彼女に付いては触れなかったのだ。
……それ以来の再会である。
考えてみれば彼女に付いてはその程度しか知らない。
柳生キリエの関係者であるとは思うのだが……。
「グループ活動はもうしてないの? 奇妙奇天烈でしたっけ」
「喜怒哀楽ッッ!! ……あんなのとっくに解散したじゃんね! 『哀』はどっか行っちゃったし、『楽』は全然楽っぽくないし、『喜』のバカはウチを置いて一人で逃げるし」
解散後も一人で『怒』を貫いているエウロペアである。
ちなみに『哀』は今アムリタの店にいる。
「しっかし、お前たちが知り合いだったとはなぁ。世界は狭いよな、意外と」
「言うほどの知り合いでもないけどね。名前を知っているくらいで」
二人を交互に見て感心しているマチルダ。
「……この子、ちゃんとお仕事はしているの?」
「ああ。割と一生懸命やってくれてるよ」
やや懐疑的なアムリタに対してマチルダは大丈夫だと言う。
始めの内はやや不真面目だったり反抗的だったりしたのだが、マチルダの料理が美味いとわかってからはかなり従順になった。
……口には出さないが内心少しペットを餌付けしたような気分になっているマチルダだ。
「そんなのあったりまえじゃんね。人間の社会は仕事をちゃんとできない奴はナメられるし美味しいものは食べられないんだし」
ふふん、と自慢げなエウロペアだ。
彼女の価値観では自分に美味しいものを与えてくれる者というのは主の資質に足ると判断されるらしい。
「それならいいけど。……私も何かあったら手伝うわよ。声を掛けてよね」
「そりゃ助かるよ。今んとこ大丈夫だけどいつかそういう事もあるかもしれねえ」
にこやかに話す二人であったが……。
(やっべ! パン屋はいいのかって言いかけちまった!! そこ地雷な気がする!! よく踏み止まった!! えらいぞオレ!!)
(パン屋は暇だしって言いかけちゃった!! そこはダメよ口にしたら!! 私にもなけなしのプライドというものはある!!!)
……内心で慌てている両者であった。
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王都、カトラーシャ本家邸宅。
かつてアムリタが両親と暮らしていた大きな屋敷。
そこは今、彼女の叔父であった現在の十二星「神耀」当主レンドール・カトラーシャ一家が暮らしている。
レンドールは温厚そうな穏やかな風貌の中年男で、当主を引き継いでから威厳を出そうと思ったのか顔の下半分に濃い髭を蓄えたが正直あまり似合ってはいない。
そんな十二星は今、私室にアークライトを迎えていた。
息子を大事に応接用のソファに座らせて自らお茶を淹れて出し、一方で自分は座る事もせずそわそわと部屋を歩き回っている。
「いない間の事は万事お前の言う通りにしておいた。継承争いの時も誰も支援しなかったよ」
「ええ、それでいいのです、父上」
優雅にカップを傾けるアークライト。
どちらが当主で父なのかわからない程この若者は落ち着いていて威厳がある。
「あれは危険な賭けです。勝てば見返りは大きいが負ければ失うものも大きい。一方で勝負しなかった場合、誰が勝とうがそれほど大きく失うものはありません。乗るべきではない。我が家が勝負をするのならば別の場所です」
アークライトは王位争いに関して、勝者が誰であっても中立だった家をそれほど下げる人事はできないだろうと予想していた。
ただでさえ王位争いで各家に不和の種を蒔いてしまっているのにそこで格差を広げてしまえば火種は燻り続ける。
後々の新王の安定した治世の為に禍根を残すよりも融和的な政策をとると考えたのだ。
そのアークライトの予測は的中した。
勝者であるロードフェルド王子が取ったのは中立だった家は概ね現状維持という措置であった。
留学中、アークライトは皇国から自家の政治的な振る舞いについて手紙で父にアドバイスしていたのだ。
そしてこの父は一々それを忠実に守って来た。
「父上、我が家の主催で勉強会を開きたいのですが……。一等星と二等星の家の私と同年代の者たちを集めて未来の王国に付いて考える催しにしたいと考えています。ご許可を頂けますか」
「ああ、勿論だ。お前のいいようにしなさい」
何度もうなずくレンドール。
「ありがとうございます、父上」
そんな父親に向かってアークライトが穏やかに微笑んだ。
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父親の部屋を出たアークライトが広い屋敷の廊下を歩いていく。
一人であったはずの彼の背後にいつの間にかもう一つの人影があった。
「……物わかりのいいお父様だ」
「自慢の父親だよ。揶揄するような言い方はやめてもらおうか」
柔和な微笑を崩さないまま窘めるアークライト。
音もなく歩く背後の何者かが軽く肩をすくめる。
後ろの何者かは長身のアークライトよりかは頭一つ分ほど背が低い。
ほとんど黒に近い紺色のフード付きのマントを身に纏っており、目深に下ろしたそのフードのせいで顔はほとんど見えない。
声からすると……男性のようだ。
「悪いな。羨ましかったものでな。僕は両親の顔も知らない。……僕にそんなものがいたのならの話だが」
「……………」
アークライトの口元から笑みが消えた。
「何かを手に入れるためには、望みを叶えるためには力が必要だ。君の望みは知らないが欲しいものがあるのなら力を手にする事だよ。……そして、現時点では私に協力する事がその近道だと言っておこう」
「……わかってるさ」
短い返事には乾いた笑みが混ざっている。
諦観と嘲りがそこには滲んでいた。
「君の所も御当主……と、呼んでいいのかはわからないが、家の看板となる存在を失って色々と大変だろう。再建には力を貸すよ。互いにギブアンドテイクといこうじゃないか……『幽亡星』」
右手を差し出すアークライト。
背後の男はその手は取らずただ黙って肯いた。
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王立学術院、午後。
クレアがトコトコ廊下を歩いていると……。
学長室の前でリュアンサが数名の職員を相手にしている。
「それじゃあ、学長。行って参ります」
「……おゥ。ナメられんじゃねえぞ!! 院の奴らは油断すると喉笛に喰い付いてくるぞって教えてやってこい!!」
何やら物騒な事を言っているリュアンサであるが、それは割といつもの事である。
そんな学長に怯えたようにペコペコ頭を下げながらどこかへ出かけて行く職員たち。
「……何事なのです? ボスのヤバさがバレて逃げられました?」
「ハッ! 大人のオンナはヤバさも魅力なんだよ。そこんとこがわかんねェ内はオメーもまだまだガキンチョだってこった!」
クレアの軽口を笑って受け流すリュアンサ。
「お勉強会だとよ。王国の未来を考える集いだとさァ。……ハン、政治的な話にはあんまキョーミを示さねェうちの連中がなァ」
「あ~、そういえば最近話題になってるですね。カトラーシャ家のお坊ちゃんがやってるんでしたっけ」
カトラーシャという十二星の家に付いてはこの二人の認識は一致している。
アムリタが元いた家だ、というものだ。
「アークライトか……アイツぁどうにもいけ好かねェな。爽やかさが鼻につく。オトコってのはもっとギラギラしてねェとなァ! メシは手掴みで食うみてェにな!!!」
「それはもうただの野人なのです」
(……というか、拗らせすぎて結局女の人に転んだこのヒトが男を語るのもなんだかアレな気がするのですよ)
リュアンサの横顔を見つつそう思うクレアだが当然それを口に出さない。
何故なら……。
彼女は職場から借金をしている身だからである。




