二人の息子、二人の父
ルクシェーンの湖は大陸でも最大の淡水湖であり、その湖畔は三国に跨っている。
一年を通して過ごしやすい気候で避暑地として大変人気がある。
王侯貴族やお大尽たちが別荘を構えている場所としても有名だ。
そこにエールヴェルツ家の所有する大きな白い屋敷がある。
今その白い別荘を巨木の陰から双眼鏡を目にして監視する山高帽にロングコート姿の怪しい男……。
それは『三聖』の称号で呼ばれる十二星『紅獅子星』の当主シーザリッド・エールヴェルツその人である。
「……パパ、悪趣味ですよ?」
そのシーザリッドの背後に立っているのは美しいブロンドの若々しいエールヴェルツ夫人。
クローディア・エールヴェルツ……レオルリッドの母親だ。
二十代後半で通用しそうな美貌の上品な女性である。
「まぁまぁ、ママ。ちょっと顔を見るだけだ。ちょっとだけな」
双眼鏡を手に我が子らの到着を今か今かと待ち受けているシーザリッド。
実は息子には伝えてはいないのだが、ここから少し離れた場所にあるもう一軒の屋敷も彼の所有の別荘なのだ。
パパは息子に内緒で先回りして現地に入っていたのである。
「あの子がどんなお嬢さんとお付き合いしているのか気になるじゃないか。いずれ紹介してくれるのだろうが、顔くらいは見ておきたい」
フッフッフと企み顔で笑うシーザリッド。
そんな彼の覗くレンズの向こう側に馬車が到着する。
「おお、来た来た……。どれどれ?」
馬車から降りてきたのは緑がかった銀色の髪の娘だ。
成人しているかしていないかというラインの外見で、落ち着いていて物静かな美少女だ。
「綺麗なお嬢さんじゃないか! あいつめ、何だかんだ言って面食いだな。所作が上品だ……やはり貴族なのかな?」
ふむふむと肯きながら観察を続けるシーザリッド。
続いて下りてきたのは赤い髪をポニーテールに纏めた体格の良い長身の美女だ。
勝ち気そうで鍛え上げたしなやかな身体の成人女性。
「息子ッッ!!?? ……そういう感じか? お前は、そういう感じなのか? 美しいお嬢さん方を集めて背徳のパーリーナイトなのか??? そんなオラオラ系に育ったようには見えなかったが……」
愕然としつつも隠密観察を続行するパパ。
赤髪の娘は一見粗野なのだが要所で育ちの良さが隠しきれていない。
やはり貴族なのかな? と彼は分析する。
続いて馬車から下りてきたのは背の低い眼鏡の女性。
美しいというよりかは愛嬌があって可愛らしい。
やたらと大きなカバンを持っており、その自分の荷物に振り回されている。
「あらゆるジャンルを網羅するのか? 息子よ。特定の属性や傾向に拘らずに幅広く攻略する男を目指しているのか……? そんな夜の開拓者なのか?」
次に馬車を下りたのは青銀の髪の颯爽とした美女だ。
言わずと知れた王国の誇る美麗な姫君……にして問題児。
「……イクサリア様ッッッ!!!!」
ブーッっと噴き出したシーザリッド。
夜の息子が遂に王国の頂点を攻略してしまった。
続いて姿を見せた黒髪の美少女も見覚えがある。
『天車星』の本家の娘だったはずだ。
「……むぅ、聞いてくれママ。何か大変だよ。うちの息子が大変なんだ。王国の夜の帝王になってしまうかもしれないぞ」
「何を馬鹿なことを言ってるんですか。そんなはずないでしょう」
嘆息しているクローディア。
母は息子が奥手なことを知っている。
そこへ新たな馬車の蹄の音が近付いてくる。
「ま、まだ連れてきているのか! 息子よ……お前は夜の王国を建国してしまうつもりなのか……」
しかし新たにやってきた馬車は扉に狼の紋章が記されており……。
「む? あれは……」
降り立った男は銀色の髪の長身の青年だ。
クールでシャープな美丈夫である。
「ブリッツフォーンの……ミハイルではないか。そういえば今は何か同じ仕事をしていると言っていたな」
『紅獅子星』と『白狼星』の当主の息子同士はあまり関係が良好ではないと聞いている。
シーザリッドとしてもあの家の当主とはやや訳ありで……。
……ミハイルに続いて馬車から降り立った巨漢にパパのアゴががくんと落ちた。
「ぐあーッ!!? アイツ、来とるじゃないか!!!」
ずずん、と大地に重たい足音と共に降り立った巨漢。
……まるでクマだ。
身長は2mを超えているだろう。全身を分厚い筋肉の鎧で覆った中年の男性。
厳つい四角い顔の下半分を白い濃い髭で覆い、頭髪は逆立っている。
その男、人呼んで『王国の白い巨壁』……ブリッツフォーン家当主アレクサンドル・ブリッツフォーン。
……………。
白い大男が周囲を見回す。
「いやぁ、相変わらず景色がいい所だな!! こういう場所で食う飯が美味いんだ飯が!! よぉしミハイル!! 早速一釣いくとするかぁ!! どっちが大物を釣り上げるか俺と勝負だな!! がはははは!!!」
……身体もデカいが声もデカい。
レオルリッドが無表情でミハイルを見た。
その視線は「お前何でオヤジ連れて来てんの?」という彼の内心を雄弁に物語っている。
それに対してミハイルは珍しく抵抗するでもなく視線を逸らした。
何故このバカンスに『白狼星』の当主が付いてきてしまっているのか。
それに付いては原因がミハイルではあるものの、彼一人の責任とするのも気の毒な事情があった。
……………。
一週間前の事。
ミハイルは父アレクサンドルに呼び出しを受けて彼の執務室を訪れていた。
「この前、俺はお前の要請で『影騎衆』を出してやったな?」
「……はい、父上」
それは先日、襲撃を受けてシオンが瀕死になり治療の為にジェイドが一時姿を消していた時の事。
ミハイルはジェイドたちの捜索の為に父アレクサンドル直属の特務部隊『影騎衆』を借り受けていた。
「親子だろうと借りは借りだ。……そうだな?」
「おっしゃる通りです」
肯くミハイル。
……覚悟はしていた事だ。
「よぉぉぉッッッし!!! それじゃあお前、久しぶりに俺に付き合ってもらうぞ。じっくり親子の語らいといこうじゃないか、なあ!! お前はいっつもいっつも何だかんだと理由を付けて逃げよるからな!!」
がしゃん、と執務机の側に立て掛けてあった愛用の釣り竿を手にするアレクサンドル。
この素手でシャケを捕ってそうな大オヤジの趣味は釣りである。
こっそりと嘆息しつつも了承の意味を込めて肯いたミハイル。
……まあ、釣りに付き合うくらいならしょうがない。
想定の範囲内だ。
ところが。
「今度の週末にお前ん部隊のお嬢さん方がエールヴェルツの別荘に遊びに行くそうじゃないか!! そこに俺らも邪魔させてもらおう!! ルクシェーンはいいぞミハイル!! あそこで釣れるヒメマスは塩焼きにすると絶品なんだ!! 楽しみだな、がはははは!!!」
「……は?」
思わず呆気に取られてしまった息子。
父のこの地獄耳。
この物理的にも巨大で立場的にも巨大な男は王国の情報部の統括者なのだ。
『影騎衆』とは隠密行動、諜報に長けた特殊部隊である。
ミハイルは週末にレオルリッドが皆をどこかに遊びに誘ったという所までは知っていたが、その行先までは把握していなかった。
「父上、それは……」
「なぁに心配はいらん!! あそこの別荘はバカでかいからな。俺が十人や二十人行ったってどうってことはないわ!!」
行った事もないエールヴェルツの別荘の間取りまで把握している。
……そういう意味ではない。
確かに自分とはあまり関係が良好とは言えないライバル関係の男ではあるが、彼なりに色々と思い切って女性陣を誘ったのであろうバカンスの場に自分と、この景観を損ね雰囲気をブチ壊しにするバカでかいオヤジが乗り込んでいくのは無法に過ぎる。
山賊の集団でも攻めてきた方がブチのめして捨てておけばいい分まだマシなのでは……とすら思う。
しかし、『貸し』を盾にしたこの父親をミハイルでは阻むことが出来ず……。
こうして彼ら親子はレオルリッド主催のバカンスを強襲する事になったのである。
……………。
「……あ、あ~諸君! 私は偶然にここを通り掛かった屋敷の所有者なのだが」
「父上ッッ!!?」
早足で近付いてくるシーザリッドに驚愕する息子。
慌てた様子でやってきた父の後ろから母がゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「おッッ!! なーんだお前、やっぱり来ておったのか!!」
それを見て目を輝かせたのはアレクサンドルだ。
彼はのしのしと大股でシーザリッドに歩み寄るとガシッと肩を組む。
「お互いにいい歳して子離れができとらんなぁ!! がははははは!!!」
「……う、うむ……」
何とも言えない引き攣った表情をしているシーザリッド。
『紅獅子星』シーザリッドと『白狼星』アレクサンドルは政治的なライバルであり、両者は犬猿の仲であると言われている。
実際にシーザリッドはアレクサンドルを避けている節があり、二人は滅多に接触しない。
しかしレオルリッドは今の二人の様子を見てそれが正しい噂ではない事を悟った。
(父上は……アレクサンドルの何というか、この距離感が苦手なのだな……)
「こりゃどうも!! 奥方!! ご無沙汰しとります!! ……いやいや、頑丈さだけが取り柄でして!! がはははは!!!」
微妙な真顔のシーザリッドに肩を組んだまま上機嫌でクローディアに挨拶をしているアレクサンドルだ。
……結局、シーザリッドの提案でアレクサンドルは夜はエールヴェルツ夫妻と一緒に隣の屋敷に泊まる事になった。
その過程でレオルリッドには隣の屋敷も自家の所有である事がバレた。
アレクサンドルに肩を組まれているシーザリッドが息子にだけ見える角度でこっそりと親指を立てる。
コイツはオレが相手をする! お前は先に行け!(どこへ)という表情でだ。
「父上……」
その父の愛に感動する息子。
覗かれていたことは知らない。
「それにしてもスゲーな。あの親父さんからこの息子ができるのかよ」
「お母さまの胎内にいる時にお母さま要素が徹底的にお父さま要素に勝ったんじゃないですかね。お母さまもどんなか知らないですけどね」
賑やかに釣りの支度を始めるアレクサンドルと全てを諦めきった表情でその父に従うミハイルを眺めつつ、マチルダとクレアが小声で囁き合うのだった。




