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アトカーシア嬢の平穏な日常

 気が付けば東の空が白みかけている。


「おッと……もう朝かよ。湯を浴びんのは帰ってからにすっかァ」


 いそいそと服を着ているリュアンサ。

 ベッドでは半裸のアムリタが疲労しきった様子で仰向けになっている。


「急に来るから……驚いたわ」


 嘆息と共に呟くアムリタ。

 今の今までそのひと言を口にする余裕すらなかった。


「オマエがいつまで待っててもこねェからアタシの方から来る事になんだろうがよ。……こっちァ、オマエがいつ来てもいいようにって年中あれこれ準備してソワソワしてるってェのにな!」


 ジロッと睨んでくるリュアンサにアムリタが苦笑する。

 確かに最近は色々あって彼女のところに行く時間も取れなかった。

 この豪胆でガサツな天才美女は実は結構寂しがり屋だという事はよく知っている。


「稀代の大天才で絶世の美女をあんま待たしてんじゃねェぞ!! へへっ、んじゃまたなァ!!」


 手を振って出て行くリュアンサを軽く手を上げて見送る。

 ……それにしてもタフな姉王女だ。こっちは仮眠を取らなければすぐには動けそうにない。


(ご、ごめんアイラにエスメレー……ちょっと眠るわ)


 心の中で二人に詫びつつ泥沼に沈み込んでいくように眠りに落ちるアムリタであった。


 上着を羽織りながらリュアンサが階段を下りると店舗ではエスメレーが朝の支度をしている。


「おっす。オカーサマ……朝早ェじゃん」


「貴女は……これから、帰ってお仕事?」


 エプロン姿で頭に三角巾を着けているエスメレー。


「まーなァ。完徹なんざ別に珍しい事でもねェけどよ」


 ギザ歯を見せてニヤリと笑ったリュアンサを見るエスメレーが細目で嘆息する。


「リュアンサ……貴女、あまりあの子に負担を掛けては、だめよ」


 そのエスメレーの言葉に明後日の方向を向いて口笛を吹いてからリュアンサは店を出て行った。


 それから30分もしない内に今度はイクサリアが店にやってくる。

 姉同様に合鍵を持っている彼女は自宅のような気楽さで裏口から入ってきた。


「おはよう、エスメレー様。アムリタはまだお部屋? 今日は泊まっていこうと思うのだけど」


「……貴女たち、姉妹は……本当にもう」


 やれやれと早朝から何度目かのため息をつくエスメレーであった。


 ────────────────────────────────


 王都のあまり栄えているとは言えない地区にその建物がある。

 三階建てのややくたびれていて無骨な灰色の石壁のその建物。

 そこに真新しい看板が掛かっている。


四つ葉(フォーリーブズ)探偵社(クローバー)』という看板だ。


 その名の通りに四つ葉のクローバーが会社のトレードマークになっている。


「ほほ~ぅ、何だか思ってたよりもずっとちゃんとした建物なのですね。もっと、きったない小屋みたいな所だと思ってたのですよ」


 建物内部をキョロキョロと見回しているクレア。

 まだ内装が全然手を付けられていないので内部は閑散としている。


「当たり前だろ。こういうのはな面構えが大事なんだよ。ショボい事務所構えてるようなヤツに大事な仕事頼みたくないだろ」


 クレアが出したゴーレムと一緒に荷物を建物内に運んでいるマチルダ。

 ここは彼女の事務所である。


 起業したのだ。

 女所長マチルダである。

 ……スタッフは彼女だけだが。


「ともかくさ、早いとこなんかしらやらなきゃ、まーた実家にヘンな仕事場にぶちこまれちまうからよ。手っ取り早く家庭に入っちまうのもいいと思ってるんだけど、アムリタがあの調子じゃいつ貰ってもらえるかわかんないしな……」


「すでにパン屋がえらいことになってるのですよ。予約びっしりなのです」


 二人で顔を見合わせてやれやれと嘆息する。


「そんなワケだから指咥えてボーッと待ってんじゃなくてさ。一丁名前を上げてこっちから迎えに行ってやるくらいの気概がないとな」


「ホドホドに応援してるのですよ。せめて半年後にはもうここが売りに出されてるとかだけはやめてほしいのです」


 ふふっとからかうような半笑いのクレア。


「まー、そう言わないでさ。なんかあったら手伝ってくれよ。今だって二つ仕事が同時に入ったらもうパンクだしさ」


「そっちの心配するより一件も仕事が来ない方を気にするべきじゃないですかね?」


 手を合わせて頭を下げているマチルダに微妙な表情のクレア。

 すると、建物の入り口に人の気配がする。


「ねー!! 誰かいないワケ? 折角表の求人見てチョー優秀なウチが来てやってんですけど!!」


「おおっ!?」


 思わず顔を見合わせる二人。


「大変です。あんな求人見て本当に希望者が来ちゃったのですよ。多分前科二百犯とかそういう感じの他じゃ絶対取ってもらえない系なのです」


「バッカ! なんつー事言うんだよ!! 折角来てくれた入社希望者だぞ!!」


 わいわい言い合いながらドタバタと一階に下りていく二人。


 すると、小さなカバン一つを手にしたジャンパーを着たメイド服の少女がいる。

 ピンク髪ツインテールにツリ目猫顔の美少女だ。


「……というか現時点で既にメイドなのですよ。どっかのお屋敷をクビになったんです?」


「ハァ? チョー優秀なウチがクビとかあるわけないじゃんね。これはウチの普段着よ。可愛いでしょ? 可愛いウチにちょうどいいじゃんね」


 ふふーん、と自慢げに胸を張っているツインテール。


「……ほら言わんこっちゃないのです。ヤベーやつなのですよ」


「別にメイド服くらいいいだろ! 仕事さえちゃんとやってもらえんなら!」


 小声でぼそぼそやり合っている二人。


「……んでさ、この住み込みまかない付きっていうの、これホントよね? ウチ、これ見て来たんだけど」


 勝手に剥がしてきてしまったらしい表の壁に貼ってあった求人広告を見ているメイド。


「ああ、勿論だ。ご覧の通りでまだオレも越してきたばっかしでさ。部屋は好きなの選んでもらっていいぜ。メシもオレと一緒でいいんなら三食出してやる。自慢じゃないが料理の腕はちょっとしたもんだぞ」


「ふーん、いいじゃん。優秀で可愛いウチに相応しい仕事があんのか知んないけどさ。とりあえず条件が気に入ったから働いてやってもいいし」


 ニヤリと笑ったメイド服。

 その口元にキラリと犬歯が光る。


「おっし決まりだな。とりあえずはお互いお試し期間って事にしようぜ。オレはマチルダ。所長だけどそんな風に振舞う気はないから名前呼びでいいぜ」


「ウチはエウロペア。好きなものは贅沢! と可愛いお洋服と美味しい食べ物! キライなものはお説教と酸っぱいものね。よーく覚えときなさいよね」


 マチルダとエウロペアは連れ立って二階に上がっていく。


「……何だかんだヘンな奴同士で上手くいきそうな気もしますね」


 それを見送ったクレアが嘆息交じりに呟くのだった。


 ────────────────────────────────


 アムリタ・ベーカリーは本日も客がいない。


「う~ん……」


 そんな店内でアムリタは先ほどからあちこちを見回しては唸っている。


「どうしましたか師匠。何かお店の中に気になる事が?」


「いいえ、そうではなくてね……。強いて言うのならお客の姿がない事が気にはなるけど」


 今日はシオンが手伝いに来ている。

 とはいっても客はいないのだが。


「……ねえ、エスメレー。貴女の二秒先を見る魔眼っていつでも好きに使えるのよね?」


 アムリタの問いにエスメレーが静かに首を縦に振る。


「いつでも……使えなければ、役には、立たないわ」


 ……それはそうだろう。所有者の意思とは関係無しに使えたり使えなかったりするような能力は危なっかしくて使い物にはならない。

 エスメレーとの戦闘の中でアムリタは彼女の二秒間先の世界を見る魔眼を使いこなして勝利した。

 しかしその後何度試そうが一度も使えた事が無いのだ。


 自分も同じ魔眼を得た、というわけではないらしい。


「……今、ちょっと使ってもらえる?」


 アムリタが頼むとエスメレーは黙って肯き、眼に魔力を込める様に集中する。


「貴女の二秒後を……今、視ているわ」


「ダメね。やっぱり使えない。近くの他人が使っている能力を使えるっていう事でも無さそう」


 悩むアムリタ。

 隣でシオンも一緒に考えている。


「だとすると……殺意の有無でしょうか? 相手が殺そうとしてきているとか、自分が殺されかかっていると感じるだとか、相手をどうにかして殺そうと思っているとか、そういう逼迫した状況が発動条件なのでは?」


「わからないけど、その可能性はあるわね。そんな状況を再現してまで試してみたくはないけど……」


 苦笑するアムリタ。

 その中で自分の殺意は発動条件ではないだろう。あの時自分は彼女を殺さない為に戦っていた。殺意はない。

 とするのならば相手の殺意か自分の危機感か……。


(いずれにせよ、もうこの先あそこまでしなきゃいけないような相手と戦うこともないでしょうけどね)


 流石にクライス絡みでもアルバート絡みでもエスメレーやオーガスタス、シオン兄妹ほどに強烈な復讐者は現れないだろう。

 ……と、半分自分の願望込みで思うアムリタだ。


「とにかく、色々あってやっと今の生活を手に入れたのだからこれからは平穏に生きていきたいわ」


「そうですね……」


 やれやれと言った感じで肩をすくめているアムリタに肯くシオン。


(これだけ平穏を求めている人なのに、どうして平穏ではないパンを生み出してしまうんだろう……)


 内心でひっそりと弟子は運命の非情さを嘆いている。


 ……アムリタ・カトラーシャ、今はアトカーシアか。

 一等星の家に生まれながらも自らの死を乗り越えてきた娘。

 特異な魔術の血を持つ数奇な生まれの彼女。


 正直シオンは懐疑的だ。

 ……彼女が望んでいる平穏を得られるのか、それは難しいのではないかと思える。

 本人の問題とはどこか別の所で彼女を中心とした大きな運命の渦があるような気がするのだ。

 自分もまたその渦に引き寄せられた一人として。


(……だけど、この先に何があったとしても私が師匠をお守りしますから)


 それが自分の運命だと思う。

 彼女と同じように死の淵から、その彼女の血で這い上がってきた者としての。


 和やかに話の弾む店内。

 ……その隅っこでボコボコにされたらしくマスクの形がおかしくなっているうらみマスクが正座させられているのだった。

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