憎しみを捨てて
某国、某大都市。
首都ではないが大陸中の貿易路の交差点であるこの都市は首都以上に栄えている街だ。
日々世界中の日々と物品が行き会う街。
その街が今空前の大騒動となっている。
全ての門が閉じられ、新しく人を入れる事も中の者を出す事も厳しく禁じられているのだ。
街に入れない貿易商や旅人が門の前で野営をしているが暴動寸前のような有様である。
何故突然にそんな封鎖措置が取られたのか……。
その情報は一般には出回っていないが、噂によれば『大物』が複数人殺されその犯人を探す為なのだという。
……………。
その都市のある食堂で辛気臭い表情で向き合っている奇妙なコンビ。
洋装のメイドと和装の僧侶。
「……はぁ~あ、戻ってきたら『協会』がなくなっちゃってるし」
行儀悪くテーブルに肘を突いた桃銀の髪のメイド……エウロペアがボヤいている。
「キリエでしょ? これ。キリエしかいないじゃんね? ……皆殺しとかさ」
「でしょうなぁ」
メイドの正面に座って栗ぜんざいを食べているテンガイ。
「少々、拙僧らの悪ふざけが過ぎましたかな」
「そこそこのお小遣い稼ぎができるし、悪くない遊び場だったのにさぁ」
コーヒーカップに突っ込んだスプーンをくるくると回しながら大袈裟にため息を付くメイド。
「あんだけキリエが気にして可愛がってるのって、どんなヤツか気になるじゃんね。ちょーっとからかって遊んだだけなのに……」
「まあ『協会』は王国に食指を伸ばした以上は遠からずあの御方の尾を踏む事になっていたでしょうから、遅かれ早かれこうなっていたのではないですかな」
そう言ってテンガイはじゃらじゃらと数珠を鳴らして手を合わせた。
「今、会いにいったらお説教されるかな。しばらくブラブラするしかないじゃんね」
「拙僧もそうさせて頂きますかな」
そうして……。
奇妙な二人連れは互いに別れの挨拶を交わすこともなく店を出るとそれぞれ別の方向へと歩き出すのだった。
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……ある夜の事だった。
閉店時間を回ったので外に出たアムリタは立て看板を片付けるなど店を閉める準備をしていた。
その彼女の背後でカツンと石畳を鳴らす足音がする。
「……?」
振り向いた彼女の目に。
スーツケースを手にした黒服の女の姿が映る。
陶器のように透き通るような白い肌の黒髪の……少し陰がある、また何とも言えない色気のある美女。
「……行く所が……ないの」
静かに告げるエスメレー。
喪服ではないが、やはり黒い衣装の彼女。
もしやクライスの件で喪服に拘っていたのではなく元々が黒服好きなのか。
「え、えっと……」
一瞬困り眉で複雑な表情をするアムリタ。
「修道院に帰りなさいよ。貴女はそこで暮らしていたのでしょう?」
「それは……できないわ」
エスメレーは静かに首を横に振る。
「わたくしは……若い姿になってしまったし、何より……沢山人を殺してしまった。もう女神様のおわす場所へは戻れない」
「それはまあ、気の毒と思わなくもないけど……」
むう、と渋い顔になるアムリタ。
「……だけど、何も私の所に来なくたって」
何しろ自分は彼女の大事な一人息子を殺害した女だ。
「いつでも……来いって」
凄く静かに言っているのに何故かよく耳に届く声だ。
「何度でも来いって……言ったわ」
「それは復讐バトルを挑む気なら相手になるっていう意味であって……」
……ああ、もう、と。
立て看板を持ち上げるアムリタ。
ここで知った事かとドアを閉めてしまえるのなら……そんな性格であったなら色々と楽だっただろうにと内心で嘆息しつつ。
「とにかく入って。中で話を聞くわ」
そう言ってアムリタが店内に入るとコクンと肯いたエスメレーが続いた。
……………。
とりあえずエスメレーを店内に入れテーブル席に座らせてコーヒーを出す。
「……戦わなければ、来てはいけないというのなら……頑張って戦うわ」
「いやいやいや、順序がおかしいでしょう、それ。私は戦う気なら来いって言ったの。来たいなら戦わなきゃダメなんて言ってないの」
エスメレーの眉を顰めたアムリタが首をぶんぶん横に振る。
「では……戦わなくても、来てもいいのね」
「戦わないのに貴女が私に会いに来るって言う事態が想定外なのよ。……その、蒸し返したくはないのだけど、私の事が憎いんじゃないの?」
アムリタが訝しげに問うとエスメレーがゆっくりと首を横に振る。
「前は……憎かった。この手で殺してやるって……ずっと、ずっとそう思っていた」
「……………………」
元王妃は寂しげに笑う。
「だけど……今は、もうそんな風には思えない。クライスが貴女にした事は……本当に、本当に酷いことだったから……」
俯いたエスメレー。
膝の上に置かれた彼女の拳に涙が滴っている。
「わたくしは……何も知らなかったわ。ここ十年以上、あの子の身の回りの事を知る手段は……あの子から届く手紙だけで……。貴女が死んだという報も……そこで、知ったの。あの子は……心の底から、悲しんでいる様子で……わたくしも、その手紙を読んで……涙したわ」
それなのに、と。
エスメレーが膝の上に置いた拳がスカートにぎゅっと皺を作る。
「……………………」
アムリタはエスメレーの話を黙って聞いている。
母への手紙で自分の死を悲しんでいたというクライス。
彼を殺した自分が今更エスメレーにフォローするつもりはないが、なんとなくその手紙に書かれていた事も全て嘘ではなかったのではないかと思った。
……最期の瞬間、クライスは自分に謝罪していたように、しかかっていたように思えるのだ。
それは彼がずっと心中で蓋をして省みるまいとしていた気持ちが最期になって漏れたものではなかっただろうか。
自分が王になる為に必要なことだとしてアムリタを殺害したクライス。
その割り切りこそが彼の強さと恐ろしさであると思ったが、それでもどうしても目を逸らしきれないものが心の奥底にはあったのではないか?
……今となっては全ては想像する事しかできないが。
「……何ができるの?」
「?」
涙に濡れた瞳で顔を上げたエスメレー。
「貴女はうちにいて何ができるのって聞いているの。何もできない人を置いておけるほどの余裕はないわ」
「家事は……一通り、何でも。修道院にいた時は……自分のことは全て自分でしていたから」
ぽつりぽつりと彼女が語る。
「お料理も……」
「ストップ!!」
何故か急にエスメレーの言葉を止めたアムリタ。
突然のことであまり表情は変わらなかったがエスメレーも面食らっているようだ。
「それは言わなくていいわ。うっかりグー(拳)が出てしまうかもしれないから」
「そ、そう……なの……」
驚いている。
何がそんなに逆鱗を刺激する話題なのだろうかと。
「……とにかく、そういう事だから。家族が増えるわよ。聞こえていたでしょう?」
アムリタが背後に向かって声を掛けるとアイラが入ってきた。
話の聞こえる場所に控えていたのだ。
入ってきたアイラがエスメレーに会釈する。
それに驚いているエスメレー。
二人はクライス残党のアジトで顔を合わせている。
「そう、そういう事……」
自然と納得してエスメレーが肯いている。
「貴女は……スパイ、だったのね。……スパイ、かっこいいわね。何だか物語の……登場人物みたいね」
儚げに笑っているエスメレー。
アムリタたちは顔を見合わせている。
どうにも……なんというか、王侯貴族特有のずれた所のある女性である。
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王都の一角、とある商店街に小さなパン屋がある。
週に二回、美味しい胡桃のパンとチーズのパンが売りに出される。
その日だけは店に行列ができる。
その二日以外は食べるとミイラの気分が体験できるパンが出る。
「いや、ホントだって。また新しい美人の店員さんが入ったんだよ」
街を歩く二人の男がパン屋の話をしている。
「名前わかんないんだけどよ、皆『未亡人』って呼んでる。いや、ホントかどうかは知らねえよ。でもなんか雰囲気が未亡人っぽいってだけ。すっげえ美人だけどさ、なんか儚げで悲しそうに見えて、いっつも黒い服でよ」
「店員のレベル高い店だよなぁ。パンの味はヤベーのに」
……………。
からんころん、と軽快にドアベルが鳴る。
「いらっしゃい……ませ。あら……?」
店に入ってきた客を見てカウンターのエスメレーが儚げに微笑んで……それから首をかしげた。
入ってきた客の風体が普通ではなかったからだ。
男は黒い裾がボロボロのロングコートを着ていて、袖から覗く手は包帯に覆われており……何よりも頭にすっぽりと目の所に穴を開けた皮袋を被っているのだった。
「私は地獄よりの使者……」
ビシッと男がポーズを決める。
「怨念と憎悪の炎を心に宿す者……『うらみマスク』!!」
「あら……そうなのね……」
怪人の名乗りにも動じた様子もなく、エスメレーは不思議なものを見るかのように首を少しだけ傾けている。
「わたくしも……少し前までは、同じ、だったわ」
俯き気味になり語り始める黒服のパン屋のレジの人。
「だけど……もうやめたの。わたくしは……息子を、殺されたのだけど。わたくしが……いつまでも、誰かを恨んで……憎んでいる事を、あの子も、望んで……いないと思うから」
「うむ、そうだな」
うらみマスクのクセにうらみを捨てたというエスメレーを肯定するうらみマスク。
「私は弟を殺されたが、その恨みはもう流した。自分の恨みで狂ったままの人生よりも、誰かの恨みに涙する生き方を選んだのだ」
「……………………………………」
何をパン屋の店先でとんでもない話をしてやがるんだという顔で二人を見ているアムリタ。
しかし彼女が文句を言わないのは、何しろその息子と弟をどっちも殺したのが自分だからである。
そして彼女はハッと気付く。
「……あっ! そうだ言い忘れてたわ。ごめんなさいオーガスタス、貴方が生きてる事がシオンにバレちゃった」
「ぶはーッッッ!!!!!!」
突然のカミングアウトにど派手な音を立ててうらみマスクがひっくり返った。




